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今月の音遊人:﨑谷直人さん「突き詰めたその先にこそ“遊び”はあると思います」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase46)「カルメン」初演とビゼー没後150年、パリ・コミューンのトラウマ、見出された民衆と自由を求めて
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2025.4.21
tagged: オペラ, 音楽ライターの眼, カルメン, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ビゼー
ジョルジュ・ビゼー(1838~75年)の歌劇「カルメン」は捨て曲無し。全曲がベスト盤だ。2025年は初演とビゼー没後から150年。2月22日東京文化会館(東京・台東)での沖澤のどか指揮読売日本交響楽団と東京二期会による「カルメン」は、淀みなく進行する音楽で魅了した。全4幕を聴けば、単なるスペイン趣味ではなく、1871年パリ・コミューンのトラウマを経て民衆を発見し、自由を求めたフランスのオペラであることが分かる。
パリのオペラ・コミック座で1875年3月3日に初演された「カルメン」は、曲と曲の間を語りの台詞でつなぐオペラ・コミック様式だった。同年6月3日にビゼーが36歳で急逝した後、友人の作曲家エルネスト・ギローが台詞をレチタティーヴォ(朗唱)に変えたグランドオペラに改編し、世界に知られるオペラとなった。その後、オリジナルを見直す動きも起こり、1964年、ドイツの音楽学者フリッツ・エーザーがビゼーの自筆譜を校訂し、元来のオペラ・コミック様式の楽譜として独アルコア社から出版した。
2月の沖澤指揮東京二期会の「カルメン」(イリーナ・ブルック新演出)は、コミック・オペラのエーザー版ともグランドオペラのギロー版とも異なっていた。沖澤の指揮は歯切れよく快速な進行で秀逸だった。アリアが終わって拍手が巻き起こっている最中でも、構わず次の曲へと演奏を進めるのだ。聴いていくうちに、この「カルメン」にはオリジナルの語りの台詞もギロー改作のレチタティーヴォもないことが分かった。
東京二期会オペラ劇場「カルメン」(沖澤のどか指揮読売日本交響楽団)のポスター(2025年2月22日、東京文化会館にて)
台詞もレチタティーヴォも無くていい。ビゼー自身が作曲した音楽(歌や管弦楽曲)のみを演奏することによって、「カルメン」という作品全体の一貫した構成と統一感が明らかになるからだ。全曲から成るベストアルバムとも呼ぶべきオペラは、同時代のワーグナーの楽劇と比べれば、音楽の密度がはるかに高く感じられる。台詞を挟まないことで独唱や合唱、重唱と管弦楽曲の連関性が深まり、各場面の情景の印象も強まる。
例えば第1幕。カルメンが働くタバコ工場門前の広場で兵士たちが行き交う人々を眺める冒頭の場面。「広場では誰もが行ったり来たり。おかしな人たちだ」と歌う合唱の中にすでに第2幕でエスカミーリョが歌う「闘牛士の歌」を思わせる音型が刻み込まれている。「おかしな人たち(Drôles de gens)」とは、眺めている分にはおもしろい民衆のことだ。ではそうでない分にはどうなるか。弾圧されたり、逮捕されたりするのか。
沖澤指揮東京二期会公演ではこうした背景的な場面も重要な意味を持って立ち現れた。続く子供たち、若者ら、そしてタバコ工場から出てくるカルメンら女工たちの合唱。貧しくも生命力にあふれる人々の群れは労働者たちだ。女工をナンパしようとする兵士たち。そこにドン・ホセ伍長を探しに来た純朴な女性ミカエラが紛れ込んだり、ロマ族の女工カルメンが登場したりする。カルメンは女工仲間への傷害容疑で逮捕される。カルメンを連行するホセは彼女に恋し、わざと転んで逃げさせた罪で処罰される。
「カルメン」といえば、すぐにスペインが思い浮かぶ。舞台はアンダルシア地方の中心都市セビリア。モーツァルトの「フィガロの結婚」、ロッシーニの「セビリアの理髪師」と同じ街だが、「カルメン」にはこの二大オペラとは比較にならないほどスペイン情緒が音楽にも舞台にも漂う。フラメンコに闘牛、生死を懸けた男女の愛憎劇となると、いかにも情熱のスペインを想像しやすい。ホセは第3幕でカルメンのいるロマ族の密輸組織と旅をするが、ロマ族を難民のイメージと結び付けるのもたやすい。
フランスの作家プロスペル・メリメの原作小説「カルメン」では、スペインやロマ族の情緒が怪奇性を帯びるほどにもっと濃厚だ。ではオペラの台本はどうか。小説とはだいぶ異なっている。小説でのカルメンは男性を騙して盗みを働く娼婦だが、オペラではタバコ工場の労働者。小説では端役にすぎない闘牛士エスカミーリョがオペラでは華々しい大役となり、小説に登場しない純真なミカエラが公序良俗の象徴のように立ち回り、カルメンと対比される。
