Web音遊人(みゅーじん)

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#032 多様な世界観が導いた普遍的な“聴きやすさ”~オスカー・ピーターソン・トリオ『プリーズ・リクエスト』編

2004年、オスカー・ピーターソンの最後の来日となったステージを観ることができました。

その四半世紀ほど前、まだ高校生だったころに一度、来日公演のチケットを購入したことがあったのですが、残念ながら本人の腱鞘炎が悪化したために来日中止となってしまい、ボクのオスカー・ピーターソン体験は保留のままだったのです。

ジャズを聴き始めたばかりの高校生にとってのオスカー・ピーターソンは、とにかく“速弾き”“超絶技巧”で圧倒するピアニストというイメージで、ジャズがなにかもよくわからなかったけれど「いちばん速い」と思われる人の演奏なんだから「観ておかねば!」と考えて、チケットを買ったんだと思います。

その後は異なるスタイルのジャズ・ピアニストたちに魅了されるようになって、オスカー・ピーターソンとは距離を置く日々が続いていたのですが、ジャズのライターとして活動するようになってから観た2004年の彼の雄姿は、四半世紀前に抱いていたイメージとはまったく違うもので、それがまたジャズの奥深さを解き明かすヒントにもなったと思っています。

そんな懐の深いオスカー・ピーターソンの代表作を、聴き直してみましょう。


プリーズ・リクエスト/オスカー・ピーターソン・トリオ

アルバム概要

1964年にニューヨークのスタジオでレコーディングされたアルバムです。

オリジナルはLP盤でリリースされ、A面に5曲、B面に5曲の全10曲を収録。CD化の際も同曲数・同曲順です。

メンバーは、ピアノがオスカー・ピーターソン、ベースがレイ・ブラウン、ドラムスがエド・シグペン。

収録曲はアルバム・タイトルから想像できるように、オスカー・ピーターソン・トリオがファンからのリクエストに応えるという体で、耳慣れた曲が並んでいます。

特に、『コルコヴァード』や『イパネマの娘』といった、アメリカでもヒットを記録していたボサノヴァの代表曲を取り上げているところが、ミュージカルやレヴューのヒット曲が中心だったそれまでの“ジャズ・スタンダード集”とは異なっていると言えるでしょう。

“名盤”の理由

とにかく「聴きやすい!」というのが、ボクの本作に対する30年来の評価です。

それ以前の10年ほど、「ジャズってなにから聴き始めればいいの?」と問われたときにボクが勧めていたのはビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』を中心とした作品群だったのですが、「きれいなジャズだとは思うんだけど、なんだか難しいかも……」という反応が返ってくることがたびたびありました。

そうした反応を示す人への代替案として探していた作品のうち、最も評判が良かったのが本作だったのです。

ピアノ、ベース、ドラムスというサウンド・バランスの良いトリオ編成、ブラジル生まれのボサノヴァというポピュラー音楽を含めたラインナップ、スウィング感たっぷりの粋で軽やかな演奏──。ジャズにおけるアフリカン・アメリカンの“主張”が拡大していく1960年代にあって、1920年代の旧き良き伝統を受け継ぎながらもロックが台頭する新しい時代に新しいサウンドをしっかりと取り込んでまとめあげているところが、“名盤”たるゆえんなのだと思います。

いま聴くべきポイント

本作の“聴きやすさ”はいまも変わっていません。

ただ、制作当時の“聴きやすさ”とは、ロックの台頭によってポピュラー音楽におけるジャズのポジションが変化したことと無関係ではなかったはずです。

そしてその結果、本作のラストに置かれている『グッドバイJ.D.』のような、圧倒的な音数を破綻なく躍動的なリズムのなかに溶け込ませるスタイルの演奏を本領としてきたオスカー・ピーターソンの個性を極力出さずに、リスナーのニーズに応じた商業的なアプローチに傾いたアルバムづくりをした(からこそ“商業的”にも成功した)ととらえられていたことは否めません。

しかし、60年を経たいまなら、そうした“色メガネ”を外して、冷静に本作の“聴きやすさ”と向き合えるのではないかと思うのです。

2025年はオスカー・ピーターソンの生誕100年の年。

多様性を先取りしたその演奏スタイルと音楽的思想について、ようやく再評価できる時期が来ていると言えるのではないでしょうか。

そうした再評価のためにも有用なコンテキストを、本作は持ち合わせていると思うのです。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:マキタスポーツさん「オトネタ作りも、音楽に関わるようになったのも、佐野元春さんに出会ったことから始まっています」

8542views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#015 ヘイトのない世界を考えるための時を超えたメッセージ~ジョー・パス『ヴァーチュオーゾ』編

1912views

楽器探訪 Anothertake

改めて考える エレクトーンってどんな楽器?

134998views

暖房

楽器のあれこれQ&A

ピアノを最適な状態に保つには?暖房を入れた室内での注意点や対策

57794views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

13713views

カッティング・エンジニア

オトノ仕事人

レコードの生命線である音溝を刻む専門家/カッティング・エンジニアの仕事

3805views

アクトシティ浜松 中ホール

ホール自慢を聞きましょう

生活の中に音楽がある町、浜松市民の音楽拠点となる音楽ホール/アクトシティ浜松 中ホール

15024views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

7114views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20258views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

1081views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.7

パイドパイパー・ダイアリー

最初のレッスンで学ぶ、あれこれについて

4850views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31113views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

10950views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20258views

ジョン・コルトレーン編 vol.6|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

音楽ライターの眼

ジョン・コルトレーン編 vol.6|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

6722views

オトノ仕事人

コンサートの音の責任者/サウンドデザイナーの仕事

12899views

われら音遊人

われら音遊人:オリジナルは30曲以上 大人に向けて奏でるフォークロックバンド

4651views

マーチングドラム

楽器探訪 Anothertake

これからのマーチングドラム ~楽器の進化の可能性~

12896views

荘銀タクト鶴岡

ホール自慢を聞きましょう

ステージと客席の一体感と、自然で明快な音が味わえるホール/荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)

12190views

パイドパイパー・ダイアリー

こうしてわたしは「演奏が楽しくてしょうがない」 という心境になりました

8729views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

9069views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

10179views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31113views