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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase44)プロコフィエフ「戦争ソナタ」、上野優子の全曲シリーズ、アウシュビッツ解放80年は「第8番」

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase44)プロコフィエフ「戦争ソナタ」、上野優子の全曲シリーズ、アウシュビッツ解放80年は「第8番」

セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953年)はロシア帝政下のウクライナに生まれ、米国亡命を経てスターリン体制のソ連に戻った。戦争と革命に翻弄された作曲家は9つのピアノソナタを残した。特に第二次世界大戦中に発表した「戦争ソナタ(第6~8番)」は斬新な調性感とリズムによる名曲ぞろい。ソナタ全9曲シリーズを続けるピアニストの上野優子は、2025年4月公演で「第8番」を弾く。「1月27日のアウシュビッツ強制収容所解放80年にちなみ平和への祈りを込める」と話す。

モダンピアノの性能を最大限発揮

プロコフィエフに傾倒する演奏家は多い。バイオリニスト滝千春による全曲目プロコフィエフ作品の2018年東京公演は記憶に残る。上野は2017年から「プロコフィエフ・ソナタ全曲シリーズ」を始めた。米スタインウェイ、伊ファツィオリ、ヤマハ、カワイ、独ベヒシュタイン、墺ベーゼンドルファーの順に使用ピアノを変える全6回公演。作曲家の誕生日である4月23日の第5回(すみだトリフォニーホール小ホール)は「死と復活」がテーマ。ベヒシュタインで「ピアノソナタ第8番変ロ長調Op.84」を弾く。

プロコフィエフ「ピアノソナタ第5番」「同7番」などを収めた「上野優子リサイタルwith YAMAHA」(CD2枚組、使用楽器:ヤマハCFX、2021年ヤマハホールでのライブ録音、フォンテック)㊧、プロコフィエフ「同6番」を含む「上野優子リサイタルwith KAWAI」(使用楽器:カワイSK-EX、2023年すみだトリフォニーホール小ホールでのライブ録音、同)

プロコフィエフ「ピアノソナタ第5番」「同7番」などを収めた「上野優子リサイタルwith YAMAHA」(CD2枚組、使用楽器:ヤマハCFX、2021年ヤマハホールでのライブ録音、フォンテック)㊧、プロコフィエフ「同6番」を含む「上野優子リサイタルwith KAWAI」(使用楽器:カワイSK-EX、2023年すみだトリフォニーホール小ホールでのライブ録音、同)

それにしても「プロコフィエフにはどのピアノがお似合い?」という副題まで付けて各回を世界大手メーカー各社のピアノで弾き分ける意義は何か。「彼がソナタを作曲した20世紀前半は現代のピアノの完成期と重なる。モダンピアノの性能を最大限に発揮できる作品群」と上野は説明する。各国メーカーのピアノで弾くことは、コスモポリタンだった作曲家の半生を踏まえても意義がある。

プロコフィエフはロシア革命の混乱の中で米国亡命を決意。1918年、シベリア鉄道を経由して日本に2カ月滞在し、サンフランシスコから米国に入った。しかし米国では成功せず、1923年に再び欧州へ。独仏での生活を経て1933年、スターリン独裁体制のソ連となった祖国に戻った。そこで粛清の嵐と第二次大戦に翻弄され、毀誉褒貶にさらされながら、スターリンの死亡年月日と同じ1953年3月5日に没した。作品と同様、挑戦と諧謔、悲劇と皮肉が交錯した生涯である。

夢見るような「第8番」第2楽章

「戦争ソナタ」と呼ばれる「第6番イ長調Op.82」「同7番変ロ長調Op.83」「同8番」はソ連帰国後の第二次大戦中に完成し初演された。戦争中に発表したソナタ3部作という意味であり、戦争を描いた作品ではない。「第6番」や「第8番」の構想や作曲は開戦前から進められたとみられる。しかしスターリンによる自国民の大粛清やナチスドイツの侵攻、ユダヤ人大虐殺など国内外の異常事態を背景にして、作曲家の揺れ動く内面を映しているとは読めそうだ。

