今月の音遊人
今月の音遊人:新妻聖子さん「あの歌声を聴いたとき、私がなりたいのはこれだ!と確信しました」
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vol.6に続いて、“ヴォーカルと楽器によるデュオ”をもうひとつ。
四半世紀ほどの音楽的交流を温めてきた2人が織りなす、“ニッポンというブラジル”と呼びたくなるような、錯綜と幻惑の世界観を浮かび上がらせたデュオだ。
橋本一子ほど、“枠にとらわれない音楽家”という形容が当てはまる人はいない。一方で中村善郎は、ブラジル音楽に関してブラジル人でさえも一目置くという存在。
『duo』橋本一子&中村善郎
ある意味で“水と油”に見える2人の交流は、中村善郎のアルバムに橋本一子が呼ばれたことをきっかけに始まったのだそうだ。
この『duo』が、“橋本一子をゲストに迎えた中村善郎のヴァリエーション”でもなく、“橋本一子のブラジリアンな一面をとらえた異色作”でもないものになっているのは、ひとえにそれぞれの視点がブレずに、しかも不用意に混じり合っていないからだ。
それはある意味で頑なでありながら、しかし柔軟でなければなし得ない。つまり、あくまでも当人たちは“水と油”なのである。
そんな不器用なほどの自分の世界へのこだわりと、それを貫く自信によって築かれたそれぞれの音楽的世界があるにもかかわらず、“水と油”としての世界が成り立つには、“相手に対する信頼感”がなければならなかっただろう。
また、このデュオでは橋本一子がピアノ+ヴォーカル、中村善郎がギター+ヴォーカルと、いずれも弾き語りができる立場にいることも、デュオを複雑にしている。しかし、“専業”ではなかったことが、“水と油”のままでお互いの距離を保つことができる“場”を生んだとも言える。
意識するにしろしないにしろ、枠にがんじがらめになっているのがジャズ・ヴォーカル。そしてまた、それがジャズ・ヴォーカルの“美学”を生み、継承の対象となっていることも事実だ。
それを変えられる“場”を作り得たのは、デュオならではの距離感や視点だったということを匂わせてくれたのが、高樹レイのDuoシリーズであり、橋本一子&中村善郎のデュオだったということになる。
<続>
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
tagged: ジャズ, デュオ, ジャズとデュオの新たな関係性を考える
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