Web音遊人(みゅーじん)

映画「グリーンブック」で感じた“ジャズ”と“クラシック”の高い壁

前回は、ニコライ・カプースチンを軸に冷戦時代のソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)のジャズ事情に触れながら、ジャズとクラシックの関係性を考えてみた。

冷戦とは、アメリカ合衆国を中心とする資本主義・自由主義陣営(西側)と、ソ連を中心とする共産主義・社会主義陣営(東側)の、武力行使(すなわち戦争)を伴わない国際的な対立構造・緊張状態を指し、その期間は1947年から1989年にまで及んだ。

カプースチンを擁した東側の状況に対して、西側の盟主であったアメリカがジャズを自由に演奏できる環境だったのかといえば、そうでもない。

そのことに想いを馳せるきっかけを作ってくれたのが、映画『グリーンブック』だった。

日本では2019年3月に公開された、アカデミー賞作品賞にも輝いたこの作品は、1962年のアメリカが舞台。

アカデミー賞助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリ演じるドクター・シャーリーことドン・シャーリーは実在のピアニストで、1927年フロリダ生まれ。ジャマイカ系移民であるアフリカ系アメリカ人の両親のもと、2歳からピアノを習い始めたというから、裕福な家庭で育ったことが想像できる。

18歳でボストン・ポップス・オーケストラと共演してチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏するなど、クラシック・ピアニストとして脚光を浴びるようになったが、アフリカ系の演奏者に与えられる演奏機会の少なさに嫌気がさして活動を中断し、心理学を学ぶためにシカゴ大学へ入学してしまう。

1954年、再びピアニストの道へと戻った彼は、クラシックをベースにした実験的なジャズを展開するようになり、1955年にはカーネギー・ホールでデューク・エリントン作曲のピアノ協奏曲「ナイト・クリエイチャー」(初演)を弾いている。

「ナイト・クリエイチャー」は、エリントンが作曲家で指揮者のドン・ギルズから依頼され、シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団の後継楽団)のために作ったもの。『ザ・シンフォニック・エリントン』に収録されている音源(第1・第2楽章はストックホルム交響楽団、第3楽章はパリ交響楽団との共演で、ピアノはエリントン自身、録音は1963年)を聴くと、エリントン楽団のサウンドをそのままシンフォニックにスライドさせたような“ジャズ味”に溢れた仕上がりだった。

つまり、1955年にこの曲を弾くことを求められたドン・シャーリーも、彼のクラシック的な素養というよりは、譜面を読むことが堪能でジャズ的な表現力にも秀でていることが評価されての起用だったことがうかがえる。

ただ、ドン・シャーリーのほかの音源を聴くと、サロン・ミュージックを彷彿とさせる軽みのある演奏が多く、エリントン楽団のようなジャズ・ミュージシャンとがっつり組み合う方向には進んでいないのが惜しまれる。

もし彼がそのような方向に進んでいれば、ガンサー・シュラーが1957年に提唱した“サード・ストリーム”に先んじてクラシックをジャズに調和させ、クリード・テイラーがCTIレーベルを立ち上げるよりもひと時代早くクロスオーヴァーな風をジャズ・シーンに巻き起こしていたのではないだろうか。

冒頭で“アメリカがジャズを自由に演奏できる環境だったのかといえば、そうでもない”と書いたのは、そうしたドン・シャーリーの方向性や可能性を受け入れるような環境が決して整っていたとは言えず、そのことを改めて映画『グリーンブック』を観ていて感じたからなのです。

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

 

特集

塩谷哲

今月の音遊人

今月の音遊人:塩谷哲さん 「僕の作る音楽が“ポップ”なのは、二人の天才音楽家の影響かもしれませんね」

5388views

音楽ライターの眼

世界初演、サクソフォン最前線/須川展也&田中靖人 サクソフォンデュオ・コンサート~ピアニスト、小柳美奈子と共に~

3291views

マーチングドラムの必須条件とは?

楽器探訪 Anothertake

マーチングドラムの必須条件とは?

11577views

楽器のあれこれQ&A

エレキギター初心者を脱したい!ステップアップ練習法と2本目購入時のアドバイス

5357views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

13705views

江藤裕平

オトノ仕事人

音楽ゲームの要となるリズムノーツをつくる専門家/『太鼓の達人』の譜面制作の仕事

10037views

HAKUJU HALL(白寿ホール)

ホール自慢を聞きましょう

心身ともにリラックスできる贅沢な音楽空間/Hakuju Hall(ハクジュホール)

23466views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

11094views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

23635views

上海ブラスバンド日本支部

われら音遊人

われら音遊人:上海で生まれた縁が続く大家族のようなブラスバンド

2685views

パイドパイパー・ダイアリー

こうしてわたしは「演奏が楽しくてしょうがない」 という心境になりました

8725views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10458views

桑原あい

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若きジャズピアニスト桑原あいがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

15728views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

12164views

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

音楽ライターの眼

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

1622views

音楽文化のひとつとしてレコーディングを守りたい/レコーディングエンジニアの仕事(後編)

オトノ仕事人

音楽文化のひとつとしてレコーディングを守りたい/レコーディングエンジニアの仕事(後編)

6327views

われら音遊人:年齢も職業も超えた仲間が集う 結成30年のビッグバンド

われら音遊人

われら音遊人:年齢も職業も超えた仲間が集う、結成30年のビッグバンド

9949views

楽器探訪 Anothertake

奏者の思いどおりに音色が変化する、豊かな表現力を持ったグランドピアノ「C3X espressivo(エスプレッシーヴォ)」

9486views

グランツたけた

ホール自慢を聞きましょう

美しい歌声の響くホールで、瀧廉太郎愛にあふれる街が新しい時代を創造/グランツたけた(竹田市総合文化ホール)

7431views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

音楽知識ゼロ&50代半ばからスタートしたサクソフォンのレッスン

8136views

楽器のあれこれQ&A

サクソフォン講師がアドバイス!ステップアップのコツ

2554views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

10168views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10458views