今月の音遊人
今月の音遊人:諏訪内晶子さん「音楽の素晴らしさは、人生が熟した時にそれを音で奏でられることです」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase60)シューマン「幻想曲」、ベートーヴェン礼讃を超えて、クララへの愛が新音楽に結実
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2025.11.27
tagged: シューマン, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見
ロベルト・シューマン(1810~56年)が20代に作曲した作品番号(Op.)1~23の楽曲はすべてピアノ独奏曲だ。入門には「謝肉祭Op.9」「子供の情景Op.15」が向く。次は「交響的練習曲Op.13」「クライスレリアーナOp.16」がお薦め。そして最後にはきっと「幻想曲ハ長調Op.17」を繰り返し聴くようになる。「幻想曲」はベートーヴェン没後10年の記念碑建立のために書かれた3楽章構成の大作。ベートーヴェン礼讃の次元を超え、のちに妻となるクララへの愛が古典形式を突き破り、新たなロマン派音楽へと結実する。
村上春樹は短篇小説集「一人称単数」(文春文庫)の一篇「謝肉祭(Carnaval)」で、1曲だけ残すピアノ音楽としてシューマンの「謝肉祭」を選んでいる。小説上の設定なので気にしない。「幻想曲」が「謝肉祭」や「子供の情景」と異なるのは、小品集ではないことだ。「交響的練習曲」のような変奏を重ねていく曲集でもない。「幻想曲」は3楽章構成で演奏時間は約30分。4楽章構成の「ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調Op.11」「同3番ヘ短調Op.14」と並ぶ長さだが、「幻想曲」はソナタの常識を打ち破る自由な形式となっている。
全曲を貫く構成感で「幻想曲」に近いのは「クライスレリアーナ」。シューマンが触発されたE.T.A.ホフマンの二重長編小説「ネコのムル君の人生観」の宮廷楽長クライスラー編を読めば、「クライスレリアーナ」にますます惹き込まれる。しかしバカリズム脚本の映画「ベートーヴェン捏造」(関和亮監督、かげはら史帆原作)が話題を呼ぶ今、シューマンがいかにベートーヴェンに傾倒し、「幻想曲」にその影響が反映しているかを聴くのは楽しい。ベートーヴェンは弟子のシンドラーが神聖化を狙って伝記や語録を「捏造」しなくても、音楽自体を通じてシューマンら次世代の作曲家たちに崇拝されていた。
当時最高のピアニストと称されたフランツ・リストもベートーヴェン崇拝者の一人。リストはベートーヴェンの交響曲第1~9番をピアノ独奏用に編曲している。リストは1835年、ベートーヴェンの生地ボンに記念碑を建立する計画を立案。1837年のベートーヴェン没後10周年までに記念碑を竣工させる予定で募金を始めた。これに応じてシューマンは寄付のために「幻想曲」を書き進めた経緯がある。シューマンは「幻想曲」を1839年に出版し、リストに献呈した。その返礼としてリストは15年後の1854年、精神を病んで入院中の晩年のシューマンに「ピアノソナタロ短調」を献呈した。
作曲の経緯からして、「幻想曲」にはベートーヴェンの影響が色濃く反映していると思いたくなる。確かにそうした面もあるが、「幻想曲」を聴けば、古典派ベートーヴェンのピアノソナタとは異なる新世代のロマン派音楽であることが分かる。まず即興的で自由な作風だ。同時に、それでも古典派のソナタ形式を基盤にしている。さらには、第1楽章で顕著だが、ハ長調の主和音へと一向に解決せず、茫漠とした和声感で幻想的な響きを生み出している。こうした和声感はリストのピアノ曲「マゼッパ」「ダンテを読んで」などを想起させるし、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の不協和なトリスタン和音を先取りしている。
