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2人の名手だからこそなしえた“大人の音楽”/マイケル・コリンズ クラリネット・リサイタル -小川典子(ピアノ)とともに-
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2022.9.22
フィルハーモニア管弦楽団で長らく首席クラリネット奏者を務め、現在はソロや室内楽、さらに指揮者としても活躍する巨匠マイケル・コリンズ。今回は彼の盟友で、国際派ピアニストとしてもおなじみの小川典子による豪華デュオが、2022年8月13日、ヤマハホールで実現した。
演奏されたのは、2019年に彼らが録音した名盤『パリのクラリネット』の収録曲が中心で、いずれも19世紀後半以降のフランスで書かれた傑作。さらに、その合間や締めにコリンズの母国イギリスの現代作品も配置することで、多様性と緊密性とが巧みにバランスした構成になっていた。
前半冒頭のヴィドール『序奏とロンド』は、パリ音楽院の卒業試験用作品ということもあり、歌心と技巧の調和が求められる。速いパッセージからロマンティックな旋律へと歌い継いでゆく変奏を、2人は実に悠々と見通しよく紡いでいた。
続くフィンジ『5つのバガテル』は、イギリスの自然や童話などを想わせる5つの小品。第1曲『前奏曲』の清々しい駆け上がりや、第5曲『フゲッタ』の弾むようなパッセージでコリンズが見せた技巧的な完璧さは圧巻の一言に尽きた。だが、それ以上にみごとだったのは、中間の3曲における甘美な歌の数々。中でも、第2曲『ロマンス』でコリンズと小川と歌い交わした、青春時代のほろ苦い恋愛の回想に心を打たれた聴き手は多かったことだろう。
この作品に続いて演奏され、前半を締め括ったのが、プーランクのソナタ。作曲者の死の前年に書かれ、親交の深かった作曲家オネゲルの墓前に捧げられた名曲だ。ふざけ合うような楽想から、ふとした瞬間にしみじみと悲しいメロディに変わり、その交錯によって充実したひとときが流れてゆく。それを聴き終えた後に残る不思議な郷愁は、2人の名手にしかなしえない“大人の音楽”の賜物だったと思う。
休憩を挟んだ後半は、ドビュッシー『クラリネットのための第1狂詩曲』から。クラリネットの魅力である甘美な音色が、半音階的な動きなどにより繊細極まりない変化を見せながら、最後は揺るぎない音像となって結ばれる。そんな超のつく難曲を、コリンズは一筆書きのような遊び心としなやかさで描き切っていたのが素晴らしかった。
この後のサン=サーンスのソナタでは、第1楽章ののびのびとした牧歌、第2楽章の鮮やかな跳躍、第3楽章の重厚なコラール、第4楽章の快活なフィナーレという多彩な流れの中でも決して失われなかった、2人の澄み切った音色と音楽性が秀逸。
そして、トリを飾ったアーノルドのソナチネの第1楽章と第3楽章でも、2人が前曲で見せた切れ味の鋭さを継承しつつ、次第にパワーアップまでさせてみせる。その神業的な歩みは、ゆったりとした中にも切れ味鋭い所作で茶を点てたという茶人・千利休の姿に重なるものがあり、終演後は、彼が伊達政宗に語ったと伝えられる「相手に殺されてもよいという覚悟で臨むのが茶でございます」という言葉を思い出していた。
渡辺謙太郎〔わたなべ・けんたろう〕
音楽ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業。音楽雑誌の編集を経て、2006年からフリー。『intoxicate』『シンフォニア』『ぴあ』などに執筆。また、世界最大級の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のクラシックソムリエ、書籍&CDのプロデュース、テレビ&ラジオ番組のアナリストなどとしても活動中。
文/ 渡辺謙太郎
photo/ Ayumi Kakamu
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tagged: 小川典子, 音楽ライターの眼, マイケル・コリンズ
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