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今月の音遊人:松居慶子さん「音楽は生きとし生けるものにとって栄養のようなもの」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase26)1601年カッチーニの新音楽、20世紀「アヴェ・マリア」からSixTONESに進化
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2024.6.19
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, カッチーニ, SixTONES
ルネサンス末期からバロック初期のイタリアの作曲家ジュリオ・カッチーニ(1551~1618年)といえば「アヴェ・マリア」。だが「カッチーニのアヴェ・マリア」は旧ソ連の作曲家ヴラディーミル・ヴァヴィロフ(1925~73年)の作品だった。カッチーニは歌曲集「新音楽(レ・ヌオーヴェ・ムジケ)」で単旋律と和声的伴奏によるモノディー(単音楽)様式を確立した。現代ポップスの多くはモノディー由来のホモフォニー(和声音楽)だが、単旋律のようで絶妙にハモるグループもいる。例えばSixTONES。モノディーの進化を聴こう。
メディチ家の宮廷歌手だったカッチーニは、マドリガルとアリアから成る歌曲集「新音楽」を1601年に作曲し、翌1602年に出版。複雑な対位法によるポリフォニー(多声音楽)を切り捨て、簡素な器楽伴奏(コード弾きを必ず含む)に独唱を乗せる全く新しいモノディーを打ち出した。この伴奏は「通奏低音」と呼ばれ、次代のバロック音楽の代名詞になる。彼は草創期のオペラも作曲し、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643年)らと並んでバロック音楽の開祖の一人となった。
ルネサンス音楽の発信源はイタリアではなくフランドル地方(現ベルギー、オランダ、北東フランス)だった。フランドル楽派の代表的作曲家はルネサンス中期のヨハネス・オケゲム(1410~97年)とジョスカン・デ・プレ(1455年頃~1521年)、後期のローラン・ド・ラッスス(1532~94年)。複数の声部を持つポリフォニーの宗教音楽や世俗音楽である。
キリスト教圏の西洋音楽は単旋律・無伴奏のグレゴリオ聖歌から始まり、9世紀には第2声が完全4度上や完全5度上を歌う平行オルガヌムが登場した。10~15世紀に対位法的なポリフォニーが発展していく。15世紀前半には英国の作曲家ジョン・ダンスタブル(1390年頃~1453年)による3度や6度の和声法が欧州大陸に伝わり、これを取り入れたブルゴーニュ楽派やフランドル楽派がポリフォニーを精巧化した。フランドル楽派がルネサンス後期の栄華を誇った16世紀後半、カッチーニはイタリアで育ったわけだ。
カッチーニが「新音楽」で取り組んだのは、感情表出としての歌の優先と、そのためのシンプル化である。当時の多声音楽は対位法を駆使し、歌手は必要以上に装飾を凝らしたため、歌詞を聴き取りにくくなっていた。宗教改革に対抗したカトリック教会の1545~63年トリエント公会議でも、過剰に技巧的なポリフォニーを避ける方針が決められた。
カッチーニ「新音楽」はラブソング集
こうした流れの中でイタリアのジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525~94年)は厳格な対位法を用いた簡素で清澄なポリフォニーの合唱様式を確立し、ルネサンス後期の輝きを放った。だがカッチーニはさらに単純な器楽伴奏付きの独唱音楽としてモノディー様式を提唱したのだった。
古楽演奏団体ファンタジアスのロベルト・バルコーニ(カウンターテノール)、ジャンジャコモ・ピナルディ(テオルボ)、マルコ・モンタネッリ(チェンバロ)によるCD「カッチーニ:アマリッリ麗し~新音楽」を聴くと、マドリガルやアリアの数々は何の変哲もない歌に聴こえる。求愛や別離を扱ったラブソングであり、歌詞は複雑な重唱よりも聴き取りやすい。リュート族の撥弦楽器テオルボとチェンバロのコード弾きに乗って、カウンターテノールはメリスマを入れて表情豊かに歌う。
モノディーはギターやピアノの弾き語りによるフォークやポップスに通じるスタイルでもある。「カッチーニのアヴェ・マリア」が世界中で人気を呼んでいる理由もそこにありそうだ。カッチーニ作曲と信じられていたが、ヴァヴィロフが1970年に作曲した。当初は匿名で発表され、ヴァヴィロフ没後のレコーディングでカッチーニ作曲と明記されて流布した。
ヴァヴィロフの「アヴェ・マリア」は、カッチーニの時代ではない現代的な和声を使っている。イ短調(Aマイナー)で見ると、Am→Dm7→G7→Cmaj7→Fmaj7→Dm→ B/D♯→E→Am……。5度下行を基本にした循環コードだ。特にB→E→Amという「Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ」進行が入り、親しみやすい「枯葉コード」になっている。シャンソンの「枯葉」はジャズにもアレンジされる。繰り返し聴きたくなるコード進行なのである。
Cmaj7→Fmaj7というメジャーセブンス(長7の和音)の使用もポップで洗練された曲調を醸し出す。フュージョンやシティ・ポップ風の雰囲気もそこはかとなく漂うのだ。それでいて簡単なピアノやギターのコード弾きを伴奏にして歌われると、カッチーニのモノディーらしい単旋律の美しさが浮き彫りになる。
歌詞が聴き取りやすいはずの純度の高い美旋律だが、歌は「アヴェ・マリア」という言葉を繰り返すのみ。ヴァヴィロフは旧ソ連の古楽推進の第一人者だったようだが、自由に自作を公表できなかったか。人民の思想や言論を監視する専制的な社会主義体制下では、宗教曲も古楽も危険だったかもしれない。困窮の中、48歳の若さで病死したという。
ところでモノディーはバロック期以降、旋律を引き立てる和声を充実させてホモフォニーへと発展していった。ロマン派の時代では旋律を一層重視した和声音楽が中心となる。現代のポップスでもホモフォニーが当たり前であり、誰も疑わない常識となっている。アイドルグループでも複数メンバーが同じ旋律を歌えばモノディー的でホモフォニーである。
しかしモノディー的に聴こえても、実は各声部に技巧を凝らしているアイドルグループもいる。例えばSixTONES。「Imitation Rain(イミテーション・レイン)」(YOSHIKI作詞・作曲・編曲)を聴けば、6人の異なる声質によって精緻に歌割が成されているのが分かる。部分的にハモりも入れ、途中で転調して高音域の歌唱にもなる。声色や和声の変化に凝っても、詩は聴き取りやすく、旋律は推進力を持って走り続ける。
音程が平坦なラップをバックトラック(反復動機)に絡ませるヒップホップはポリフォニー風だが、詩のメッセージ性を重視した歌(語り)と器楽伴奏という点ではホモフォニーに変わりない。1601年のカッチーニのモノディーから始まり、ロマン派や20世紀の「アヴェ・マリア」を経てJ-POPやヒップホップへと、ホモフォニーの進化は続いている。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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