Web音遊人(みゅーじん)

ドゥダメルと森の交響楽

6月下旬のある日、地下鉄に乗っていたら、車内の液晶画面にこんなおめでたいニュースが流れた。「指揮者サイモン・ラトルと夫人で歌手のマグダレーナ・コジェナーとの間に長女が誕生!夫妻の間では3人目の子どもとなる」
ベルリン・フィルの2013/14年シーズンを締めくくるヴァルトビューネの公演は、当初、芸術監督のラトルが指揮する予定だったが、夫人の出産の時期と重なるため、早い時期からベネズエラ出身の若手指揮者、グスターボ・ドゥダメルに代役が決まっていた。ドゥダメルは6月に病気でキャンセルしたマリス・ヤンソンスの代わりにマーラーの交響曲第3番を振って、その後のツアーにも同行するなど、このところ「事実上の首席客演指揮者のような立場」(ベルリンの地元紙)で活躍している。
そのドゥダメルがベルリン・フィルにデビューしたのが、2008年のヴァルトビューネ公演だった。あのとき、ラテンアメリカ音楽を振って鮮烈なデビューを果たした彼が、今回はチャイコフスキーとブラームスの王道のプログラムでどんな一夜を夢見させてくれるだろう。

2年ぶりにヴァルトビューネに行って感じたのは、入り口のセキュリティ・チェックが随分厳しくなったこと。待てども待てども列が進まず、周囲からブーイングの声が上がるほどだった。ようやく自分の番になると、一眼レフのカメラは入り口で没収、金属製のフォークやナイフを預けるよう指示されている人もいた。
さて、中に入って席を見つけて座ると、心地よい森の風が吹き抜ける。舞台に座ったオケの団員が楽器を片手に勢いよく立ち上がると、それがウェーブとなって、客席に伝播する。3回、4回と続いて、舞台と客席との間に打ち解けた空気が生まれてゆく。

そして、ドゥダメルが登場。前半は、今年生誕450年のシェークスピアの戯曲を題材にしたチャイコフスキーの作品が2曲。ヴァルトビューネのコンサートは、テレビと客席とで聴こえてくる音がずいぶん違う。開演までピクニック気分で飲み食いしていたお客さんも、音楽が始まると静かに聴き入るので、紙袋を開く音でさえ結構周囲に響き渡る。これはコンサートホールとそう変わらない。一方で、ホールにはない音もここでは耳に入ってくる。例えば、鳥の鳴き声。《テンペスト》の前半、木管楽器が細かいパッセージを奏でるところで、上空のクロウタドリが2回続けて見事に「呼応」し、周囲のお客さんからざわめきが起きた。もちろん、みんな笑顔である。

続いては幻想序曲《ロメオとジュリエット》。ドゥダメルは、序奏部では緊張感を保ちつつ密やかに奏で、主部に入ってからの躍動と見事なコントラストを作り上げる。ロメオとジュリエットの愛を表すロマンチックな旋律が、形を変えて聴こえてくる度に、沈み行く夕日とともに移りゆく空の色合いと相まって、まさに幻想的な瞬間が生まれた。ヴァルトビューネのコンサートは、周囲の自然と人とが作り上げる一種の「総合芸術」と言えるのかもしれない。もちろん、それはベルリン・フィルが奏でる最高の音楽があってこそなのだが。

ドゥダメルと森の交響楽

開演前と休憩中は、最上階にある屋台が大賑わい。

後半は、ブラームスの『交響曲第1番』。正直なところ、このような「大曲」は家族連れも多いピクニックコンサートには少々重過ぎるのではないかと思っていたのだが、まったくの杞憂だった。ここでも周囲のお客さんは、静かに、そしてリラックスして音楽に聴き入っていた。第2楽章の響きは、ドイツの深い森を思わせるもので、自然の恵みこそが作曲家に音楽の啓示をもたらす源泉なのだと、私は改めてこの場で感じた。第3楽章で、クラリネット、フルート、オーボエ、ファゴットが旋律を受け渡してゆくところの素晴らしさ。私にとっては、ベルリン・フィルに45年間在籍し、引退間近のソロ・フルート奏者、アンドレアス・ブラウのいぶし銀のような笛の音を最後にもう一度聴けたのが格別の思いだった。

熱狂的に、しかしテンポを煽ることなく、ドゥダメルがブラームスを締めくくると、ここからはアンコール。バーンスタインのディベルティメントから「ワルツ」。そして、ロッシーニの『ウィリアム・テル序曲』から「スイス軍の行進」が流れ出すと、聴衆は手拍子で応え、谷底に巨大なリズムが響き渡る。そして、お馴染みの『ベルリンの風』で、盛り上がりは最高潮に。

ドゥダメルと森の交響楽

ベルリンの西の郊外にあるヴァルトビューネ野外音楽堂。ここで、毎年、一年でもっとも日が長い時期にベルリン・フィルの公演が開催される。

ここ数年のヴァルトビューネのコンサートを振り返ってみると、大雨に振られたり、雨天で延期になったりと、不運が重なっていた。
「何という完璧なヴァルトビューネの夕べだろう。晴天、心地よい気温、蚊もいない。しかも、ワールドカップが始まって最初のオフ日に行われた」
翌週の地元紙には、このような文面から始まる批評が載ったが、私も異論はない。実際、「完璧な」夕べだったのだから。

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