今月の音遊人
今月の音遊人:馬場智章さん 「どういう状況でも常に『音遊人』でありたいと思っています」
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一期一会の音楽を生み出すガイド役/ドラムサークルファシリテーターの仕事(前編)
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2017.3.30
tagged: オトノ仕事人, ドラムサークルファシリテーター, ドラムサークル
ドラムサークルとはその名の通り、参加者が輪になって打楽器を即興で演奏するというもの。楽譜はなく、各自が好きなリズムで自由に音を出していく中で、一期一会のセッションとなってゆく。そのサポートをするのがドラムサークルファシリテーター(以下ファシリテーター)だ。打楽器奏者として第一線で活躍しながら、ファシリテーターとしても全国で活動し、育成にも尽力している橋田“ペッカー”正人さんにお話を伺った。
日本にドラムサークルが導入されたのは2000年のことだが、ペッカーさんは40年ほど前にその前身ともいえる活動に出会っていた。アメリカのサンフランシスコで音楽を学んでいた頃、カリフォルニア大学バークレー校の庭で土日になると大勢の人が自由に楽器を叩いていた。「僕は“アホな集団”と名づけていたんですけど、その中によく入っていって一緒に楽しんでいました」という集団が、現在のドラムサークルの原点だったのだ。
帰国後、プロのミュージシャンとして自らのバンドを率い、また数多くのミュージシャンのレコーディングやツアーにも参加してきた。そして2000年、日本でドラムサークルを導入しようとしていたヤマハ(現ヤマハミュージックジャパン)から協力を求められる。そこには、ヤマハが取り扱うアメリカの打楽器メーカー・REMO社がドラムサークルの効用と可能性にいち早く注目し、既に研究開発と啓蒙活動を進めていたという背景があった。
「カリフォルニアでやっていたあれだとピンときました。僕はずっとサルサバンドをやっていたのですが、ラテン音楽は“歌を聴いて”というよりは、みんなで楽しくなろうよというもの。一緒だなと思ったんです」
実際にドラムサークルをやってみてその音楽性の深さに共感し、真摯に取り組むことを決意。2004年にREMO社公認団体としてドラムサークルファシリテーター協会を設立し、理事長に就任した。
ドラムサークルはどのように行われるものなのか、ある日の現場を訪ねた。アフリカの太鼓・ジャンベやサンバで使われるスルドにタンバリン、トライアングルなど、大小さまざまな打楽器を、会場の円形に並べた椅子にセット。ペッカーさんによれば「音が鳴るものなら何でもいいんですよ」とのこと。
時間になると自然と誰かが叩きだして演奏が始まった。リズムや叩き方は人それぞれで、だんだんと全員の出す音が大きくなってくる。と、ファシリテーターのペッカーさんが立ち上がり、輪の中心で右手を上げ、左手を下げる。すると、右側の人は大きく叩いて、左側の人は音を小さくし始めた。ペッカーさんが両手を上げると全員が大きな音を出し、両手を下げると全員が小さく叩く。ファシリテーターは身振り手振りで参加者を導いてゆく。最初はとまどいがちに叩いていた人も、だんだんと笑顔に。全員が盛り上がったところで、ペッカーさんが拍手をして一度目のセッションは終わった。
「ドラムサークルとは、参加しているみんなで自然に作り上げるアンサンブルのこと。上手に叩くのが目的ではなく、みんなで『楽しいよね、よかったね』と感じられればそれでいいんです」
「実は日本にも古くからドラムサークル的なものはあるんです」とペッカーさんは話す。盆踊りがまさにそう。みんなで輪になって歌ったり踊ったり、楽器を鳴らしたりする。そこにファシリテーションという役割を導入したのが近代のドラムサークルなのだという。ファシリテーターは指揮棒を持たない指揮者にも思えるが、ペッカーさんは異を唱える。
「みんながすごく楽しんで、終わったあとに『あれ、ファシリテーターはいたのかな』と感じられるのが、本当のファシリテーターなんです。みんながポコポコ打って、和気あいあいとやっているときには入っていきません。あぁ、このあとどうなるのかな?という不安な雰囲気になってきたら入っていく。あくまでもみんなを導くガイド役なんです」
ゆえにファシリテーターとして活動するときは、「サーブする」、つまりホスピタリティを持って奉仕する気持ちを大切にしているのだという。加えて「人を見ること」もポイントにあげる。一人で演奏できそうな人がいたらその人に叩いてもらって場を盛り上げるなど、緩急をつけることでドラムサークル全体が素晴らしいものになるのだ。
文/ 佐藤雅子
photo/ 坂本ようこ
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