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今月の音遊人:葉加瀬太郎さん「音楽は自分にとって《究極のひまつぶし》。それは、この世の中でいちばん面白いことだから」
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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#006 音楽でケンカをすることもまたジャズの進化には欠かせなかった~マイルス・デイヴィス『バグス・グルーヴ』編
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2023.2.8
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?
おぼろげですけれど、幼稚園のころにお遊戯会かなんかで、鉄琴を弾いた(叩いた?)記憶が残っています。
おそらくフルスペックの鉄琴ではなく、オモチャの、鍵盤が1オクターブぐらいしかないような楽器だったはずですが、その音色は印象的だったので、長じてもその楽器を意識し続けていたのかもしれません。
鉄琴ことヴィブラフォンは、ジャズではわりにメジャーで、多くの有名演奏家を世に送り出しています。本作はそれを証明する象徴的な作品と言っていいでしょう。
と、こんな話から始めたのは、アルバム・タイトルにある“バグス”が、本作参加のヴィブラフォン奏者、ミルト・ジャクソンの愛称だったから。
本作は、もともと10インチLP盤2枚に分けてリリースしたものを合体させて、12インチLP盤としてパッケージされたもので、それが現在“オリジナル”と呼ばれているものになります。
10インチLP盤とは、直径10インチ(約25cm)のアナログ・レコードのこと。再生回転数にもよりますが、片面で10分から13分ほどの収録時間となるメディアです。そうそう、アナログ盤というのは、表裏の両方に音源を記録できるんです、念のため。
2枚を1枚に収めたのは、1950年代というオーディオ発展の過渡期には珍しくないパターンで、10インチ盤よりも12インチ盤が売れるようになったため、既出の音源でもいいから12インチ盤の規格に合った収録時間に仕立ててパッケージしちゃえというレコード会社の判断があったのだろうと思います。12インチ盤の片面15〜20分(つまり1枚=両面で30〜40分)がCDの登場で約70分に延びたときも、12インチ盤2枚のカップリングCDというのがよくリリースされてましたっけ。
そんな寄せ集めのようなアルバムが、なぜモダン・ジャズを象徴する名盤に数えられたのか──。
ひとつは、当時としては新進気鋭ながら、1960年代以降のジャズを象徴することになる演奏家が参加した“オールスター・セッション”だったから。
なにしろ、モダン・ジャズ・クァルテット(=MJQ)のメンバーだったミルト・ジャクソンとパーシー・ヒースとケニー・クラークに、ザ・ジャズ・メッセンジャーズを立ち上げた張本人であるホレス・シルバー、ビバップのオリジネーターであるセロニアス・モンク、そしてマイルス・デイヴィスとともに1950年代のハード・バップ・ジャズを切り拓いたソニー・ロリンズ──という顔合わせの飛び切りの演奏が1枚で聴けちゃうという、豪華賞品を詰め合わせた福袋のようなお買い得商品だったわけです。
もちろん、本作がお買い得だったからという理由だけで“名盤”になったわけではありません。
ただちょっと、外連味(けれんみ)があったことは否めないのですが……。
というのも、ケンカ・セッションという“いわく”が付いたことによって、俄然、注目度が高まったアルバムでもあったからです。
その“ケンカ”があったのは、1954年12月24日のこと。
アメリカのエンタテインメント業界は12月後半になるとクリスマス休暇でお客さんが少なくなるため、その暇な時期にスタジオでアルバム制作をして稼ぐ、というのがこのころの売れっ子のパターンでした。
もちろん、ここに名を連ねる面々はそのパターンの最たるもので、MJQは直前までレコーディングを行ない、本作の収録はそのあと、夜中近くから始まったと伝えられています。
マイルス・デイヴィスのセッションでは、MJQからジョン・ルイスを除いた3人が選ばれ、その代わりにセロニアス・モンクがほろ酔い状態で加わって、おそらく4曲(本作収録の『バグス・グルーヴ』と、『ザ・マン・アイ・ラヴ』『スウィング・スプリング』『ベムシャ・スウィング』)を何テイクか録る、という段取りだったようです。
そこで最初の曲(おそらく『ザ・マン・アイ・ラヴ』のファースト・テイク)が始まってまもなく、セッションのリーダーだったマイルス・デイヴィスがセロニアス・モンクに「きょうのセッションでは、俺がソロを取っているときにピアノで伴奏を付けないでほしい」と注文を出しました。
セロニアス・モンクは1917年生まれ、マイルス・デイヴィスは1926年生まれです。
キャリアでも一目置くべき先輩ミュージシャンに対してこの発言。周囲は凍りついたとのこと。
とまぁ、なぜこんな見てきたような話になっているのかと言えば、その『ザ・マン・アイ・ラヴ』のファースト・テイクが残っていて、なにやらマイルス・デイヴィスの声が聞こえるのと、そのあとの演奏ではマイルス・デイヴィスのバックでピアノがまったく聞こえなくなっているからなのです。
実際に『ザ・マン・アイ・ラヴ』のファースト・テイクは、別のアルバム(『マイルス・デイヴィス・アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』)に収録されており、確かに不穏な言い争いらしき音声が入っていて、演奏が中断、その後は演奏が再開しています。
なんだか、スキャンダラスな要素が本作を“名盤”に仕立てた──みたいになってしまいましたが、さにあらず。
“ケンカ”と言われているこのマイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクのやりとり、現在では“和音に対するアプローチの違い”という解釈が一般的になっています。
つまり、決まったコード進行のなかで演奏を完成させようとするハード・バップのセオリーから脱却しようとしていたマイルス・デイヴィスと、和音の概念を拡張することでジャズらしいサウンドを探そうとしていたセロニアス・モンクではコンセプトが異なっていたために、「きょうのところは先輩、俺に仕切らせてくれよ」とマイルス・デイヴィスが言い出し、セロニアス・モンクが「それじゃあ、俺は邪魔にならないようにするからやってみな」となったのではないか、と……。
ジャズは“会話”の音楽と言われ、こうしたコンセプトの違いも実際に音として残っていれば、どんな“会話”が交わされたのかを検証できるわけですが、残念ながら“ケンカ状態の演奏”は商品価値がないとして残されないことも多いようです。
たまたま当夜のセッションは、注目度の高い演奏家がそろっていたこともあり、後々までNGにすべきテイクを含めて残されることになりました。
そして、“ケンカ”と呼ばれるような意見のぶつかり合いがあったことを示すテイクが残っていることで、ハード・バップがモード・ジャズ以降という次のジャズ・ムーヴメントへと変化する瞬間を確信しながら、後世のボクたちも追体験できるわけです。
また、“同じ1954年に収録された2つの10インチ盤をカップリングするかたちで1枚にしたアルバム”だったことは、偶然の産物だったのかもしれませんが、その2枚のあいだにジャズの歴史を変える大きな地殻変動が起き始めていたことを考えれば、そんな希有なタイミングをジャストでとらえ、比較・検証に値し、演奏内容としても申し分のない1枚だからこその“名盤”でもある、ということです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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