例えば、「第8番」第2楽章には「夢見るように(sognando)」という発想標語がある。その旋律は彼の劇付随音楽「エフゲニー・オネーギン」の「メヌエット」を引用した優雅で甘美なものだ。上野は伊イモラ国際ピアノアカデミー留学時代の師ボリス・ペトルシャンスキーからこの第2楽章のレッスンを2024年に受けた。あまりに夢見るように弾いたら、ペトルシャンスキーはこの楽章について、「アウシュビッツでガス室に送られる直前、その後に起きることを何も知らされずに聴かされる美しい音楽のような夢」に例えて教えてくれたという。


Prokofiev: Piano Sonata No. 8 in B Flat Major, Op. 84: II. Andante sognando

ペトルシャンスキーの説明は一つの解釈にすぎず、作曲家がアウシュビッツのホロコーストに触発されて「第8番」を書いたわけでもない。ただ、「第8番」が完成した1944年はアウシュビッツの非人道的な機械性が猛威を振るった時期と重なる。粛清や戦災と合わせて人権を蹂躙する時代の空気を内面化しているところまで読み取るべきなのだろう。ナチス幹部には音楽好きがいて、アウシュビッツにもピアノがあったという。どんなピアノだったかは読者の想像に任せる。本稿中にヒントがあるかもしれない。

イェフィム・ブロンフマンのピアノ、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲&ピアノソナタ全集」(1987~95年録音、ソニー)

マウリツィオ・ポリーニのピアノ独奏による「ストラヴィンスキー:《ペトルーシュカ》からの3楽章、プロコフィエフ:ピアノソナタ第7番他」(1971年録音他、ユニバーサル)

「人間は経験を重ねても同じことを繰り返す。音楽も複雑に発展し、シンプルな状態に戻っていくところがある」と上野は話す。ロシア・ウクライナ戦争が続く中、プロコフィエフを得意とするピアニストの見解として興味深い。プロコフィエフの作品は不協和音を多用し、リズムも複雑だが、古典形式やシンプルな旋律に基づいてもいるからだ。前衛かつ新古典主義である。交響的物語「ピーターと狼」やバレエ音楽「シンデレラ」など「子供に分かる音楽も書いた。それに本人が最も好んだ調性は黒鍵を使わないハ長調だった」。

「第6番」と「はいよろこんで」

「戦争ソナタ」も現代的な複雑さと前衛性、古典形式やシンプルな旋律、グロテスクな機械性と抒情的な人間性を併せ持つ。「破壊的で無機質なところと体温のある抒情的なところのアンバランスな組み合わせがおもしろい。それに機械性。作曲技法としてモールス信号を取り入れており、特に『戦争ソナタ』で顕著」と上野は言う。例えば、「・・・-」のリズムで変ホ音を鳴らす「第6番」第4楽章終結部。これはモールス信号のV符号であり、自身と民衆の勝利(V)を暗示している。

2024年にヒットした「はいよろこんで」(こっちのけんと作詞、GRP・こっちのけんと作曲)は「SOS」を示すモールス信号から始まる。「ギリギリダンス」と歌うサビは「GM7→F#7→Bm7(Ⅵ→Ⅴ→Ⅰ)」のシンプルなコード進行。反復されると自然に踊り出してしまいそうな親しみが沸く。複雑なリズムと歌詞のわりには分かりやすい。モールス信号からの連想で上野が「ポップにシン・発見」用に挙げてくれたJ-POPだが、案外プロコフィエフに通じるところがあるか。

マウリツィオ・ポリーニのピアノ独奏による「ストラヴィンスキー:《ペトルーシカ》からの3楽章、プロコフィエフ:ピアノソナタ第7番他」(1971年録音他、ユニバーサル)

イェフィム・ブロンフマンのピアノ、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲&ピアノソナタ全集」(1987~95年録音、ソニー)

演奏家がプロコフィエフに傾倒するのには理由がある。演奏を通じて作品の奥深さに気付き、聴き手に魅力を伝えたくなるのだ。「戦争ソナタ」にはリヒテル、ポリーニ、ブロンフマンらの名盤もある。スポーティーな高速演奏を得意とするピアニストもいるが、「音型的に速く弾きやすい曲が多いので、速く弾かないほうが難しい。一音一音の意味や重みを考えながら弾きたい」と上野は言う。プロコフィエフにはシン・発見の余地が十分にある。
「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
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