今月の音遊人
今月の音遊人:小沼ようすけさん「本気で挑まなければ音楽の快感と至福は得られない」
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ジョン・レノンゆかりの軽井沢を巡る旅〜『イマジン』のメロディとともに〜
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2015.11.24
tagged: ジョン・レノン, ビートルズ, オノ・ヨーコ, 軽井沢, 万平ホテル, 音遊人, 旅人, 募集, イマジン
マッシュルームカットにミリタリー調のステージ衣装、そして新しい音楽性。ビートルズが圧倒的なインパクトで世界中を熱狂させた時代、私はまだ生まれていなかった。解散してメンバーそれぞれがソロ活動を始めた、なんてことも知らず、ジョン・レノンが音楽活動を休止していた頃には、おそらく私は無邪気に友だちとピンク・レディを踊っていたんだと思う。
皮肉なことに、ジョンが銃弾に倒れるという悲劇によって、初めて私は彼の音楽と出合うことになった。遊びに行った友だちの家で、ジョンの死を悼んだ彼女のお姉さんが『イマジン』を聴かせてくれたのだ。なんてステキな声とメロディなんだろう!中学1年生になっていた私の心にジョンが住みついた。
大人になって軽井沢を訪れることになったとき、どうしても行きたい場所があった。それは、ジョンゆかりの地。音楽活動休止中だった1977年から1979年まで、ジョンは妻のオノ・ヨーコとともにまだ幼い息子のショーンを連れて毎年夏に軽井沢を訪れている。
旧軽井沢の奥に続く並木道に、目当ての万平ホテルがたたずんでいた。約120年の歴史をもつこのクラシックホテルのアルプス館128号に、ジョン一家が毎年ステイしていたことはあまりに有名。ファンなら、一度は訪れたい場所なのだ。
1階のカフェテラスで、ジョンが愛したというクリーミーなロイヤル・ミルクティーをいただいた。聞けば、“愛した”というよりジョン“直伝”なのだという。かつてジョンも、このロイヤル・ミルクティーと窓の外に広がる緑に心癒されていたのだろうか。
万平ホテルでは、こんなエピソードもある。ダイニングルームに置かれていたヤマハのアップライトピアノをジョンがとても気に入って、どうしても売ってほしいとホテルと掛け合ったとか(写真1枚目)。しかし、万平ホテルは譲らなかった。時を経て、そのピアノは、ホテル内の史料室に展示されていた。そのピアノを前にしたとき、何度聴いたかわからない『イマジン』が再び頭のなかに流れ始めた。
ジョンが好きだったという見晴らし台や小野家の別荘。贔屓にしたパン屋「フランスベーカリー」、一家がよく訪れたというカフェ「離山房」。軽井沢のそこここに、ジョンの足跡が残っていた。ゆかりの地めぐりをするなか、当時ピンク・レディの歌まねをしていたはずの私が、リアルタイムでジョンを愛していたような不思議な感覚に襲われていた。
実は私は、各地のゆかりの場所にも足を運んでいる。アビイ・ロードやダコタ・ハウス、ビートルズが修行したインド・リシケシのアシュラム……。でも、私にとって軽井沢は、もっとも穏やかなジョンが感じられる場所だった。5年間の音楽活動休止中、自らをハウス・ハズバンドと称して育児や家事も行ったジョン。世界を虜にし、40歳の若さで没したスーパースターは、亡くなる前の数年間、ここで家族とともに本当に幸せな時間を過ごしたと思うのだ。
アーティストの足跡をたどったり、好きな曲に出てくる場所を訪ねたり、はたまた旅先でコンサートや楽器を楽しんだり。そんな音楽の旅を楽しんでいる方も多いのではないでしょうか。会員誌『音遊人』の次号のテーマは「音楽に出合う日本の旅」。その特別企画として、旅人として誌面に登場していただける方を大募集します!
●応募条件:1~3名でご参加いただける20歳以上の方
※ 旅行に参加される方のうち、1名以上がFC会員様であることが必須です。
●旅行内容について:
旅行時期(撮影日):2016年1月中旬の1日間(予定)
旅行先(国内):応募内容を参考にし、ご相談のうえ決定させていただきます。
旅費:現地までの往復交通費はご負担ください。撮影日の諸費用(現地交通費、入場料、飲食代等)と1泊分の宿泊費はお支払いさせていただきます。
●応募方法:
応募用紙に必要事項を明記のうえ、旅行に参加される方が写ったスナップ写真(なるべく最近のもので参加者全員分、複数枚でも結構です)を添えて、封書でご応募ください。
応募用紙はこちら(PDF)
●応募締切:2015年12月11日(金)当日消印有効
※ 誌面にご登場いただく方には、12月中~下旬に音遊人編集部よりご連絡させていただきます。
※ 選考結果についてのお問い合わせにはお答えできませんのでご了承ください。
※ご応募いただいた際に取得するお客様の個人情報は、誌面にご登場いただく方へのお知らせと応募書類の返却のみに使用させていただきます。