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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase21)モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」とペット・ショップ・ボーイズの16分音符はイントロスペクティヴ
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2024.4.5
tagged: モーツァルト, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ペット・ショップ・ボーイズ
モーツァルトのピアノ協奏曲は第27番まであるが、短調の作品は2つしかない。特に人気なのが「第20番ニ短調K.466」。文芸評論家の小林秀雄が「モオツァルト」の中で「かなしさは疾走する」と書いたのは別の短調の曲だが、その言葉の典拠となったアンリ・ゲオンの著作では、長調の曲を指している。とはいえニ短調のピアノ協奏曲でもかなしさは疾走し、内省的な16分音符がアレグロの美しさを際立たせる。哀愁の16ビートで疾走するペット・ショップ・ボーイズのアルバム「イントロスペクティヴ(内省的)」のように。
モーツァルトの作品はほとんどが明るい長調で書かれている。コンサート用の交響曲や協奏曲ではとりわけ長調の作品の比重が高い。それだけに「交響曲第40番ト短調K.550」は「かなしみのシンフォニー」などと呼ばれて重宝がられる。ピアノ曲や室内楽では短調の曲がまだ比較的あるほうだ。
日本では短調を好む傾向が強い。小林秀雄もモーツァルトの短調の作品を愛した。著作「モオツァルト」にまず登場するのは「交響曲第40番ト短調」。大阪の道頓堀を放浪していた時代の冬の夜、第4楽章アレグロ・アッサイ(十分に速く)のテーマが頭の中で突然鳴ったとして、譜例を入れて紹介している。さらには「弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516」を第1楽章第1主題の譜例付きで紹介しつつ、有名なキーワード「tristesse(かなしさ)」を登場させる。
小林は「tristesse(かなしさ)」をスタンダールの言葉として挙げたが、さらにフランスの劇作家ゲオンの1932年の著作「モーツァルトとの散歩(Promenades Avec Mozart)」(音楽評論家の高橋英郎訳で1988年白水社刊)から「tristesse allante」というより重要なキーワードを引き出している。「allante」は動詞「aller(行く)」の現在分詞でもあるが、「元気旺盛な、はつらつとした」を意味する形容詞だ。よって「tristesse allante」は直訳すれば「はつらつとしたかなしみ」。小林はこれを訳さないまま、「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」(小林秀雄「モオツァルト・無常という事」新潮文庫、45㌻)と書き、「万葉集」の「かなし」の表現に結び付けている。
ゲオンの指摘は「爽やかな悲しさ」
ところでゲオンの「モーツァルトとの散歩」を読むと、「tristesse allante」は、「弦楽五重奏曲第4番ト短調」を引き合いに出しながらも、実は「フルート四重奏曲ニ長調K.285」第1楽章アレグロについて述べている言葉だと分かる。高橋英郎訳では「足どりの軽い悲しさ」。しかもゲオンは「爽やかな悲しさ(allègre tristesse)」と言い換えてもいる(同訳書114~115㌻)。
文芸評論家の高橋英夫は著書「新編 疾走するモーツァルト」(講談社文芸文庫、2006年、初出は「新潮」1986年6月号)で、小林のゲオンの著作からの引用について論じた。そして「かなしさは疾走する」を小林的「誤訳」もしくは「一種の創造的誤解」と指摘した。しかし小林は意訳をしてでも、モーツァルトの短調のアレグロを創造的に解釈し、日本古来の「かなし」に結び付けたかったのではないか。「モオツァルト」は終戦から間もない1946年の著作である。
モーツァルトの本質は、明るい長調にさりげなく差し込む「爽やかな悲しさ」にある。それはアンビバレントな繊細さ、ゲオンが指摘する「晴れやかな陰翳」(高橋英郎訳)である。ならば冒頭から暗い情熱がほとばしる「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」のような短調の作品は異例だ。それでも1785年のウィーン初演では、珍しい「ニ短調」への挑戦が、貴族や音楽家を中心とした当時の教養の高い聴衆にウケたようだ。父レオポルトやハイドンが初演の好評ぶりを伝えている。
では「第20番ニ短調」の価値と人気の理由は何か。それは次代のロマン派を予告する前衛音楽だったことだ。ベートーヴェンをも飛び越えて、ロマン派音楽を先取りした。ショパン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ラフマニノフら19~20世紀初めのロマン派のピアノ協奏曲は今も非常に人気がある。「第20番ニ短調」はモーツァルト好きもロマン派好きも惹きつける魅力を持つ。
「第20番ニ短調」はベートーヴェンが愛好したことでも知られ、ロマンチックで抒情的、内省的で劇的である。快速で進む第1楽章アレグロはとりわけそうだ。分かりやすい哀愁が快適なスピード感で鳴るのだから、この曲についても「かなしみは疾走する」と呼びたくなる。魅力の源泉は、ピアノや弦楽器が連続的に鳴らす8分音符と4分音符によるシンコペーション、そこに絡む16分音符の速いフレーズにある。これらは旋律というよりも分散和音、コード進行、あるいは一種の16ビートのリズムといえる。
ではモーツァルトは「第20番ニ短調」を通じて内面的な苦悩や悲しみを告白したか。この曲は予約演奏会に間に合わせるため、いつも以上に速攻で仕上げられたといわれる。そこに個人の内面を表出する深刻さはあっただろうか。第3楽章では明るいニ長調でシリアスな芝居を幕引きしている。むしろクールな職人気質で「ニ短調を使えばこれだけ内省的で劇的な音楽表現ができますよ」と示したのではなかろうか。18世紀後半の最新鋭の鍵盤楽器ピアノを駆使し、新しい試みで人々を驚かせ、感動させたアーティストの姿がそこにある。
20世紀後半、最先端の鍵盤楽器はシンセサイザーだった。モーツァルトがピアノで真珠を転がすような16分音符の速いフレーズを鮮やかに鳴らしたように、シンセサイザーによるダンス・ポップは技巧を凝らした16ビートを響かせる。英国のデュオ、ペット・ショップ・ボーイズはシンセ・ポップの代表格。1988年の3枚目のアルバム「イントロスペクティヴ」は最高傑作だ。その名の通り、内省的(イントロスペクティヴ)で6~9分と長めのディスコ・リミックス・ヴァージョンの6曲が続く。
シンセサイザーによる機械的な響きやリズムにもかかわらず、いずれの曲も哀愁を帯び、エモーショナルでドラマチックだ。そこには電子楽器を駆使して内省的な音楽ドラマを組み立てるクールな職人技がある。哀愁の16ビートの最たる曲は4曲目「I’m Not Scared(モンマルトルの森)」。精密で強力な16ビートに乗って、ハ短調のかなしみの旋律が駆け抜けていく。モーツァルトの短調の作品をリミックスすれば、哀愁のパリのシンセ・ポップになるかのようだ。
「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」でも、パリのラムルー管弦楽団をイーゴリ・マルケヴィッチが指揮し、クララ・ハスキルがピアノを弾いた録音が名盤とされている。母を亡くした地パリはモーツァルトの短調が似合う。人は常に爽やかな気分でいられるわけではない。人それぞれの意訳だとしても、モーツァルトの「かなしさは疾走する」があっていい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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