今月の音遊人
今月の音遊人:松井秀太郎さん「言葉にできない感情や想いがあっても、音楽が関わることで向き合える」
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デビューシングル『Automatic/time will tell』をはじめ、数多くのヒット曲を出し、日本の音楽シーンをリードしてきた宇多田ヒカルの活躍は誰もが知るところだろう。その宇多田ヒカルのプロモーションをデビュー以前より担ってきたのが、プロモーターの梶望(かじのぞむ)さんだ。アーティストや楽曲の宣伝・販売促進を担う、プロモーションの仕事について話を伺った。
梶さんは東芝EMIで宇多田ヒカルの担当となり、2017年3月からは、宇多田ヒカルのソニー・ミュージックレーベルズへの移籍に伴い、自身も同社に移籍している。
「レコード会社によって異なりますが、僕の場合は楽曲と商品を作る以外、すべてに携わっています」というように、仕事内容は多岐にわたる。楽曲をどのように販売していくか戦略を練り、ミュージックビデオの制作や宣伝用写真の撮影、テレビやラジオへの出演、雑誌のインタビューなどの宣伝活動全般のコントロールなど。それぞれに実行部隊がいるが、梶さんはその総指揮を執っている。
今でこそ指揮官の立場にいるが、梶さんのプロモーターとしてのキャリアは、文字通り足を使っての全国行脚から始まっている。
「宇多田ヒカルのデビューが決まった時に、彼女がまだ15歳と若いことから、同じく若手の僕に声がかかりました。新人アーティストのデビューから担当するのは初めてだったので、何をするべきかいろいろ考えていたところ、上司から『経験も人脈もないのに、机上で考えても良いプランは出ない。とにかく外に出て、メディアの人の声を集めてこい』と怒られまして……。それからCDを袋に詰めて、北海道から福岡まで全国のラジオ局をまわりました」
ラジオ局に加え、地方のレコード店をまわり、夜はクラブにも足を運んだ。こうしてCDを配っているうちに曲を気に入ってくれた担当者が番組でかけてくれるなどして、宇多田ヒカルの名は徐々に広まっていった。まさに足を使った宣伝活動を、梶さんは「シンパづくり」と称する。
「あるラジオ局で問い合わせ件数が1位になったら、その情報を他局にも伝えたりしていった結果、口コミで『すごい新人がいる』と広がっていったんです。大きなタイアップがついているわけでもないので、音楽好きを仲間にすることを戦略として考えました」
宇多田ヒカルのデビュー後の大ブレイクは誰もが知るところだろう。
梶さんは新人のプロモーションを担当することで、アーティストの特徴をつかみ、状況に合わせた媒体への働きかけや売り出し方を見極める必要性を学んだ。どのような手法を取るかは、アーティストによってまったく異なる。
例えば、シンガーソングライターのAI(あい)を担当した時には、ファンが彼女のどこに惹かれているのかを明確にするため、まずリサーチをかけた。
「もちろん、いちばんの魅力はシンガーとしての歌声ですが、意外だったのは、AIのスタッフが認識している“R&Bのカッコイイおねえさん”という存在感よりも、AI自身の人柄に共感している人が多かったこと。そこで、東日本大震災など、当時の社会的背景も鑑みて出したのが『ハピネス』でした」
2011年12月発売の『ハピネス』は歌のメッセージ性とAIの歌声、人柄が相まって大ヒット。テレビなどでも歌われ、多くの人を勇気づけるメッセージソングとなっている。
プロモーションと聞くと、派手な宣伝方法や、最新の技術やツールを使った手法に目が行きがちだが、それはあくまでも手段の話。
「作品を誰に届けたいのかをしっかり把握すれば、手段はおのずと見えてくるもの。大切なのは、アーティストが何を訴えたいのかをしっかり理解することです。技術的なことはその時代のトレンドを勉強すればわかりますから」
アーティストの意図を汲んだプロモーションの成功例が、2016年秋の宇多田ヒカルの一時活動休止後の復帰作だ。「声と歌詞」をキーワードにアルバムを作りたいという本人の意向を受け、梶さんは「邦楽らしさに焦点を絞ろう」と考えた。そこで復帰の場としたのが、NHKの朝の連続テレビ小説、いわゆる朝ドラの『とと姉ちゃん』だ。主題歌の『花束を君に』をドラマの放映で初披露。イントロなしに歌声から始まる曲であった。
「当時、宇多田ヒカルのファン層についてリサーチした結果、彼女を評価してくれる人は30代以上の女性に多く、本を読む人が多い。それならば、若者向けの恋愛ドラマよりも、人生をじっくり描く作品がよいのではないかと考えたのです。宇多田ヒカルがファンに『ただいま』を伝えるのは、彼女の音楽で、彼女の声からにしたかったんです」
実は『花束を君に』は、彼女の亡くなった母で、歌手の藤圭子さんに捧げて作ったものだったが、それを具体的に公表したのは『とと姉ちゃん』の放映終了後のこと。曲を聴いた人のイメージを固定させないためだった。アルバム発売前から楽曲が流れ続けた結果、復帰アルバム『Fantôme』は100万枚を超える大ヒットとなった。
アーティストの作品を聴きながら、その向こう側にどんなリスナーがいるのかを思い描く。ここから、梶さんのプロモーションは動き出していく。
Q.今の仕事に就いていなかったらどんな仕事を?
A.都市計画をやりたくて大学では土木工学を学んでいたので、その方面に行っていたかもしれません。
Q.子どもの頃はどんな仕事をしたいと思っていましたか?
A.親がヤマハで働いていて音楽好きだったので、小学校までバイオリンを習っていて。小さい頃はバイオリニストになりたいと思っていました。中学からギターを始めて、中学、高校、大学とバンドをやっていました。バンドブーム世代なんです。ミュージシャンに憧れたこともありましたけど、プロを目指す気は全くありませんでした。
Q.どんな音楽を聴いてきましたか?
A.グラムロックがすごく好きでした。デヴィッド・ボウイとかT-REXなど。他には、ローリング・ストーンズやビートルズも聴きました。リアルタイムで聴いたのは、ガンズ・アンド・ローゼスですね。ローリング・ストーンズやガンズ・アンド・ローゼスは、来日公演にも行きました。
Q.最近印象に残ったライブは?
A.小田和正さんのライブがよかったですねぇ。あのキャリアにしてあれだけの曲を歌いこなすパフォーマンスができるのはさすがだなぁと。それに寡黙ながらもポツポツしゃべるMCがおもしろい。僕が以前担当させていただいていたアルフィーさんもそうですが、上の世代の方はお話がメチャクチャおもしろいんですよね。ヒット曲が数多くあるのに、今もオリジナルを作り挑戦し続ける小田さんの姿勢とその力に感銘を受けました。
Q.お休みの日はどんなことをして過ごしていますか?
A.もっぱら子どもと過ごしています。3歳の男の子で、今がかわいいさかりなんです。一緒にインターネットの動画サイトを見たり、音楽を聴いたりもします。先日は、『おかあさんといっしょ』のコンサートを観に行きました。今は、どうしても子どもに合わせちゃうことが多いのですが、その中に発見や考えることもありますね。今の音楽ビジネススタイルが未来永劫続かないのはわかっている。では、何を彼らに残せるかなって。音楽はなくならないと思うので、何が面白いかを考えて、これから新しい音楽体験も作っていきたいですね。
文/ 佐藤雅子
photo/ 坂本ようこ
tagged: オトノ仕事人, プロモーター, プロモーション
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