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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase6)ロドリーゴ「アランフエス協奏曲」、マイルス・デイヴィスにはないスペインの明るさ
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2023.8.22
tagged: マイルス・デイヴィス, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ロドリーゴ
スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴ(1901~99年)はギターと管弦楽のための「アランフエス協奏曲」によって特に知られる。第2楽章アダージョばかりが有名なのは、ギル・エヴァンスの編曲でマイルス・デイヴィスのアルバム「スケッチ・オブ・スペイン」に収められたからだ。なぜ第2楽章だけか。そこにはマイルスが推進したモード・ジャズの秘密がある。哀愁の旋律は魅力的だが、明るい両端楽章を含め全3楽章を聴きたい。
ロドリーゴは幼児期に失明したが、ピアノを習って音楽の才能を開花。パリに留学し、作曲家ポール・デュカスに師事した。スペイン内戦期は独仏に滞在。内戦が終結し第二次世界大戦が始まる1939年、パリで「アランフエス協奏曲」を作曲した。内戦では首都マドリード南方の古都アランフエスも戦禍を被った。家族の不幸も重なり心を痛めたロドリーゴは、祖国の民族楽器ギターによる協奏曲の作曲を思い立った。フランコ政権下のスペインに帰国後の翌40年、バルセロナにて初演された。
まず全曲ではなく、有名な第2楽章アダージョを聴き、マイルスのアルバムと比べよう。冒頭からギターがロ短調(Bマイナー)のコードをアルペジオで弾く。その和音に乗せてイングリッシュホルンが哀愁の旋律を吹き始める。この旋律は単なる短調ではない。エオリアと呼ぶ旋法(モード)で作られている。
エオリア旋法はピアノの白鍵では「ラシドレミファソラ」。イ短調の自然短音階と同じだ。第2楽章はロ短調なので、ここでのエオリア旋法は「シド♯レミファ♯ソラシ」。哀愁の名旋律は、現代の短調との違いに気付きにくいものの、実は16~18世紀の教会旋法を採用しているところがポイントなのだ。
イングリッシュホルンに続いてギターが哀愁の旋律を弾く。装飾音をふんだんに盛り込みながらも、エオリア旋法の音を離れない。転調を重ねながら、この旋律は楽器を変えて繰り返し登場する。楽章全体は5つの部分で構成されているが、一つの旋律が転調を伴って形を変えていく変奏曲と捉えることもできる。
緩徐楽章ながらギターが音階的な速いパッセージを入れるなど、聴きどころは多い。超絶技巧風のギターのカデンツァはメランコリックに鳴り響き、煽情的なラスゲアード(和音のかき鳴らし)で締める。その直後に頂点を築くのは、嬰ヘ短調で管弦楽が熱く奏でる哀愁の旋律。最もドラマティックで重要な局面だ。終結部はロ短調で冒頭を回想しながら、最後は懐かしい雰囲気のロ長調の光が差して終わる。
ではアルバム「スケッチ・オブ・スペイン」でギル・エヴァンスはどのように編曲し、マイルス・デイヴィスはいかにトランペットを吹いたか。まず気付くのは、調性が原曲のロ短調からニ短調(Dマイナー)に変わっていることだ。原曲の素朴で鄙びたイメージが薄まり、厳粛で劇的な力強さが加わる。そしてタンバリンやカスタネットといったスペイン風の打楽器の導入。これはギターのアルペジオやラスゲアードの代わりとも思える。コード進行による制約を乗り越え、モード(旋法)による進行でアドリブの自由度を高めようとしたモード・ジャズでは、コードを安易にかき鳴らすわけにはいかないのだろう。
冒頭はニ短調ながら原曲のエオリア旋法の旋律を管楽器がほぼそのまま鳴らす。マイルスのトランペットも旋法に即している。モード・ジャズというよりはクラシック。名旋律がモードでできているとはいえ、エオリア旋法は自然短音階と事実上同じ。現代の短調に最も近い旋法だ。旋律の終止音が短調の主音なので、通常の短調風に聴こえてしまう。
作品は精緻にアレンジされている。しかしトランペットのアドリブにしても、アルバム「カインド・オブ・ブルー」(1959年)をはじめ彼のほかのモード・ジャズ作品と比べてやや窮屈さを感じないか。名旋律の枠組みにアドリブが収まってしまう印象が拭えない。
エオリア旋法が必ずしもスペイン風に響かないこともある。ロドリーゴは18世紀後半のアランフエス王宮を思い描いて作曲したという。宮廷画家としてゴヤが活躍した時代を想定しており、新古典主義の建築や庭園がイメージされる。第2楽章の旋律も古典的な風雅を持つ。カスタネットをフラメンコ風に鳴らすのとはやや違う気もする。それでもマイルス盤の意義はクラシックファンも取り込み、ジャズの世界を広げたことだろう。
アルバム全曲を聴けばさらに興味深い。スペインの民俗色はむしろフラメンコの音階に近いフリギア旋法にある。フリギア旋法を存分に鳴らすのが終曲「ソレア」。主部はほとんど2つのコードとそのテンションコードのみ。よってコード進行は問題にならず、フリギア旋法をフラメンコ調にしたモードによるアドリブが主役なのだ。フラメンコのリズムに乗ってマイルスのアドリブは飛翔する。まさにスペインの描画である。
現代人好みの民俗的なスペイン音楽は意外にも「アランフエス協奏曲」の第2楽章ではなく、「ソレア」に表れている。ロドリーゴの原曲についても同様。フラメンコ風のスペインをもっと聴きたければ、「アランフエス協奏曲」の第1、3楽章が欠かせない。
ギターは容易にコード弾きができる。ギター協奏曲としての「アランフエス協奏曲」が線的なモードだけというわけにはいかない。原曲の第1楽章はギターがニ長調のコードをかき鳴らして始まる。民俗色溢れる複合リズムに乗って、明るい主題が生き生きと展開する。フラメンコ風の超絶技巧の速いパッセージをはじめギターソロの聴きどころも多い。
第3楽章が面白いのは、ギターが第2楽章の最後を引きずってロ長調でロンドの主題を弾き始めるところだ。その後すぐに管弦楽が主調のニ長調で主題を引き継ぐ。明るくのびのびとした躍動感がみなぎる。コード弾きの多用と明快な長調の魅力を持つ第1、3楽章は、モード・ジャズの素材には向かなかったと想像できる。
「アランフエス協奏曲」も「スケッチ・オブ・スペイン」も全曲を聴く楽しみは大きい。名曲の中にも隠れた魅力がある。まだ知らないスペインとジャズが待っている。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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