今月の音遊人
今月の音遊人:上野通明さん「ステージで弾いているときが、とにかく幸せです」
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前回、AIの存在が当たり前になる時代では、“自分好みのコルトレーン”が演奏してくれるプログラムを走らせて鑑賞できるようになるだろうが、それはジャズのみならず音楽にとって良いことなのか悪いことなのか──という問題提起で今回に繋いだ。
この問題を考えるためにとても興味深い意見を目にしたので、それを糸口に持論を展開してみたい。
興味深い意見とは、『熱風』(スタジオジブリ発行)2018年12月号掲載の、「人間をノイズととらえる時代に生きる子どもたち」という、解剖学者・東京大学名誉教授の養老孟司氏へのインタヴュー記事。
養老先生は、例えば人体内部のCT画像のような、これまで見ることができなかったデータが可視化されるようになった時代にあって、「いわゆる自然と人工物というものの区別を考え直さなければいけない非常におもしろい時代になっている」と指摘。
デジタルネイチャーと名付けられているこうした現象を軸に、なにが本物でなにが偽物かわからなくなってきている“現在”を、養老孟司節で分析しておられる。
その中でボクが注目したのは、養老先生が銀行へ出掛けたときの話。
窓口で顔見知りの銀行員に本人確認書類の提示を求められた先生。あいにくそれに類するものを持ち合わせず、その銀行員に「困りましたね。わかってはいるんですけどね」と言われた。
現実の自分が「本人だ」と言っても認められず、書類という「現物の自分ではないもの」のほうを必要とされている、というわけ。
“デジタルネイチャー”の世界では、“現物”は“ノイズ”と呼ばれ、排除されるべきものになっていることが、その原因だ。
確かにAIが発達すれば、“AIコルトレーン”がリスナーごとの好みや傾向を学習して、そのリスナーに“最適な”コルトレーンの演奏を提供してくれるようになるのだろう。
そしてそれは、そのリスナーにとって“現物のコルトレーン”よりも(自分にマッチしているという意味で)“リアル”だということになる。
この命題を解くカギを、ボクは養老先生の次の言葉から読み取ることにした。
「言ってみれば、説明できなきゃできないほど正しいんだよね」
つまり、ノイズがあることが“現物”の証拠であり、ノイズがある故に予測が不能となる。
予測できないということは、その判断は受け手の感性にゆだねられ、受け手の感性もまた変化して、時間とともに違って見える──。
ボクも養老先生同様に、AIの発達を否定するつもりはない。
ポイントは、「ノイズのないデータを絶対と神格化せず、自分の感じ方が変化するままに受け入れる」ことだろう。
“自分の感じ方”を変化させるためにより多くのジャズを聴く必要があるだろうし、それによって気付きも増えるはずだから。
さらに、より多くのジャズを聴くことは、AIにも影響を与えるはずだ。
その意味でAIは、ジャズにとっても“良い先生”になりうる存在と言えるんじゃないだろうか。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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