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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase34)ショパンはフレンチ・ポップス、「ノクターン」とエレーヌ・セガラの夢見心地な歌
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2024.10.24
tagged: ショパン, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, エレーヌ・セガラ
「フレデリック・フランソワ・ショパン(1810~49年)はフランスの作曲家。その作品はフレンチ・ポップスである」。ウソを言うなと怒られそうだが、彼の父はポーランドに移住したフランス人。ショパンは21歳から亡くなる39歳までほぼフランスで暮らし、故郷に戻らなかった。主なピアノ曲の大半はパリ到着の1831年前後から作曲された。例えば、ピアノによる流麗な声楽といえる「ノクターン」の数々。夢見心地な美しい旋律はフランソワーズ・アルディやエレーヌ・セガラのフレンチ・ポップスに通じる。
ショパンを「ポーランドの国民的作曲家」と呼べば、違和感を抱く人はいるだろう。ロシア、プロイセン、オーストリアによるポーランド分割後、1830~31年の11月蜂起の失敗で名ばかりのポーランド立憲王国はロシアによる直轄統治となった。蜂起直前にポーランドを出たショパンは、帰る祖国を失った。ショパン好きの誰もが知る経緯だが、亡命者の音楽であることは忘れがちだ。大革命の影響でフランスに帰国できなくなりポーランドで家庭を持った父とは逆に、ショパンは父の祖国フランスで亡命者として生きた。
ショパンはマズルカやポロネーズといったポーランドの民族舞踊のリズム形式に基づいて多くのピアノ曲を作曲した。のちのチェコのスメタナのような国民楽派の先駆と捉える向きもある。しかしショパンは亡命者としてパリやスペインのマヨルカ島、仏中部ノアンなど西欧各地で作曲したからこそ、彼のピアノ曲は世界中で聴かれる音楽になった。
ポーランドが観光振興や国威発揚のためにショパンを民族の偉人として利用したいのは分かる。ショパン国際ピアノ・コンクールは世界最高レベルに違いない。だが「ポーランドの国民的作曲家」を強調しすぎると、史実を歪め、音楽が狭量になり、辟易してショパンを嫌いになる人も出てくる。過度な権威付けは、自由に夢想するショパンの音楽と相容れない。ポーランドはショパンを独り占めにはできない。
ショパンのノクターンを聴きながらポーランドやフランスを巡ったことがある。ワルシャワやクラクフよりも、なぜかパリやルーアン、サン=マロの街並みのほうがショパンのロマンチックな音楽に合うと感じた。ショパンは熱烈なポーランド愛国者だったが、全作品が民族主義一辺倒であるはずもない。聴き手や演奏家の好みでフランス音楽になってもいい。亡命者の音楽にはそれくらいの包容力はある。
注目したいのは、ポーランドの民族音楽に基づかないジャンルの開拓だ。その一つがノクターン。アイルランド出身のピアニスト兼作曲家ジョン・フィールド(1782~1837年)が創始した音楽だ。ノクターンの特徴は、緩やかに漂うような美しい旋律、滑らかで流麗な分散和音によって、ピアノが吐息や囁き声を交えて歌っているように聴こえるところにある。「夜想曲」と和訳されるように静かな夜の音楽といえる。
Charles Richard-Hamelin – Nocturne in E major Op. 62 No. 2 (third stage)
ショパンは幼少期にポーランドでフィールドのピアノ演奏を聴いてファンになった。フィールドに感化され、17歳で最初のノクターン「第19番ホ短調Op.72-1」(死後出版)を作曲した。ショパンのノクターンは全21曲(生前出版の第1番Op.9-1~第18番Op.62-2と遺作の第19~21番)。うち18曲がパリ時代に作曲された。当時パリではフィールドのノクターンが人気を博しており、ブームにあやかりたったのだろう。ショパンのノクターンはさらにロマンチックで、うっとりするほど優美な旋律に満ち、パリの人々を魅了した。
