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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase9)ドビュッシー歌曲「星の夜」/山下達郎や松任谷由実、シティ・ポップも夢見たメジャーセブンス
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2023.10.11
tagged: 松任谷由実, シティ・ポップ, 音楽ライターの眼, ドビュッシー, クラシック名曲 ポップにシン・発見, 山下達郎
フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862~1918年)の歌曲はもっと聴かれていい。そこにはクールな旋律と和声がある。山下達郎や松任谷由実ら「シティ・ポップ」として注目される1970~80年代のJ-POPは、ドビュッシーのしゃれた和声と共鳴する。シティ・ポップが愛用したメジャーセブンス(長七の和音)は、ドビュッシーの最初期の歌曲「星の夜」にも登場する。貧しい家に生まれ育ったドビュッシーの音楽には、豊かで優雅な生活文化への憧れが反映している。それは人々がシティ・ポップの中で夢見た世界でもある。
ドビュッシーといえば、「前奏曲集」「映像」といったピアノ曲集、「牧神の午後への前奏曲」や交響詩「海」、歌劇「ペレアスとメリザンド」などに話題が集まる。古典派やロマン派が基盤にした機能和声法の束縛から脱し、自然に心地良いと思える音を探求した点が称賛される。具体的には第7、9、11、13音を含む和音、平行和音、全音音階や東洋風の五音音階、教会旋法などを駆使。長調と短調の境界を曖昧にして浮遊感を漂わせ、不安定なドミナントコードから安定したトニックコードへと和声法通りに容易には解決しない音楽だ。
ポップスとの親近性も指摘される。スタン・ゲッツやチェット・ベイカーらのジャズ、アントニオ・カルロス・ジョビンらが創始したボサノバ、大瀧詠一や角松敏生らのシティ・ポップなど、クールで都会的な音楽だ。歌ものならばドビュッシーの歌曲と聴き比べたい。
例えば「星の夜(Nuit d’étoiles)」。ドビュッシーが18歳頃の習作期の歌曲だが、ヴェロニク・ディエッチやナタリー・デセイ、ジュリー・フックスら有名ソプラノがこぞって歌っている。ヘ長調(F)、8分の6拍子のこの歌曲には、早くも新しい響きへの憧れが表れている。
ピアノのパートはポリコード(複合和音)のような書き方だが、異なる転回形の同じFの和音を重ねたり、平行調のFとDm(ニ短調、Dマイナー)を重ねたり、不協和を感じさせることもなく穏やかだ。あからさまな短調を避け、マイナーセブンス(短七の和音)やマイナーシックス(短三和音+長6度)で柔らかいニュアンスを出している。
詩は19世紀フランス高踏派の詩人テオドル・ド・バンヴィル。歌われることを前提とした古典的な脚韻と抒情性が特色。「星の夜よ、(Nuit d’étoiles,)/君のヴェールの下で、(Sous tes voiles,)/君のそよ風と香りの下で、(Sous ta brise et tes parfums,)/哀しい竪琴、(Triste lyre)/ため息をつく、(Qui soupire,)/僕は過ぎ去った愛を夢見る、(Je rêve aux amours défunts,)/僕は過ぎ去った愛を夢見るよ。(Je rêve aux amours défunts.)」。これはABACAの詩の構成の中でAに当たる第1節だ。
穏やかな曲調が変わるのは「僕は夢見る(Je rêve)」の部分。ここでピアノが短前打音からB♭M7(Bフラット・メジャーセブンス)の和音を初めて鳴らす。ソプラノは最高音のイ(A)を歌い、クレッシェンド(次第に強く)してフォルテ(強く)となり、デクレッシェンド(次第に弱く)する。憧れのようなメジャーセブンスの響きが一瞬、浮かび上がるのだ。
