今月の音遊人
今月の音遊人:宮本笑里さん「あの一音目を聴いただけで、救われた気持ちになりました」
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ジャズは、その音楽がそう呼ばれ始めたころから“race music(レース・ミュージック)”だった。
raceは“人種”という意味だが、形容詞的に用いられる場合には“人種的に区別・差別された”というニュアンスが加わる。
公民権運動が席巻していた1960年代のアメリカで、大衆音楽の世界におけるアフリカ系アメリカ人の存在は、無視できるものではなくなっていた。
それにしたがい、ジャズは、その命名のもとである“ジャカジャカした”すなわち“上品とはいえない”という先入観から解き放たれて、芸術を語るに足る対象に昇格していく。
とはいえ、前回で触れたように、ボクが経験した1970年代の教育現場においてはジャズはまだまだ“よろしからぬもの”扱いだったし、ジャズを生業にする演奏家自身もそうした意識を抱いていることをうかがわせる発言が多かったと記憶している。
残念ながらボクは、1950年代後半から60年代にかけてジャズとクラシックのハイブリッドなコンセプションを展開しようとした“サードストリーム”を、リアルで体験することは叶わなかった。
けれど、1967年に創設されたCTIレコードによる“クラシックをモチーフにジャズをより大衆化しようとしたコンセプション”のサウンドは、それをジャズ(あるいはフュージョン)と意識せずに耳にしていた。
ジャズを意識して聴くようになってから、それがデオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」や「ラプソディー・イン・ブルー」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」で、オリジナルがリヒャルト・シュトラウスやジョージ・ガーシュウィンやモーリス・ラヴェルだったことを知り、聴き比べて愕然としたことを覚えている。
CTIレコードといえば、ヒューバート・ロウズのフルートがそれまでのジャズっぽさとは明らかに違うテイストを醸し出していると感じていたのだけれど、彼のライヴでおもしろいものがあったことを思い出した。
それは1986年5月、東京厚生年金会館で行なわれた“ソニー・ロリンズ with 読売日本交響楽団”と銘打たれたコンサート。第1部はソニー・ロリンズ作曲/ヘイッキ・サルマント編曲&指揮で「テナー・サキソフォンとオーケストラのための協奏曲」(パンフレット記載ママ)、第2部ではヒューバート・ロウズがロリンズに替わって3曲を演奏し、最後にオーケストラをバックにした「モリタート」〜「恋に恋して」〜「セント・トーマス」のメドレーで締め括るというものだった。
この“ジャズとクラシック音楽の融合”を掲げたコンサートの第2部で、ヒューバート・ロウズのプログラムのピアニストを務めたのが国府弘子だった。
後に国府弘子への取材でこのときの“裏話”も聞いたのだけれど、日本のコンテンポラリー・ジャズ・シーンを牽引する存在になっていた彼女と当時の姿とのギャップが大きかったこともあって、記憶に残る個人的なエピソードだった。
そこから、国府弘子が参加している“ジャズ・ピアノ6連弾”というコンサート企画が本稿の検証に有効かも……、と思いついた。次回はそれを軸に展開してみようかな。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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