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今月の音遊人:谷村新司さん「音がない世界から新たな作品が生まれる」
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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#52 情動を理性に包んで発露したジャズ版協奏曲~マイルス・デイヴィス『クールの誕生』編
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2025.1.15
tagged: マイルス・デイヴィス, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?
本作なくしてマイルス・デイヴィスのその後のキャリアはなかったと言われながら、本作で「なにが誕生したのか?」がイマイチよくわからなかった……。
そんな思いを吹っ切るべく、この“名盤”の背景をたどりながら、功績を明らかにしていきたいと思います。
1949年の1月と4月、そして1950年の3月の3回にわたってスタジオでレコーディングされた作品です。
オリジナルは、曲ごとに10インチ78回転のシングル盤用に収録されて、別々にリリースされました。
そのうちの数曲ずつをまとめたヴァージョンとして、1954年に10インチLP盤『マイルス・デイヴィス クラシックス・イン・ジャズ』と2枚の7インチEP盤『マイルス・デイヴィス クラシックス・イン・ジャズ パート1&2』を発売。その3年後の1957年にリリースされた12インチLP盤(このときに『クールの誕生』とタイトルされました)では、シングル盤の8曲と、コンピレーション・アルバム『Cool and Quiet』収録の1曲、未発表だった2曲を加えた11曲(A面6曲とB面5曲)を収録しています。
1971年には唯一のヴォーカル入りの曲『Darn That Dream』を追加した12曲収録のLP盤やカセット・テープ、1948年3月のライヴ音源を追加した25曲収録のコンプリート・ヴァージョンCDなどがあります。
メンバーは、3回のスタジオ・セッションすべてに参加しているのが、トランペットのマイルス・デイヴィス、アルト・サックスのリー・コニッツ、バリトン・サックスのジェリー・マリガン、チューバのジョン・バーバーの4名。ほかに、ベースがアル・マッキボン、ジョー・シュルマン、ネルソン・ボイドの3名、ドラムスがケニー・クラーク、マックス・ローチの2名、フレンチ・ホルンがジュニア・コリンズ、ガンサー・シュラー、サンディ・シーゲルシュタインの3名、ピアノがアル・ヘイグ、ジョン・ルイスの2名、トロンボーンがJ. J. ジョンソン、カイ・ウィンディングの2名、といった面々が曲ごとに参加し、編曲はギル・エヴァンスが担当しています。
収録曲は、いわゆる“ジャズ・スタンダード”と呼ばれていたような、ミュージカルやレヴュー、映画に用いられていたものではなく、ジャズ・ミュージシャンが自ら作曲したもので構成されていることが大きな特徴だと言えるでしょう。
事の発端は1947年。
マイルス・デイヴィスはディジー・ガレスピーの後任としてチャーリー・パーカー・クインテットに加入し、当時の最前線ジャズであったビバップを継承する“最高順位”に上り詰めていました。
そんなチャンスをもらいながらも、心中では「ジャズはこのままでいいのか?」という思いが拭いきれなかったようなのです。
その原因は主に、ビパップに求められていた「音色やスピード」と、「アドリブ偏重のスタイルへの固執」に対する違和感だったのではないかと推測します。
前者については、マイルス・デイヴィスの得意とする中音域を活かしてメロディをしっかりと歌っていくタイプのプレイと、ビバップの特徴と言われる高音域を多用した音数の多いスピーディーなプレイに乖離があったことをあげることができるでしょう。
後者については、チャーリー・パーカーに代表されるプレイスタイルが、演奏ごとに異なるフレージングで曲を構成していくような“芸術的なひらめき”によって高い評価を得ていたものの、そんな“芸術的なひらめき”は偶発性が高く持続可能性が低いと思うようになっていたのではないでしょうか。
不世出のオリジネイターであるチャーリー・パーカーとともにステージに立つマイルス・デイヴィスだからこそ、ジャズの可能性をビバップの限定的な制約で阻害しないためのアプローチを考えるようになったと言えます。
当時、米ニューヨーク・マンハッタン55番街にあったマンションには、クロード・ソーンヒル楽団の編曲で注目を集めていたギル・エヴァンスのもとに、同僚のジェリー・マリガンらビパップに限界を感じていたミュージシャンが集まるようになっていて、マイルス・デイヴィスも巻き込んで“次世代のジャズ”を生み出そうというプロジェクトが始まります。
これが“クールの誕生”の“卵”ともいうべき部分。
このプロジェクトはマイルス・デイヴィス・ノネット(九重奏団)を結成して1948年秋にライヴ(といってもカウント・ベイシー楽団の前座)を実施、前述のように1949年から翌50年にかけて計3回のレコーディングを行なうことになり、ノネット自体の継続的な活動には至らなかったものの、1950年代以降の“ジャズの指針”のひとつとして歴史に刻まれることになります。
スウィングからビバップに至るジャズにおいて、重要な“空気感”は「ホットであること」すなわち「情動の高まりを表現できていること」だったと思います。
それゆえに、コードワークのなかでひらめいたフレージングを織り込むといった、従来の譜面至上主義的な音楽理論にはない自由さが高く評価され、主流になっていったのです。
だとすれば、その潮流のカウンターである“クール”は“情動の高まりを制御する”んだから、落ち着いた静かな傾向のサウンドなんだよね、きっと……。
──と思わせてしまうところに大きな誤解があったのではないかと思うのです。
いま聴き直しても、本作の演奏は落ち着いているわけでも静かなわけでもなく、スウィング感たっぷりな熱い演奏が詰め込まれています。
では、なにがクールなのか──。
バリトン・サックスやチューバを入れて低音部を厚くした編成をバランスよく配置できる編曲のなかで、いかにソロ・プレイヤーの存在感を際立たすことができるかといった、クラシック音楽で言うところの協奏曲的な発想をジャズに持ち込んだのが、本作に至るプロジェクトだったのではないでしょうか。
スウィング全盛期を支えたビッグバンド・ジャズの系譜で変革をしたのではなく、ビバップのカウンターとしてアプローチを試みたからこそ、本作に示された“クール”のスピリッツがハード・バップや新主流派といった1950~60年代のメインストリーム・ジャズに受け継がれていったことが見えてくるはずです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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