ではシティ・ポップはどうか。山下達郎の「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」(ニ長調=D)では、出だしからピアノがGM7(Gメジャーセブンス)とAのコード弾きを繰り返し、切ないほどに開放感のある曲調をつくる。透き通った海を見晴るかすように爽快だ。サビの部分もGM7→F♯m→DM7とメジャーセブンスを多用し、最後は単純な主調のDではなく、D6(Dシックス)コードを添え、終わった感じにせず、浮遊感を漂わせる。
ドビュッシーが「星の夜」で控えめながら決め手として使ったメジャーセブンスは、シティ・ポップでは前面に出る。ほかに長調の曲では荒井由実(松任谷由実)の「中央フリーウェイ」。全編にわたりメジャーセブンスをはじめセブンスコードが使われている。
短調の曲も比べよう。ドビュッシーが23歳の頃に作曲した「鐘(Les Cloches)」。詩は高踏派詩人で批評家のポール・ブールジェ。ピアノがマイナーのセブンスやシックスのアルペジオをしっとりと奏し、歌は教会旋法風に進む。このため主調の嬰ハ短調が露わにならない。後半の「これらの鐘は幸せな年月を語っていた(Ces cloches parlaient d’heureuses années.)」の部分では嬰ハ短調の哀愁がにじみ出るが、最後は明るいホ長調で静かに終わる。
対するは同じ嬰ハ短調の松任谷由実の「埠頭を渡る風」。セブンスコード中心のサウンドが曲を流線形にする。時おり短調が露わになるところが切ない。感傷的な短調がドビュッシーよりも強く出る。ドビュッシーがテンションコードを多用したジャズに向かう気配なのに対し、松任谷由実は調性がはっきりした歌謡曲へと寄せていく感じだ。
もちろん山下達郎や松任谷由実は同時代のビーチボーイズやプロコル・ハルム、スティービー・ワンダーからの影響が強い。しかしロックやボサノバ、ジャズから時代を遡り、米国、ブラジル、フランスなどの音楽交流史を辿っていけば、源泉の一つとしてドビュッシーに行き着くのではないか。
ドビュッシーは貧しい幼少期を語らなかった。音楽人生の始まりは1870年、8歳の頃。母の出産のため南仏カンヌの伯母の家に滞在し、その地で初めてピアノを習う。折しも普仏戦争が勃発、カンヌ滞在は疎開となる。翌71年、フランスは敗北し、第二帝政が崩壊。世界初の労働者自治政府パリ・コミューンが成立したが、ベルサイユ臨時政府軍に鎮圧される内戦が起きた。パリで失業していたドビュッシーの父は区役所に雇われた関係からコミューン側で従軍し、逮捕された。この戦時中に南仏コートダジュールで接した海や風や花が作曲家の原点と思われる。
短期間でピアノに習熟したドビュッシーは、収監時の父の伝手もあって72年、10歳でパリ国立高等音楽院に入学した。学生時代に富裕層の人々と出会う。最たる機会がモロー=サンティ夫人の声楽塾でのピアニストとしてのアルバイト。「星の夜」はサンティ夫人に献呈された。決定的だったのが塾生ヴァニエ夫人との恋愛。若い頃の歌曲の大半はヴァニエ夫人に捧げられた。彼の歌曲は生涯で90曲ほどだが、私的な恋歌が多く、近年も初録音がある。
歌詞には象徴主義を中心としたフランスの名詩を採用している。ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメなど。ドビュッシーの歌曲全集はそのまま音声付きフランス近代詩集になる。
自身も詩を書いた。最後の歌曲は1915年、第一次世界大戦中の「もう家がない子供たちのクリスマス(Noël des enfants qui n’ont plus de maisons)」。自作の詩は、敵(ドイツ)が何もかも奪っていったと歌う。自らの転機でもあった普仏戦争のトラウマが大戦で蘇ったか。
ドイツのワーグナーとは異なる独自の声楽を追求したドビュッシー。40年余りの戦間期に夢幻のように花開いた音楽人生とラブソング。憧れの夢の歌をシティ・ポップとともに楽しみたい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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