Carmen – Air du Toréador (Roberto Tagliavini & Clémentine Margaine)
「カルメン」の台本はリュドヴィク・アレヴィとアンリ・メイヤックの共作。リュドヴィクは19世紀前半のフランスを代表するオペラ作曲家ジャック・アレヴィ(1799~1862年)の甥。アレヴィ家はユダヤの名門一族。ジャック・アレヴィはグランドオペラ「ユダヤの女」で名声を博し、フランス・オペラ界の権威だった。ビゼーはこの大作曲家の娘ジュヌヴィエーヴと1869年に結婚した。ジュヌヴィエーヴはビゼーの死後、ロスチャイルド家と血縁の銀行家と再婚し、マルセル・プルーストの長編小説「失われた時を求めて」のゲルマント公爵夫人のモデルとなった。
トーマス・ビーチャム指揮フランス国立管弦楽団によるビゼー:歌劇「カルメン(全曲)」(CD3枚組、1958~59年録音、ワーナー)
上流階級の人々がアレヴィやオッフェンバックの作品に親しんできたオペラ・コミック座で「カルメン」を初演するにあたり、殺人や売春など公序良俗に反するメリメの小説の内容を和らげる台本が求められた。だが原作の改変によって意外にも明るみに出たのは、当時のフランスの労働者階級や第三共和制初期の富裕層中心の偽善社会だったのではないか。
ビゼーは美容師から声楽教師に転身した父とピアニストの母のもとに生まれた。9歳でパリ音楽院への入学が許可され、18歳でローマ賞を受賞しイタリアに留学するなど早熟な天才だった。一方で留学時代は友人ギローと娼館通いを重ねた。帰国後は家政婦との間に息子が誕生したが、ビゼーは父の子だと生涯偽る。その後は生活に窮しながら、発注に応じて作曲や編曲の下働きを続けた。雑務に忙殺される中で、他人の作品の編曲や無署名の作品、未刊の自筆譜が積み上がった。それでも上昇志向は強く、結婚を通じて名門アレヴィ家と関係を築いた。社会順応型で打算的ながら成功しない小人物という実像が浮かび上がる。
メリメ「カルメン」(堀口大學訳、新潮文庫)=左、ミシェル・カルドーズ著「ビゼー―『カルメン』とその時代―」(平島正郎・井上さつき共訳、音楽之友社)=右
ミシェル・カルドーズ著「ビゼー―『カルメン』とその時代―」(平島正郎・井上さつき共訳、1989年、音楽之友社)はこうしたビゼーの生い立ちと実像を19世紀フランス社会の実態とともに追求し詳述している。既存社会で出世を願うビゼーが嫌ったのは、王政復古を狙う教権主義者、それに暴徒と化しがちな労働者たちだった。背景には9歳の頃に目撃した1848年革命時の労働者らのデモや武装蜂起へのトラウマがある。安定志向の家に育ったビゼーは既定路線の出世主義にとらわれていた。だが「カルメン」の作曲に影響を与えたのは、1870年の普仏戦争、続く1871年3月26日~5月28日の世界初の労働者政権パリ・コミューンだったはずだ。
アントニオ・パッパーノ指揮英国ロイヤル・オペラ・ハウスのビゼー:歌劇「カルメン(全曲)」(DVD、2006年録音、ユニバーサル)
ドイツ駐留軍と富裕層の支援を受けたヴェルサイユ臨時政府軍がパリ・コミューンの人々を虐殺し壊滅させた時期、ビゼーは自身の家財や親戚の財産の保全を案じるばかりで、労働者には冷淡だった。しかしパリ・コミューンの壊滅もまたビゼーのトラウマとなっただろう。ビゼーとパリ・コミューンを巡る事情はカルドーズの前掲書に詳しい。虫けらのように惨殺された民衆とは何か。それは次代のオペラの聴衆だったかもしれない。自分が理解していない労働者たちに付いていったらどうなるか、という思いは、出世を諦めてカルメンのいるロマ族の密輸団とともに旅立つホセの心境と重なる。
ホセに殺されるカルメンはパリ・コミューンの壊滅とも重なる。オペラが小説と決定的に異なるのは、カルメンが三人称で歌う最後の第4幕第2景の場面だ。以下、筆者試訳。
カルメンは決して屈服しない、
(Jamais Carmen ne cédera,)
彼女は自由に生まれて
(Libre elle est née)
自由に死ぬのよ。
(Et libre elle mourra.)
メリメの小説でカルメンが言う「カリ(ロマ族)に生まれて、カリに死にたい」の「カリ」を「自由」に置き換えているのだ。スペインのロマ族の娼婦がパリ・コミューンの自由の女神に変わる。ニーチェは著作「ワーグナーの場合」の中で、ワーグナー批判のためにビゼーを持ち上げ、「カルメン」を聴くと自分が完全なものになると書いた。ビゼーは「カルメン」の作曲を通じて自らの本来の欲望と意志に目覚め、民衆を発見し、自由を希求した。ビゼーは生涯スペインに行ったことがなかった。幅広い聴衆を魅了するポップなナンバーが続く「カルメン」。150周年を機に「フランスのカルメン」に帰ってもいい。
「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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