約12分の第1楽章は全3楽章の中でも傑出している。調号はハ長調だが、冒頭から左手はニ短調とト長調が交錯する属和音系の16分音符の高速アルペジオ(分散和音)を延々と奏で続ける。そこに付点4分音符と2分音符を中心とした幅広い旋律が右手のオクターブで乗り、陰影の中にかすかな希望のような薄明が差す幻想的な響きとなる。どこまでも主和音(ドミソ)が出てこないから、なかなかハ長調には聴こえないだろう。
さらに言えば、第1楽章はベートーヴェン流のソナタ形式(提示部→展開部→再現部→終結部)であるはずだが、提示部の第1主題と第2主題を容易には聴き分けられない。第1楽章は冒頭で「完全に幻想的かつ情熱的に演奏すること(Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen)」と指示されている。属和音系の激流のようなアルペジオの中で、第1主題に続いて短い旋律が間歇的に浮上する。それらは第1主題の短縮形や変奏のようでもあり、異なる主題とはいえ、第2主題と確定しにくい。
第1主題が変遷していく中で、33小節目から弱起によって始まるハ短調の4小節が新規の第2主題である。しかしこの短い第2主題は反復の際にただちにト短調に転じる。その直後に続くニ短調の主題は、4分音符や付点4分音符、複前打音付きの全音符などが成す哀歌風の魅力的な旋律であり、むしろ第2主題自体よりも印象に残る。しかも左手は第1主題からずっと16分音符の高速アルペジオを続けているのだ。茫漠とした響きの中で、目まぐるしく転調し、第1、第2主題、さらにはその副次的な主題の境界がおぼろげになり、全体が長大な第1主題のようにも思えてくる。
ところがここでおもしろいことが起きる。ぼやけた主題群を支える裏方であるはずのアルペジオ自体が、16分音符から8分音符へと速度を緩めながら表舞台へと浮上してくるのだ。旋律のような下行音型のアルペジオを星屑のように降らせて非常に美しい場面だ。この後のカンタンド(cantando、歌うように)と指示されたヘ長調の優雅で明るく短い旋律こそが、第1主題に対比する真の第2主題にふさわしいと思える。しかしこの美旋律は、複前打音付きの全音符などから成る例のニ短調の哀歌がヘ長調に転じた変奏なのである。
ヘ長調の旋律がしばしの明るさを演出した後、解決しない和音が緩やかなアダージョで置かれ、ようやく提示部が終わり、展開部へと入る。複縦線が引かれ、「イム・テンポ(Im Tempo、元の速さで)」の指示のもと、シンコペーションを持つ新たな音型から始まるので、ここから確かに展開部なのだろう。しかし一筋縄ではいかないのが「幻想曲」だ。拡大された異形のソナタ形式は、曲の構成をつかもうとする聴き手をどこまでも幻惑させる。
この展開部冒頭の局面では、スタッカートでタタッという強烈なリズムを刻みながら、非常に魅力的な短い旋律を奏でる。シャンソンの名曲でジャズスタンダード曲でもある「枯葉」に似た「Cm7→F→B♭maj7→E♭→Cm7」の和声進行であり、都会的で洗練された響きを出す。このわずか4小節程度の旋律からフュージョン風のポップスが1曲できそうである。もう一度聴きたくなるほどポップな短い旋律だが、なんと展開部の後の再現部で本当にもう一度聴けることになるのだ。第1、第2主題に続いて再現されるため、このポップな旋律は展開部の主題ではなく、まだ提示部が続く中での第3主題だったのではないかと錯覚しそうだ。
展開部に話を戻そう。「枯葉」コードに似たポップな旋律がすぐに消え入り、第1主題の縮小形がトリルの装飾を伴いながら展開した後、「生き生きとした速さで(Im lebhaften Tempo)」と指示された激しいシンコペーションの部分に入る。ここでは、第1主題冒頭のリズムを短縮して強調し、強拍から8分音符分ずれてリズムを刻む低音のすべてにアクセント(>)を付け、スフォルツァンド(sf、その音を特に強く)も交えて激烈に進む。ついには第1主題がフォルティッシモ(非常に強く)で再び鳴らされ、半音階的な下行でいったん静まる。
