今月の音遊人
今月の音遊人:May J.さん「言葉で伝わらないことも『音』だったら素直に伝えられる」
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音楽番組の方向性や出演者を決定し、全体の指揮を執る総合責任者/音楽番組プロデューサーの仕事
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2023.10.16
テレビ朝日系列で放送されている『題名のない音楽会』は毎週さまざまな音楽やアーティスト、楽器などをテーマに取り上げ、その魅力を解説する音楽番組だ。2024年には放送開始60周年を迎える「世界一長寿の音楽番組」を支えるプロデューサー・演出の鬼久保美帆さんに話を聞いた。
プロデューサーとは、音楽やテレビ番組、映画作品などの制作現場での総合責任者。スポーツチームで例えるなら「監督」というイメージだろうか。1964年にスタートし、現在もテレビ朝日系列で放送中のクラシック音楽番組『題名のない音楽会』でプロデューサーを務める鬼久保美帆さんが答えてくれた。
「そうですね。プロデューサーはプロジェクト全体を統括して制作物の輪郭を作り、指針を決めます。私自身、企画の方向性づけと出演者の人選、全体的なスケジュールと予算の管理などが仕事の中心ですし、番組一切の責任を持つ立場です。また、演出も兼任しているので、各回でどんなテーマを立てて、どういった曲を取り上げるかという基本的な構成も行っています」
『題名のない音楽会』は、作曲家の黛敏郎が初代司会を務めた番組開始当初から「バッハから美空ひばりまで」がひとつのキャッチコピーになっていたほど、これまでに多種多様な音楽や楽器、アーティストを取り上げてきた。2015年には「テレビ番組としていかに多くの視聴者に興味を持ってもらえるか」ということに重点を置いて、番組制作陣を刷新したという。
「どういったスタッフを集めてチームを作るかが、プロデューサーのいちばん重要な仕事かもしれません。当時、音楽に詳しくない方にも興味を持っていただけるような魅力作りがさらに必要だと考えて、『ロンドンハーツ』や『アメトーーク!』といったバラエティ番組に数多く携わっている放送作家の中野俊成さんにチーフ構成作家として加わっていただきました」
制作スタッフには音楽専門のアドバイザーも参加しており、柱となる音楽的テーマにテレビ番組としてのより良い見せ方を肉付けしていく。
「そうしてできたものを視聴者の方に『観たい!』と思っていただくために何が必要なのかをいつも考えています」
『題名のない音楽会』は現在も年間をとおして毎週一回、ほぼ休みなく放送を続けている。
「正直言うと体力的にしんどいなと思うこともありますが、それ以上にやはり喜びが大きい仕事ですね」
その喜びにつながる要素のひとつが、2023年2月で放送回数2,800回を迎えたこの長寿番組が持ち続けてきた「若い才能の発掘」という姿勢だろう。その代表のひとりがピアニストの反田恭平だ。2007年当時、12歳の中学生だった彼は、公募で選ばれた一般視聴者がオーケストラの指揮を行う企画『振ってみまSHOW!』に出演し、ベートーヴェン『交響曲第七番』を指揮。この経験が音楽家を志すひとつのきっかけになったという。
「若手演奏家の発掘をという意識は常に持っていて、今でも週に3~4本のコンサートに出かけています。それと番組企画での募集ですね。反田さんもそうでしたし、『指揮者クリニック』や『夢響』といった募集参加型の企画に出演してくださった中からプロになられた方もたくさんいらっしゃいます。皆さんの努力と才能があってのことですが、番組を通じて実際のステージ経験やオーケストラとの共演機会を得ることで士気が高まって、さらに強いモチベーションや目標を持たれたのかもしれません。いずれにしても、番組としてそうした方々の足跡を追えるのは、長く続いているからこそだと思います」
後進の育成という意味では、過去3回放送されたバイオリニストの葉加瀬太郎を講師に招く『題名プロ塾』も外せない企画だ。
「この企画の主旨は、クラシックはもちろん、ポップスの演奏力も兼ね備えたアーティストを育成したいという想いです。そうした意味でも『クラシックだけでなく、違う視点で見てみればできることや世界は広がるんだよ』というメッセージを込めて定期的に放送しています。偉そうな言い方かもしれませんが、番組作りというよりも音楽文化の創造や継続のための一助になればという気持ちが強いかもしれません」
鬼久保さん自身も幼少期からピアノのレッスンに通い、一時期は声楽家を目指していたが、声帯ポリープの発症などもあり断念。しかし「音楽を学びたい」という想いを捨てきれず、東京藝術大学楽理科に進学した。
「急な方向転換だったので、とにかく急ピッチで英語と作曲、小論文を猛勉強しました。私はもともとテレビが大好きで、歌番組からアニメ、バラエティまでいろいろな番組を楽しんでいた子どもだったんです。そんなこともあって大学に進学するころには『テレビの音楽番組を作れたらいいな』と考えていました」
希望を叶えた現在のプロデューサーという仕事については「自分の経験や幼いころの夢などがうまい具合に合体した結果」と言う。
「音楽の豊富な知識を持っているからと言ってテレビ番組として形にできるとは限りません。けれど、やはり学んでおくべきことは多いですし、知識がないと難しい面もあるので、『題名のない音楽会』という番組を担当できている今は、これまでのさまざまな経験が糧になっているとも感じます」
2000年から20年以上携わってきた『題名のない音楽会』は、2024年に放送60周年を迎える。
「番組に登場してくださった数多くの演奏家の方々が国際的に活躍されるようになっていますし、私たちも負けることなく、今後も若い才能をどんどん発掘していきたいです。そして、さらなる未来へとバトンをつなぎたいと思っています」
Q.どんな子どもでしたか?
A.スポーツ好きで、ピアノやクラシックのレッスンに通いながら、小学生のころは軟式の草野球チームに入っていました。毎朝6時から父親相手にピッチング練習です(笑)。高校時代は軟式テニス、大学時代は硬式テニスと、学生時代はずっと体を動かしていました。
Q.印象に残っているコンサートは?
A.幼いころからいろいろと連れて行ってもらいましたが、印象に残っているのはポップスのコンサートばかりですね。後楽園球場でのピンク・レディー『さよならコンサート』とか、クイーンの日本武道館やビリー・ジョエルの代々木体育館でのライブも鮮明に覚えています。
Q.興味のあることは?
A.歌舞伎です。古典物はもちろん、最近は『風の谷のナウシカ』や『ファイナルファンタジー』といった新作も生まれていますし、初音ミクと共演する『超歌舞伎』などの斬新な取り組みもあります。歌舞伎ファンと各作品のファン、そのどちらも納得させる魅力や理由はどこにあるのかと考えるとおもしろいですし、発想転換の参考にもなっています。
Q.鬼久保さんにとって音楽とは?
A.仕事ですから、もはや「好き」という対象とも違うかなと感じていたんですが、コロナ禍の自粛期間が明けて最初に行ったオーケストラコンサートで驚くほど号泣しました。久しぶりに生の音に触れたことで、音楽がこれほどまでに自分の生きる力になっていたんだと実感したんです。今でも音楽をとおして学ぶことは多いですし、喜びもつらさも経験している。そう考えると音楽は私の一部ですね。
文/ 高内優
photo/ 坂本ようこ
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tagged: オトノ仕事人, プロデューサー, 鬼久保美帆, 題名のない音楽会
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