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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#033 ジャズの潮流を逆回転させるきっかけとなったハード・バップの“教科書”~ソニー・クラーク『クール・ストラッティン』編
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2024.4.3
tagged: クール・ストラッティン, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, ソニー・クラーク
ストラット(strut)とは「闊歩する」という意味の英語。そこに「イケてる」という意味のクール(cool)を付けて現在進行形にしたのが、本作のタイトル。
残念ながら、発売当時のアメリカ国内ではそれほど「イケてる」という評価を得なかったものの、海を渡って届けられた日本では大ブレイクして、“ハード・バップのクラシック(=古典)”と呼ばれるまでの別格扱いをされ続けている“名盤”です。
なぜ、本国と日本では極端といえるほど評価に違いがあったのか、その背景を考えながら、この“名盤”を聴き直してみましょう。
1958年1月にスタジオで録音された作品です。
オリジナルはLP盤でリリースされ、A面に2曲、B面に2曲の合計4曲を収録。CD化の際にも同曲数同曲順でリリースされています。また、ボーナス・トラック2曲が追加されたヴァージョンもあります。
メンバーは、ピアノがソニー・クラーク、アルト・サックスがジャッキー・マクリーン、トランペットがアート・ファーマー、ベースがポール・チェンバース、ドラムスがフィリー・ジョー・ジョーンズという5人編成(クインテット)。
収録曲は、ソニー・クラークのオリジナルが2曲(『クール・ストラッティン』と『ブルー・マイナー』)、マイルス・デイヴィス作曲の『シッピン・アット・ベルズ』、スタンダード・ナンバーの『ディープ・ナイト』という構成で、ボーナス・トラックの『ロイヤル・フラッシュ』はソニー・クラーク作曲、『ラヴァー』はスタンダード・ナンバーです。
まず、当時の日本の音楽的な時代背景を確認しておきましょう。
第二次世界大戦後の日本で巻き起こったジャズ・ブームのピークは1953年。その後はカントリー・ミュージックやハワイアン、フォークなど洋楽全般が流行していったため、スウィングを軸としたジャズへの一般的な興味は薄らいでいました。
一方のアメリカでは、1950年代にビバップから発展したハード・バップのスタイルがジャズ・シーンを席巻。
そのハード・バップのスタイルのジャズが日本に上陸したのは、1961年1月に実現したアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの来日がきっかけでした。そこから巻き起こった新たなジャズ・ブームによって、日本でもハード・バップがメインストリームとなりました。
その背景に、日本のジャズ・ファンの耳と心を魅了した本作が存在し、ハード・バップのエッセンスを学ぶための最適なテキストとしての役割を果たしていたことが、“名盤”とされる第一歩に結びついているのではないかと推察できます。
さらに、当時の日本でアメリカのジャズ・シーンの動向を把握していたのは、数か月から数年遅れで輸入されるレコードに接していた一部のマニアだけという状況を考えると、“希少性”という意味で本作が特別視されるひとつの要因にもなっていたと思われます。
20歳だった1951年にアメリカ西海岸のカリフォルニアを拠点に音楽活動を展開するようになったソニー・クラークは、自身のハード・バップのスタイルを活かすためにニューヨーク進出をめざします。
1957年、人気絶頂だった歌手のダイナ・ワシントンの伴奏者としての職を得てニューヨークへ移った彼は、すぐにその腕を見込まれてサポートとして多くのオファーを受けるようになり、本作を企画したブルーノート・レコードの目にも留まって、専属ピアニストのように起用されていきました。
ということは、少なくとも関係者のあいだでは「ソニー・クラークってイケてるよね」と思われていたはずなので、それがアメリカでの一般的なブレイクにつながらなかったのには別の理由があったことになるわけです。
ソニー・クラークの特色といえば、訥々とした哀愁漂うメロディーを紡ぎ出す右手と、リズミカルな和音をコンピングする左手の絶妙なバランスで、それがハード・バップというスタイルのなかで効果を最大に発揮する“武器”となっていたのですが、彼がニューヨークに移ってきた1950年代後半は、マイルス・デイヴィス・クインテットがモード・ジャズを打ち出したり、そこから独立したジョン・コルトレーンがシーツ・オブ・サウンドというコンセプトで走り出したり、他方ではフリー・ジャズが勃興したりと、ジャズの多様化が激しくなってきたタイミング。
はっきり言ってしまえば、ソニー・クラークはアメリカのジャズの流行に“乗り遅れた”と言わざるを得ないわけです。ところが、流行の“波”が時間差で届く当時の日本では、ジャストなタイミングだった──というところに、“名盤”となる発端があったのではないか……。
そして、日本におけるジャズの評価が、1980年代以降にアメリカへ逆輸入されるきっかけにもなったといえることが、現在の本作の“名盤”たるゆえんでもあると思うのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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