今月の音遊人
今月の音遊人:大貫妙子さん「言葉で説明できないことのなかに本当に素晴らしいものがいっぱいある。それが音楽ですよね」
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音楽とは音の高い低いと長さだけだと教えられたことがある。
最近、サクソフォンレッスンの講師のかたから、やっと音が合ってきたと言われた。毎回、授業がはじまると、最初はクラスメイトと音階練習をするのだが、どうしても同じ音、この場合は同じ音程が出せなかった。
2つの音がずれると波打つように聴こえる。それがぴったり合うと、波は消えて1つの音に聴こえてくる。この感覚をつかむのに、なんと10年以上かかってしまった。
いわゆるチューニングが合っているという状態だ。僕にとって、なぜチューニングがむずかしかったのかといえば、完全に合うと、相手の音が聴こえなくってしまうからなのだった。
まるで自分一人だけで音を出しているように聴こえるから、不安になってしまう。そこで、ちょっと探るようにすると、相手の音は聴こえるが、音程はずれてしまう。実に困ったことだ。
長さに関しては、一定の長さで演奏することによってリズムとなる。4分音符、8分音符などにしたがって音を出す。やはり、一緒に同じ音を出していると、一緒に演奏しているひとの音が聴こえなくなる。同じように不安になり、ちょっと相手の音を聴こうとすると、リズムがずれてしまう。
では、相手とまったく同じ音程、同じテンポで演奏すれば、それでいいのかというと、そうでもない。完全に音程とリズムが合うと、それはバッとかジャッという破裂音のように聴こえるから不思議だ。また曲の最初から最後まで、まったく同じテンポだと音楽に聴こえなくなるというか、つまらない味気ないものになってしまう。
リズムボックスが進化してコンピュータ制御で、いわゆる“打ち込み”というものができるようになったときに、この問題が出てきた。テンポが狂わないと、というか少しずつ速くならないと、面白くないのだ。それで、わざと少し速くなるように設定を変えたりした。
生演奏だと各人のもつリズム感覚が違うから、さらに面倒なことになる。昔、某有名音大の学生の弦楽トリオの練習を参観したことがあるが、なかなか先に進まない。
どうしたのかと訊ねてみたら、同じ音符でも各人の感じているテンポが違うので、それを合わせるのが大変なのだという。
なにごともむずかしいものだ。
家の近くに駅まで1キロ以上も続く桜並木があって、これからちょうど花も見ごろとなります。この景色を目にするたび、満開の桜の下でサクソフォンを吹くことができたら気分がいいだろうな、などと思ったりしています。
気分がいいといえば、誰かに聞いたのですが、サクソフォンなどの演奏は機嫌のいいときのほうが上手くいくという話です。そこで自分はどうだろうかと考えたら、レッスンでしっとりとした情緒的な曲を演奏する場合であっても、たしかに解放的な気分のときのほうが調子がいいみたいです。たとえば曲のあい間、レッスン仲間と軽口を交せるような気分のときでしょうか。ならば、もっと機嫌よくなれば、もっといい演奏ができるのではないか?しかしながら、あまり機嫌よすぎても、サクソフォンは吹けません。これについては、つい最近、機嫌よくレッスンにのぞんでいたのですが、演奏中になぜか可笑しくなり、笑ってしまって吹けませんでした。機嫌もほどほどがよさそうです。
作家。映画評論家。1950年生まれ。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野へ。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『ぼくの父はこうして死んだ』『江分利満家の崩壊』など。現在、『山口瞳 電子全集』(小学館)の解説を執筆中。2006年からヤマハ大人の音楽レッスンに通いはじめ、アルトサクソフォンのレッスンに励んでいる。
文/ 山口正介
photo/ 長坂芳樹
tagged: 大人の音楽レッスン, サクソフォン, ヤマハ, 山口正介, レッスン, パイドパイパー・ダイアリー
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