今月の音遊人
今月の音遊人:辻󠄀井伸行さん「ピアノは身体の一部、大切な友だちのようなものです」
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2018年1月15日、ドロレス・オリオーダンが亡くなった。レコーディングのために滞在していたロンドンのヒルトン・ホテルでのことだった。46歳の早すぎる死。死因は本稿を書いている時点で公にされていない。
ドロレスはアイルランド出身のロック・グループ、クランベリーズのシンガーとして活躍。1990年代に「ドリームス」「リンガー」「ゾンビ」などをヒットさせている。
全世界でのアルバム総セールスが4千万枚を超える人気バンドだったクランベリーズゆえ、ドロレスの突然の死は大きな衝撃を伴うものだった。
それは彼らがいかに幅広い層の音楽リスナーに愛されてきたかを、改めて浮き彫りにすることになった。
「ドリームス」がヒット映画『ユー・ガット・メール』や松嶋菜々子出演の”生茶”テレビコマーシャルを通してお茶の間で知られる一方で、「ゾンビ」では母国アイルランドの政治紛争を題材にするなど、よりシリアスな音楽ファンからも支持を得た彼ら。クランベリーズの名前を知らずとも、その曲を聴けば、「ああ、あの……」と思い出す人も多いだろう。
興味深いのは、クランベリーズがさまざまなリスナー層に訴求しながら、特定のシーンに帰属することがなかった点だ。上記の彼らの3大ヒットが世界のチャートを席巻した1994年といえば、オアシスの『オアシス (Definitely Maybe)』とブラーの『パークライフ』がリリースされた、ブリットポップの年である。だが、アイルランド出身のクランベリーズは、ブリットポップとは一線を画していた。
1990年代中盤にはサラ・マクラクランやシェリル・クロウ、ショーン・コルヴィン、ジュエルなど”自立した”女性アーティストが注目された。女性オンリーの”リリス・フェア”フェスティバル・ツアーも行われたが、クランベリーズはそんなムーヴメントからも距離を置き、同フェスに出演することもなかった。
だが、そんな立ち位置も彼らに味方することになった。彼らはブリットポップのファン、女性アーティストのファンのハートを捕らえ、彼らはこぞってクランベリーズのアルバム『ドリームス(Everybody Else Is Doing It, So Why Can’t We?)』(1994)と『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』(1995)を買い求めるべくCDショップに向かったのだった。
クランベリーズの音楽は、より世代が上の音楽リスナーも惹きつけることになった。
初代フリートウッド・マックのギタリストで”緑神”と呼ばれたピーター・グリーンは1970年にバンドを脱退、短期間のソロ・キャリアを挟みながら隠遁生活を送ってきた。だが彼は1996年に奇跡のカムバック。筆者(山崎)が「最近の音楽は聴いていますか?」と訊いたとき、彼が「この歌が好きなんだ」と口ずさんだのが、「リンガー」だった。
また、クランベリーズはアルバム『ベリー・ザ・ハチェット』(1999)と『ウェイク・アップ・アンド・スメル・ザ・コーヒー』(2001)のジャケット・アートワークでストーム・トーガソンを起用。ピンク・フロイドやUFOなどのジャケットを手がけてきたデザイナー・チーム、ヒプノシスの一員だったストームを迎えたことで、クランベリーズのことをまったく知らないヴィンテージ・ロック・ファンまでが彼らの作品を買い漁るという現象もあった。
ドロレスはクランベリーズの休止中、ソロ・アーティストとしての活動を行ってきたが、そのときベーシストとして彼女を支えたのがホワイトスネイク、ブルー・マーダー、ザ・デッド・デイジーズなどハード・ロック/ヘヴィ・メタル界で知られるマルコ・メンドーサだった。彼はSNSで追悼メッセージを発表している。
クランベリーズの音楽は、アジアン・ポップスのファンにも届くことになった。映画『恋する惑星』(1994)の挿入歌として、フェイ・ウォンが「ドリームス」を「夢中人」としてカヴァー。オリジナルも香港や中国本土、シンガポール、マレーシアなどでヒットを記録、英BBCウェブサイトはドロレスへの追悼記事として『アジアのクランベリーズへの根強い愛』という記事を掲載している。
そして、クランベリーズは音楽マスコミのみならず、ゴシップ系タブロイド新聞にも登場している。ドロレスは1994年、かつてデュラン・デュランのツアー・マネージャーだったドン・バートンと結婚しているが、彼女のウェディングドレスはシースルーで、透けて見えるオムツのような大きなパンツは、ロック史上に残るバッド・テイストのひとつとなった。
あらゆる音楽のファンたちから、そして音楽の枠すらも超えて愛されたドロレス・オリオーダン。クランベリーズの音楽と彼女の歌声は、いつまでも鳴り響き、我々の心を揺さぶり続ける。
山崎智之〔やまざき・ともゆき〕
1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に850以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検第1級、TOEIC 945点取得
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