今月の音遊人
今月の音遊人:大江千里さん「バッハのインベンションには、ポップスやジャズに通じる要素もある気がするんです」
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ジャズとクラシックの距離感を考えるための指標はなにかと問われたら、この稿に限って言えば“ボクの主観”とならざるをえない。
どう客観視しようとしても、そのバイアスから逃れることは難しいからだ。
であれば、指標となる“ボクの主観”がいかなるものであるのかを、最初に示しておかなければならないだろう。
ボクは1960年生まれだが、ビートルズの来日ステージ(1966年)をテレビで見た記憶が微かにあるし、同居していた祖父母の部屋には新しもの好きな祖父が買った家具調のステレオがあって、買ってもらったソノシートを繰り返し聴いていたことははっきりと覚えている。
クラシックというジャンルの音楽があることを意識したのは音楽の授業だと思うのだけれど、レコードで自発的に聴くようになったのは百科事典の付録(だったと思う)。たしか直径17センチのEP盤10枚ぐらいのヴォリュームで、音楽の授業で習うような有名曲がランダムに収録されたものだった。
“音楽の授業”や“百科事典の付録”という、クラシック音楽がボクにもたらされるチャネルが、いま思えば大きなバイアスになっていたかもしれない。
つまり、ラジオやテレビから無造作に放り投げられる“大衆音楽”とは“別物”だという意識が、送り手にはもちろん受け手にもあった(あるように仕向けられていた)のが、当時のクラシック音楽だったということだ。
幼少のころから計算高かったボクが、レコードを買ってほしいとねだるときに、ポピュラー系よりクラシックのほうが高い成功率になる(&お利口さんと思われるに違いない)と、いち早く“学習”していたことも否めない。
小学校高学年になると、従姉妹に誘われてN響の定期会員に申し込み、週末の午後にNHKホール通いをしたことも、“ボクの主観”に大きな影響を与えているだろう。
もっとも、後に国立音楽大学を卒業してピアノの先生になった従姉妹に比べてボクは興味が続かず、客席で居眠りとの闘いに明け暮れていたことを告白しておかなければなるまい。
考えてみれば、そこでクラシックに興味を見出すことができなかったことが、後に“クラシックじゃない音楽への執着”を生んで、ジャズにたどり着いたのかもしれない。
実は、こうした“クラシックじゃない音楽への執着”を抱えたジャズ・ミュージシャンはボクよりも年長者に多くみられ、取材を通して「あぁ、この人も……」と感じたことが多々あったのだ。
次回は、ボクが感じた“日本のジャズ界におけるクラシックとの距離感”に触れてみたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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