今月の音遊人
今月の音遊人:世良公則さん「僕にとって音楽は、ロックに魅了された中学生時代から“引き続けている1本の線”なんです」
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今回から、ジョン・コルトレーンとザ・ビートルズ(以後ビートルズと表記)の接点を探りながら、ジャズとロックの関係性を考察していきたい。
初回は、このテーマを思いつく発端となった“コルトレーンってビートルズ・ナンバーを演奏してなかったんだっけ?”という疑問の出所から始める。
2018年6月29日、55年間もその行方がわからず、逸失したと考えられていた音源が姿を現わした。
『ザ・ロスト・アルバム』というタイトルでリリースされたアルバムだ。
演奏はジョン・コルトレーンのクァルテット(四重奏団)。ジャズというカテゴリーを代表する、いや“象徴する”といっても過言ではないレジェンドの、“絶頂期”に向かう重要な時期の空白を埋める貴重な資料であることはもちろん、芸術性を追求したジャズ・クァルテットの“申し分のないオーケー・テイク”であったとして、ジャズ・シーンを沸かせることになった。
なぜそれほどの音源がリリースもされずに逸失状態になったのかについては別稿で考察したので、ここでは割愛する。
本稿で着目したいのは、その収録日。
『ザ・ロスト・アルバム』が米ニュージャージーのヴァン・ゲルダー・スタジオでレコーディングされたのは、1963年3月6日だった。
ジャズ的には、“名盤”と呼ばれることになる『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』収録の前日ということで、注目度アップの重要な要素になったのだけれど、本稿で指摘したいのはそこじゃない。
1963年といえば、前年10月にシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でイギリスでのレコード・デビューを果たしていたビートルズが、ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』をリリース(4月26日)した年。
そしてビートルズは、デビューからシングル盤の大ヒットを連発しただけでなく、セカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(1963年11月22日)を含めて連続51週ものあいだアルバム・チャートの首位を独占するほどのムーヴメントを引き起こす。
この旋風は、大西洋を渡ってアメリカにも到達する。
アメリカにとって“よそ者”のビートルズではあったが、そのサウンドは好意的に迎えられた。
その影響は大きく、ジャズにとってもビートルズを“違う国の違う音楽”とスルーできない局面を迎えることになってしまったのだ。
そこでハタと「コルトレーンはそのムーヴメントをどう見ていたのだろうか?」という疑問がわいた、というのが今回の発端。
ということで、次回はその前章となる、ジャズ界を襲ったビートルズ・ムーヴメントについておさらいしておきたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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