Web音遊人(みゅーじん)

連載16[ジャズ事始め]“上海リヴァイヴァル”を象徴する「上海バンスキング」とアジア・ジャズの序章

1979年(昭和54年)に小劇場で初演。ロングランとなっただけでなく、短期間で2度も映画化された「上海バンスキング」は、前稿で触れた“上海リヴァイヴァル”の日本における顕著な例といえるかもしれない。

斎藤憐の筆によるこの戯曲は、オンシアター自由劇場の主宰者だった串田和美が彼に「ミュージカルのような芝居の脚本を」と依頼したことから生まれた。斎藤憐はそのオファーに対して、1936年(昭和11年)に上海へ赴いたクラリネット奏者とその妻を軸としたストーリーを設定し、ジャズメンらの生態を取り入れながら、エンタテインメントの華やかな世界と軍靴が迫る時世の変化を対比させた舞台を創り上げた。

ちなみに“バンスキング”のバンスとは英語のadvance borrowing(前借り)を省略した日本語で、興行の世界ではこうした略語を符丁のように使うことが珍しくない。

契約金代わりの前渡し金のほかに、レギュラー出演者には支払い予定分のギャランティーを担保にした借金を許していたそうだ。だから、バンスキングとは“前借り王”。

興行主も出演者を確保する意味で“前借り”を“縛り”として利用し、出演者は不安定な生活の穴埋めにするだけでなく、自分の利用価値(つまり“前借り”を断られない限り自分には居場所があるという意味)を確認するかのように借金を重ねていったようだ。

実際には生産性や計画性のある“バンス”などほとんどなく、破滅的な結末が伝えられることが多い。「上海バンスキング」もまた、こうした“狂騒の1920年代”が生んだ明暗が、テーマのひとつになっている。

斎藤憐は、2004年に上梓した『ジャズで踊ってリキュルで更けて―昭和不良伝 西條八十』(岩波書店)でもこの時代に注目。西條八十を中心に、野口雨情、中山晋平、サトウ・ハチロー、古賀政男、服部良一といった、第二次世界大戦前から戦後にかけての“日本の歌”を生み出したクリエイターたちを取り上げて、一時代を築いた“哀歌”の背景を描写している。

そのタイトル、“ジャズで踊ってリキュルで更けて”は、西條八十が作詞を手がけた映画「東京行進曲」の主題歌の一節だった。

映画公開(と主題歌のリリース)は1929年(昭和4年)。まさに“狂騒の1920年代”の日本(銀座)の風俗を反映させたキーワードであり、モボ・モガと呼ばれた“流行に敏感な若者たち”が、ジャズの香りのなかに“自由都市・上海”を透かし見ていたに違いないとする斎藤憐の推測を、ボクも支持したい。

そして1980年代以降、斎藤憐がそうだったように、リアルな音楽演奏の場でも、アジア発という視点のジャズの試みがいくつか見られていた。もしかしたら、魔都・上海の幻影に呼び起こされたかのようなムーヴメントだったといえるかもしれないと思いながら、次回はそのあたりに分け入ってみたい。

「ジャズ事始め」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

松井秀太郎

今月の音遊人

今月の音遊人:松井秀太郎さん「言葉にできない感情や想いがあっても、音楽が関わることで向き合える」

3342views

自伝『ABC: A Lexicon Of Life』

音楽ライターの眼

ABC『ルック・オブ・ラブ!!』の秘密が今明かされる。自伝『ABC: A Lexicon Of Life』刊行

676views

ヤマハギター50周年を機にアコースティックギターのFG/FSシリーズがフルモデルチェンジ

楽器探訪 Anothertake

アコースティックギターFG/FSシリーズがフルモデルチェンジ

19768views

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

楽器のあれこれQ&A

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

23885views

ホルンの精鋭、福川伸陽が アコースティックギターの 体験レッスンに挑戦! Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ホルンの精鋭、福川伸陽がアコースティックギターの体験レッスンに挑戦!

11078views

オトノ仕事人

あらゆるトラブルに対応できる、優れたリペア技術者を世に送り出す/管楽器のリペア技術者を育てる仕事

6623views

水戸市民会館

ホール自慢を聞きましょう

茨城県最大の2,000席を有するホールを備えた、人と文化の交流拠点が誕生/水戸市民会館 グロービスホール(大ホール)

6845views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

10080views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

23462views

みどりの森保育園ママさんブラス

われら音遊人

われら音遊人:子育て中のママさんたちの 音楽活動を応援!

7002views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

大人の音楽レッスン、わたし、これでも10年つづけています!

7252views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26119views

大人の楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

11691views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20133views

ジョージ・ハリオノ

音楽ライターの眼

チャイコフスキー国際コンクール第2位の若き天才ピアニストが待望のヤマハホール・デビュー!!/ジョージ・ハリオノ ピアノ・リサイタル

928views

ステージマネージャーの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

ステージマネージャーひと筋に、楽員とともにハーモニーを奏で続ける/オーケストラのステージマネージャーの仕事(後編)

17789views

われら音遊人:ずっと続けられることがいちばん!“アツく、楽しい”吹奏楽団

われら音遊人

われら音遊人:ずっと続けられることがいちばん!“アツく、楽しい”吹奏楽団

11014views

NU1XA

楽器探訪 Anothertake

アコースティックピアノを演奏する喜びをもっと身近に。アバングランド「NU1XA」

3126views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

10780views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

すべては、あの日の「無料体験レッスン」から始まった

5471views

楽器のあれこれQ&A

目指せ上達!アコースティックギター初心者の練習方法とお悩み解決

101020views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

14374views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

30894views