ショパンのノクターンは2種類の旋律、3部形式、右手が旋律、左手は分散和音による伴奏といった平易で歌謡的な構造の曲が多い。彼のソナタやバラード、スケルツォなどと比べれば、軽音楽的で大衆性があり、BGMのように聴き流すことも可能。当時のパリの聴衆は富裕層やポーランド亡命貴族が中心だったが、大衆受けしていたのだからポップスと呼んでもいいだろう。
現代でも人気の高い「ノクターン第2番変ホ長調Op.9-2」や「同20番嬰ハ短調遺作」などはイージーリスニングやムード音楽といえるほどにポピュラーだ。「第2番」は様々に編曲され、フィギュアスケートで使用されることも多い。「第20番」は映画「戦場のピアニスト」のテーマ曲になり、平原綾香の「カンパニュラの恋」の原曲にもなっている。
だが大衆性や通俗性を持つからといって、芸術性が低いことにはならない。ピアニストの腕次第で一級の芸術品に仕上がる。例えば、2010年の第16回ショパン国際ピアノ・コンクールで第1位となったロシアのピアニスト、ユリアンナ・アヴデーエワが弾く「ノクターン第8番変ニ長調Op.27-2」。感情の微妙な揺らぎを映すアゴーギク(緩急法)、深みのあるデュナーミク(強弱法)で孤高の世界を実現させている。
フランソワーズ・アルディの囁き声
聴き手を夢見心地にして癒すノクターンが生まれた背景には、鍵盤楽器の技術革新がある。ピアノの音域が拡大し、弱い音でのデュナーミクの微妙な変化も可能になり、表現の幅が広がった。産業革命による機械工業技術の進歩はピアノ音楽も発展させたのだ。
同じことは20世紀の歌にもいえる。集音・再生技術の開発によって、小さな声や吐息もマイクで拾って聴衆に伝えられるようになった。これは従来のオペラや歌曲の歌唱法でなくてもいいことを意味する。とりわけ微かな鼻母音が甘美な音感をもたらすフランス語の歌、シャンソンやフレンチ・ポップスには追い風となった。
フランスはオペラの伝統を誇る歌の国。エディット・ピアフは大ホールの隅々に届く豊かな声量でシャンソンを歌った。しかしセルジュ・ゲンスブールやジェーン・バーキンの世代になると吐息や呟きが前面に出てくる。例えば、2024年6月に亡くなったフランソワーズ・アルディの1964年のヒット曲「バラのほほえみ(Mon amie la rose)」(セシル・コーリエとジャック・ラコム共作)。囁き声を駆使した表現で、生と死についての詩を静かに歌う。
もちろん声量豊かな力強い歌い方への尊敬の念は根強い。2024年7月のパリ五輪開会式でカナダ出身のセリーヌ・ディオンがピアフの「愛の讃歌」を熱唱したのは記憶に新しい。2000年代以降ではZAZやノルウェン・ルロワもピアフ流の個性的な歌唱法を持つ。一方でノクターン風の吐息や囁きの優美さも兼ね備えているのがエレーヌ・セガラだ。
ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」で頭角を現したセガラは、フランスで絶大な人気を誇るが、日本ではなぜか知られていない。2003年のアルバム「ユメーヌ(Humaine)」は、ノクターンを思わせる名曲ぞろいの傑作。その中の「L’amour est un soleil(愛は太陽)」(リュック・プラモンドン作詞、ロマーノ・ムスマッラとロベルト・ザネッリ作曲)を聴くだけでも、流麗で甘美な曲調にフランス語の響きが欠かせないと実感できる。
ショパンの父はフランス語の教師だった。ショパンは幼少期からフランス語に慣れ親しんできた。パリの社交界に難なく入り込み、作家ジョルジュ・サンドと同棲した背景には、ネイティブと変わらないフランス語力があった。フランス語の響きがノクターンに作用していないか。フレンチ・ポップスと比べて聴くと、ショパンの可能性が広がる。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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