続いてこれまた非常に印象的な部分に入る。「昔語りの音調で(Im Legendenton)」と指示されたハ短調、4分の2拍子の悲歌(エレジー)だ。ここで明らかに場面が変わる。初めてはっきりと短調で悲歌が奏でられるからだ。今度こそ正真正銘の展開部入りであり、第1楽章のコアを成す心情告白だ。悲歌は提示部で印象が薄かった第2主題の変形なのだ。それはクララへの叶わない愛の悲しみである。失恋ではなく悲恋。ロミオとジュリエット。作曲当時、シューマンはクララの父でピアノの師でもあったフリードリヒ・ヴィークから残酷な妨害を受けていた。悲嘆に暮れるシューマンは、ベートーヴェンの歌に救いを求める。
哀切極まりない悲歌が展開していく中で一瞬、4小節ほど仄かに明るい曲調が現れる。これこそがベートーヴェンの連作歌曲集「遥かなる恋人に寄すOp.98」の第6曲「この歌を受け取って(Nimm sie hin denn, diese Lieder)」の片鱗である。それも束の間、悲歌は激しく闘争的に展開し、シューマン版「悲愴」「熱情」を思わせる。
再現部はハ短調の調号で、走馬灯のように第1主題、第2主題、例の星屑が降り注ぐようなアルペジオが次々と駆け抜ける。タタッというリズムを交えた「枯葉」風のポップな短い旋律も再現する。そしてついにアダージョの終結部になるが、ここでベートーヴェンの「遥かなる恋人に寄す」の「この歌を受け取って」がいよいよ明確にハ長調で奏でられる。もう最後という局面で初めてハ長調の三和音(ドミソ)が鳴らされるのである。属和音で延々と推移し、ベートーヴェンの苦悩の象徴であるハ短調に傾きがちだった第1楽章がついにハ長調のトニックで解決するのだ。
「幻想曲」の第1楽章は、遥かなる恋人クララ(Clara)を曲中に探す旅である。クララの頭文字「C=ハ長調」の主和音(ドミソ)は終結部でようやく見つかる。一方でクララはC音(ド)とA音(ラ=la)でも象徴される。冒頭の第1主題はA音(ラ)から始まり、途中でイ短調(ラドミ)の和音も埋め込まれている。第1楽章はハ長調の主和音で安定して終わる。しかし大譜表の上段(右手の譜面)の最後の2つの音は一見、C音(ド)とA音(ラ)ではないかと錯覚する。終わりはまさかイ短調か。そんなはずはない。2音の直前に音部記号がト音記号からヘ音記号に変わっている。ヘ音記号でしっかりE音(ミ)とC音(ド)。クララとの愛の成就を願うハ長調で間違いなく締めくくる。こころにくし。
シューマンは「幻想曲」の冒頭にロマン主義詩人フリードリヒ・シュレーゲルの詩の4行をモットーとして掲げた。その最後の2行は、「静かな音が鳴っている(Ein leiser Tone gezogen)/ひそかに耳を傾ける人のために(Für den, der heimlich lauschet.)」(筆者試訳)。静かな音とはクララの音。クララとハ長調を探し求める旅が示唆されている。ベートーヴェンに導かれ、ベートーヴェン礼讃を超えて、クララへの愛が新たな音楽の形を作る。
「幻想曲」は第1楽章だけでも大傑作なのに、第2、第3楽章もある。明るい変ホ長調の第2楽章は愛の勝利を夢見る凱旋行進曲。ベートーヴェンの「交響曲第7番イ長調Op.92」の葬送行進曲風の第2楽章イ短調アレグレットを長調にしたような祝祭感に満ちている。第3楽章ハ長調は緩やかなアルペジオに乗って「クララの動機」が静かに奏でられる。ベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2」の第1楽章(いわゆる「月光の曲」)を長調にしたような幸福感、「同31番変イ長調Op.110」第3楽章のフーガに通じる高揚感がある。ベートーヴェンへのオマージュとクララへのラブソングの要素を併せ持つ最高傑作。1曲だけ残すシューマンのピアノ音楽として「幻想曲」を選びたくなる。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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