今月の音遊人
今月の音遊人:藤井フミヤさん「音や音楽は心に栄養を与えてくれて、どんなときも味方になってくれるもの」
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ヘルベルト・フォン・カラヤンは、何においても独自の「美学」をもっている人だった。音楽、服装、趣味、家庭、仕事……。人生のすべてにおいて、その「美学」を徹底して貫き通した。生き方そのものが「粋」だった、と表現した方がいいかもしれない。
今回から3回に分けて、カラヤンの生い立ち、音楽人生、指揮者としての足跡をたどってみたいと思う。
カラヤンの演奏からは、香り高い空気――上質で繊細で、こまやかな神経が隅々まで行き届いた、究極の美に彩られた音が空気に乗って流れてくるような感じを覚える。一音たりともおろそかにせず、音にこだわったこの心意気が、音という一瞬にして消えゆく瞬間の芸術に姿を変えて伝わってくるような感覚にとらわれる。
カラヤンは1908年4月5日、オーストリアのザルツブルクに生まれた。生家はザルツァッハ川に面したシュヴァルツ通り1番地で、バロック式の堂々たる建物の2階がカラヤン一家の住まいだった。この建物は現存し、カラヤンの生家を示すプレートが掲げられているが、現在はザルツブルク農業信用金庫の所有となっている。
この家はザルツァッハ川右岸の中心地区に位置し、川の逆サイドには州立劇場があり、その先はミラベル庭園へと続いている。ザルツブルクの一等地というべき場所である。
カラヤンの祖先は、ギリシャのマケドニア地方、コザニの出身で、カラヨアンネスとかカラヤニス、カラヤノプーロスなどと名乗っていたと伝えられている。そのなかのひとりがドイツのザクセン地方に移り住み、ここでトルコの繊維工場を始めた。商才に恵まれた祖先は、やがてウィーンやザルツブルクで財を成し、神聖ローマ帝国の貴族の称号を与えられる。カラヤン家が“フォン”と名乗るようになったのは、これ以後のことである。
ヘルベルトの曽祖父テオドールは、学者としての道を歩んだ。ギリシャ正教会に属していたためウィーン大学の学部長の座を得ることができなかったが、自己を貫く意志、強固な姿勢、偉大なる学問的業績からオーストリアの騎士階級を与えられるまでになった。音楽にも深い関心を寄せ、この魂がのちにヘルベルトに受け継がれたと考えられている。
このテオドールの息子、ヘルベルトの祖父にあたるルートヴィヒ・マリアは、ローマ・カトリックの洗礼を受けている。ルートヴィヒ・マリアは医学博士であり、宮廷顧問官も務めた。カラヤン家の伝統は、不屈の精神でその才能を発揮し、開花させることにあった。祖先はみな粘り強く努力家で、強靭な意志の持ち主だった。
ヘルベルトの父エルンストは医者で、ザルツブルクの聖ヨハネ病院の院長を皮切りに、州立病院の院長、州衛生担当官などを歴任して、人々から尊敬される存在となった。さまざまな階級の人と交流をもち、大衆的な医者として人気があった。彼は音楽をこよなく愛し、クラリネットを演奏して楽しむこともあったという。
伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー