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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#047 コテコテのメロディに芸術性を与えた“下支え”の賜物~アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『モーニン』編
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2024.10.28
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ, モーニン
アート・ブレイキーの最高傑作であるのみならず、モダン・ジャズの最高傑作(註:米オンライン音楽データベース“All Music”のレヴューによる)とも言われる本作なので、“名盤”としていまさらなにも付け足すことはない──となればここで本稿も終了してしまうわけですが、そうもいきません。
そこで今回は視点を変えて、本作をリーダーのアート・ブレイキーではなく、参加メンバーのベニー・ゴルソンに注目して考察してみたいと思います。
折しも今年9月21日に「享年95でベニー・ゴルソン逝去」という訃報を耳にしたばかりなので、彼への追悼の意を込めて聴き直してみましょう。
1958年にスタジオでレコーディングされた作品です。
オリジナルはLP盤で、A面3曲B面3曲の合計6曲を収録。CD化は日本で同曲数同曲順のヴァージョンが先行し、アメリカではタイトル曲『モーニン』の未発表テイクを追加した7曲収録ヴァージョンがリリースされました。また、フランス録音のボーナス・トラック4曲入りの10曲収録ヴァージョンなどもあります。
メンバーは、リーダーでドラムスがアート・ブレイキー、トランペットがリー・モーガン、テナー・サックスがベニー・ゴルソン、ピアノがボビー・ティモンズ、ベースがジミー・メリットのクインテット。
オリジナル盤の収録曲は、タイトル曲がボビー・ティモンズ作、ほかの5曲はベニー・ゴルソン作という、すべてオリジナル曲での構成になっています。
1919年に米ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれたアート・ブレイキーは、20代で早くもビッグバンドの花形ドラマーとしての地位を確立する一方、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーといったビバップのオリジネーターたちとも共演を重ね、その動向に注目していたブルーノート・レコードからの誘いで1947年にアート・ブレイキーズ・メッセンジャーズ名義でレコーディング(12インチSP盤)を行なっています。
本格的始動ともいうべきは1950年代半ばで、彼が立ち上げたクインテットが1954年2月にニューヨークのジャズクラブ“バードランド”で行なったライヴが“ハード・バップの誕生”とされているほどエポックメイキングなものでしたが、翌年にメンバーを入れ替えてザ・ジャズ・メッセンジャーズを結成するも、コ・リーダー的存在だったホレス・シルヴァーの離脱やメンバーの入れ替えがあり、再起動というかたちで臨んだのが本作でした。
このタイミングでザ・ジャズ・メッセンジャーズに参加したのがベニー・ゴルソンです。1929年に米ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた彼は、恵まれない家庭環境ながら9歳でピアノを習い始め、高校時代はブラームスやショパンに感化される一方でサックスに転向し、ビバップの潮流のなかでその腕を磨いていきます。
大学を卒業すると本格的にR&Bバンドで音楽活動を始め、そこで出逢ったタッド・ダメロンのバンドなど、数々のビバップ系バンドを渡り歩くようになります。
1959年にアート・ファーマーと双頭六重奏団“ジャズテット”を結成して自己名義の活動を始め、1960年代から70年代後半にかけてはテレビ・ドラマの音楽などスタジオ・ワークに専念、70年代後半からライヴの“現場”に復帰し、2016年にも(ラスト・スタジオ・レコーディングとなった)アルバム『ホライゾン・アヘッド』をリリースするなど、シーンの最前線を走り続けていました。
こうした経歴から、時代が求めるアンサンブル・アレンジに長け、それを提供することでジャズの芸術性を高める下支えをしてきたと言えるのが、ベニー・ゴルソンではないかと思うのです。
彼がいたからこそ、ボビー・ティモンズが作ったコール・アンド・レスポンスとブルースのコード進行という“コテコテのメロディ”の曲『モーニン』を、ハード・バップというスタイリッシュで時代の最先端を行くイメージにシフトさせることができたゆえの“名盤”だ──と思うわけです。
ベニー・ゴルソンの演奏は、独特のクールなサブトーンを流麗なフレージングで折り重ねていくスタイルで、同時代のジョン・コルトレーン(2歳年上の高校の先輩で、ベニー・ゴルソンの自宅で一緒にサックスの練習もしたことがある仲だったそうです)に代表されるような幾何学的(あるいは数学的)なスタイルとは異なるとされています。
しかし本作を聴くと、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』を彷彿とさせるようなフレージングが出てきたりして、彼なりにジャズ・シーンを研究してオマージュしたプレイが記録されているのではないかと感じる箇所が少なからずあります。
とはいえ、アート・ブレイキーとボビー・ティモンズのアクセントのハッキリしたプレイが前面に出ているため、ベニー・ゴルソン本来のスタイルが目立たないのも事実。でも、まさにそれこそが“芸術性を高める下支え”をまっとうしているということではないでしょうか。
理詰めになりすぎず、エンタテインメント性と歌心をバランスよく配置できたベニー・ゴルソンの参加があったからこそ、この“名盤”は生まれたのだ──という賛辞とともに彼のご冥福を祈りたいと思います。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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