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93歳の世界的ジャズピアニストが日本のファンを大いに魅了!/穐吉敏子 Solo Live
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2023.7.14
ジャズの本場ニューヨークを拠点に長年世界的に活躍し、1999年には日本人初の国際ジャズ名声の殿堂入りも果たしたピアニストの穐吉敏子。現在93歳の彼女の創作意欲は、未だ衰えを微塵も見せず、今年も全国8か所でソロ・ツアーを開催。そのファイナルとなった2023年6月19日の銀座・ヤマハホール公演を聴いた。
この日は演奏に先立ち、盛岡市で「穐吉敏子ジャズミュージアム」を運営する照井顕氏がプレートーク。1974年に穐吉のレコードに出会って大ファンとなり、1980年に陸前高田で彼女のトリオ公演を実現。その後も、ツアーや録音を多数プロデュースし、2022年には念願のミュージアムをオープンするに至ったという。
そんな穐吉愛が熱くユーモラスに語られ、期待がますます高まった中で幕を開けた当夜の演奏。オープニングを飾ったのは、穐吉の自作曲で、代表曲のひとつとして名高い『ロング・イエロー・ロード』だった。演奏後のトークで、「アメリカの物真似ではなく、自分だけの言葉を見つけなければいけないと思って、渡米後5年目くらいに書いた曲。でも、そこまでに至る道のりは長いだろうなと」と説明があり、日本のソロ・コンサートでは必ず最初に弾いているとのこと。緻密なタッチと緩急自在のスイングが同居した穐吉のピアニズムはこの日も健在で、右足をペダルから時折離して、大きく揺らしたり踏みつけたりして生み出す間やビートもみごとだった。
その後も、『メモリー』『アイ・ノウ・フー・ラブズ・ユー』『ファースト・ナイト』『木更津甚句』と、いずれも自作曲が続き、作曲家としての多彩かつ類い稀な才能を存分に発揮。中でも圧巻だったのは、『ロング~』と並ぶ初期傑作で、1961年の初帰国時に録音された『木更津甚句』。原曲の民謡が持つ日本らしい美しい香りと愉快なリズムにインスピレーションを得た穐吉は、それを4分の5拍子による超高速の右手と力強い左手の反復で描き、新しいジャズに昇華してみせた。以来、半世紀以上経っても消えることのない迫力と瑞々しさは、繰り返し演奏され続けてきたことで、この夜、さらなる洗練と深みを帯びていたと思う。
約20分の休憩を挟んだ後半は、バッハ『インベンション』、ディズニー『星に願いを』というスタンダードな傑作を冒頭に並べ、演奏家・穐吉の真髄に改めて迫ってゆく流れ。
続いて演奏されたのは、ディジー・ガレスピー『コン・アルマ』と、バド・パウエル『ウン・ポコ・ローコ』という、いずれもモダンジャズのパイオニアによる自作曲。この2曲は、演奏前に作曲者にまつわる穐吉ならではのエピソードを披露してくれたのも大変興味深かった。
稀代のジャズ・トランぺッターだったガレスピーに、「あなたのバンドのピアニストが辞めたら雇ってほしい」と彼女が頼むと、「考えておこう」と言われ、後に「僕のバンドの編曲をお願いしたい」という依頼に、我らが穐吉は「考えておくわ」と笑顔で返したという。
また、超絶技巧で知られたパウエルのピアノを穐吉は心から尊敬していたそうで、この夜の彼女の演奏は、パウエルの魂が乗り移ったようなフルスロットルで一気に駆け抜けていった。
そして最後は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、彼女が必ず最後に弾いているという『ホープ(希望)』。組曲『ヒロシマ そして終焉から』の第3楽章にあたり、収録を兼ねた2001年の日本ツアーを終えてアメリカに戻った翌日にテロが起こってしまったそうだ。「私たちは平和を希望しますと言い続けるために、この曲を弾き続けます」とは穐吉の言葉だが、美しい祈りの調べとスイングの妙に深く感嘆しながら、来年も、再来年も、この先ずっと同じ場所で聴き続けていきたいと願わずにはいられなかった。
渡辺謙太郎〔わたなべ・けんたろう〕
音楽ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業。音楽雑誌の編集を経て、2006年からフリー。『intoxicate』『シンフォニア』『ぴあ』などに執筆。また、世界最大級の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のクラシックソムリエ、書籍&CDのプロデュース、テレビ&ラジオ番組のアナリストなどとしても活動中。
文/ 渡辺謙太郎
photo/ Ayumi Kakamu
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