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今月の音遊人: 上野耕平さん「アクセルを踏み続けることが“音で遊ぶ”へとつながる」
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連載45[ジャズ事始め]アジアをジャズの発信源にしようとした“エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ”という試み
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2021.10.7
佐藤允彦のアルバム『ランドゥーガ〜セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ’90』の解説をひとまず終えて、「この時期にボクが体験したいくつかのライヴでも感じたこと」に触れてみたい。
1991年1月、東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーンでは、4日間にわたって“エイジアン・ファンタジィ”と題した日替わりの“音楽祭”が開催された。
1日目は、渡辺香津美(ギター)と仙波清彦(パーカッション)率いる“はにわ隊”が、中国音楽シーンを代表する若手とセッションを繰り広げるという内容。
2日目は、金子飛鳥(ヴァイオリン)ら日本勢がインドの“天才タブラー奏者”ザキール・フセインをゲストに招いてのコラボレーション。
3日目は、韓国から招いた“歌舞楽”と、山下洋輔(ピアノ)ら日本のフリー・フォームな即興ジャズを代表する面々が入り乱れるという、アジア的シャーマン・ミュージックの発展型。
4日目は、坂田明(サックス)のプロジェクト“おてもと”に仙波清彦を加え、ジャズ、ポップス、民謡、なんでもありで料理してしまおうという実験的な試みが繰り広げられた。
アジアの音楽家たちの、音楽を通した出逢いと交流、相互理解を目的に企画されたこの“エイジアン・ファンタジィ”は、その後も毎年開催され、1995年の“戦後50年”という節目には、シンガポール、マレーシア、インドネシアを回る初の海外公演を実施。アジア地域で活動するミュージシャンたち32名によるジャンルを超えたオーケストラが結成され、そのツアーの大役を担った。
“エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ”は、手元の資料を見る限り、1998年と2000年、2001年にも公演を実施している。
この音楽祭の企画については、国際交流基金の交流事業の一環として実現したものであったこと、当時がバブル経済の末期であったこと、バブルの日本に続けとばかり急速な工業化によって異例のスピードで経済成長を遂げていた韓国、台湾、香港、シンガポールが“アジア四小龍(アジアよんしょうりゅう)”と呼ばれて話題になっていたことなども、背景として見逃せない。ちなみに、アジアにおいていち早く高度経済成長を果たした日本は“大龍”と呼ばれていた。
つまり、“世界の主導権”が(アメリカから)アジアへと移った(ように見えた)この時期ゆえに、ジャズという20世紀を代表する大衆音楽の発信源が日本もしくはアジアになってもいいんじゃないか──という魂胆が底辺にあったのではないかと思われるのだ。
というのは、“エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ”の2000年の公演では、「21世紀に向けて新機軸を打ち出す多彩なコラボレーションが繰り広げられます」と、前述の“魂胆”を匂わすような案内文が添えられていたのを、この“ジャズ事始め”のために資料を見返していたときに発見したから。
ということで、次回は“エイジアン・ファンタジィ・オーケストラ”を少しだけ深掘りしてみたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ/富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook
文/ 富澤えいち
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