Web音遊人(みゅーじん)

旅するチェロとギター、世界の鼓動を伝えるピアニシモ/宮田大&大萩康司デュオ・コンサート

風のささやきに耳をすませば、世界の静かな鼓動も聞こえてくる。そんなピアニシモの繊細なハーモニーとスケールの大きさが聴き手を魅了する。2022年3月23日、ヤマハホールでの「宮田大&大萩康司デュオ・コンサート」は、宮田のチェロ、大萩のクラシックギターという組み合わせが上質な時間をもたらした。コロナ禍や戦争によって人々が分断を強いられる今、サティからピアソラ、欧州から南米まで、異色のデュオが音楽の旅をさせてくれた。

2人は2020年、「旅行記」を意味する初のデュオアルバム『Travelogue』を出して以来、1年余りにわたり公演を重ねてきた。この日のヤマハホールは最後の旅路。チェロの伴奏はピアノが多いが、ナイロン弦のクラシックギターとなるとピアノよりも音量が小さく、音のバランスが重要になる。1曲目のサティ『ジュ・トゥ・ヴ』はピアノ独奏版が有名だが、2人は絶妙な匙加減で吐息のような柔らかい響きを作り上げた。音とは空気の震えが耳に届く現象であることを思い出す。繊細な気品をたたえる風のワルツだ。

サティのパリから大西洋を渡ってブラジルへと、スケールの大きな遊覧飛行が続く。ニャタリの『チェロとギターのためのソナタ』は、ラヴェルの『弦楽四重奏曲』やポルトガルのバンド、マドレデウスにも通じる音楽。フランス近代音楽、ブラジルのショーロ、ポルトガルのファドの要素が聞こえてくるのだ。ニャタリはボサノバの創始者、アントニオ・カルロス・ジョビンを世に送り出した作曲家といわれ、クラシックとポピュラーのジャンルを超えている。宮田と大萩の演奏はたおやかさの中にも情熱を忍ばせて、遠い昔への郷愁と哀愁が入り混じった「サウダージ」の気分を漂わせる。

ピアニシモよりもさらに小さな音を幾重も紡ぎ、デリケートな表現をきわめたのが英国の作曲家ヴォーン=ウィリアムズの『あげひばり』だ。原曲の独奏バイオリンの部分をチェロ、オーケストラの部分をギターが担う編曲。わずかに弦をさするほどのギターのストロークが、森のざわめきを響かせる。チェロが奏でるのは清澄な鳥の歌。空高く舞い上がるひばりのさえずりは小さいのだ。静かなアンサンブルの合間から大気や大地、都市の息遣いも聞こえてきそうだ。ピアニシモの技巧を駆使したこの曲は彼らのデュオの真骨頂だろう。

後半は再び大西洋を渡ってアルゼンチンへ。2022年7月に没後30年を迎えるピアソラの曲が続く。穏やかな中にも情念を込めた『タンティ・アンニ・プリマ』、情熱がほとばしる『ブエノスアイレスの四季』の「冬」「夏」など、静と動の表現がさえる。アンコールの一つはピアソラの『オブリビオン(忘却)』。「暗い曲を弾いてしまって」と宮田は謙遜して言ったが、暗くはない。美しくもはかない別れの時間は胸を打ち、忘れがたい。世界の音楽の多様性に耳を傾け、チェロとギターという彼らの独特な響きに旅先でまた巡り会いたい。

 

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社メディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

photo/ Ayumi Kakamu

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

塩谷哲

今月の音遊人

今月の音遊人:塩谷哲さん 「僕の作る音楽が“ポップ”なのは、二人の天才音楽家の影響かもしれませんね」

6265views

音楽ライターの眼

2人の名手だからこそなしえた“大人の音楽”/マイケル・コリンズ クラリネット・リサイタル -小川典子(ピアノ)とともに-

1983views

楽器探訪 Anothertake

ピアニストの声となり歌い奏でる、コンサートグランドピアノ「CFX」の新モデル

5746views

引っ越しのシーズン、電子ピアノやエレクトーンの取り扱いについて

楽器のあれこれQ&A

引っ越しのシーズン、電子ピアノやエレクトーンを安心して運ぶには?

120097views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:若き天才ドラマー川口千里がエレキギターに挑戦!

12326views

コレペティトゥーアのお仕事

オトノ仕事人

歌手・演奏者と共に観客を魅了する音楽を作り上げたい/コレペティトゥーアの仕事(後編)

8019views

サラマンカホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

まるでヨーロッパの教会にいるような雰囲気に包まれるクラシック音楽専用ホール/サラマンカホール

23098views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

7379views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

13663views

われら音遊人:Kakky(カッキー)

われら音遊人

われら音遊人:オカリナの豊かな表現力で聴いている人たちを笑顔に!

8748views

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい 山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい

5923views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26822views

おとなの楽器練習記:岩崎洵奈

おとなの楽器練習記

【動画公開中】将来を嘱望される実力派ピアニスト、岩崎洵奈がアルトサクソフォンに初挑戦!

12234views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

民族音楽学者・小泉文夫の息づかいを感じるコレクション

10795views

マリア・カラス

音楽ライターの眼

『マリア・カラス 伝説の東京コンサート1974』が映像アップコンバート&最新リマスター音源で登場

7124views

オトノ仕事人

プラスマイナス0.05ヘルツまで調整する熟練の技/音叉を作る仕事

34440views

スイング・ビーズ・ジャズ・オーケストラのメンバー

われら音遊人

われら音遊人:震災の年に結成したビッグバンド、ボランティア演奏もおまかせあれ!

6303views

reface シリーズ

楽器探訪 Anothertake

ひざの上に乗せてその場で音が出せる!新感覚のシンセサイザー「reface」シリーズ

14518views

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

ホール自慢を聞きましょう

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル

15464views

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい 山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい

5923views

ピアノの地震対策

楽器のあれこれQ&A

いざという時のために!ピアノの地震対策は大丈夫ですか?

49177views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

11459views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26822views