Web音遊人(みゅーじん)

ベートーヴェン生誕250周年、ソナタ最後の境地/福間洸太朗ピアノ・リサイタル

奇跡の公演である。ベートーヴェン生誕250年の2020年は世界中がコロナ禍に苦しみ、コンサートの中止も相次いだ。その記念年のまさに楽聖の誕生日である12月16日、ヤマハホールで「福間洸太朗ピアノ・リサイタル」が実現した。曲目は最後のピアノ・ソナタ3曲(第30、31、32番)。ベートーヴェンのピアノ作曲技法の集大成だ。苦境の1年を闘い、希望をつなごうとする私たちへの、楽聖からの贈り物だ。

福間はソナタ3曲に入る前に「4声フーガ『Dona nobis pacem(われらに平和を与え給え)』」を弾いた。バッハを思わせる曲だが、自筆譜の発見で楽聖の真作と認定された。24歳頃の作という。福間の指摘通り、最後のピアノ・ソナタ3曲に通じる音型を聴く気がした。3曲は大作『ミサ・ソレムニス』の作曲期間とも重なり、変奏曲とフーガの技法が特徴であるだけに、バッハ風の曲は導入にふさわしい。

『第30番ホ長調作品109』は幻想的な音楽だ。気負ってはいけないし、ロマン派風に歌いすぎると構成が崩れてしまう。第1楽章の演奏は強弱と緩急の幅が大きい。速い2拍子の部分が9小節続くだけですぐに、遅い3拍子の部分が挿入句のように現れる。それが交互に続いて夢見心地の気分を醸し出す。コントラストを浮き彫りにするために、速い部分ではリズムと響きの輪郭を明確にしたい。遅い部分も緩急をやや付けすぎていた。

第2楽章は音量が大きく、若さを感じる。熱情的であり、中期のソナタを聴くようだ。『第30番』は49歳の作であり、まだ『ミサ・ソレムニス』も『交響曲第9番』も完成していない。晩年らしい達観の雰囲気を出す必要はないのかもしれない。第3楽章では落ち着いた優しい音色になったが、もう少し内省的な味わいがほしかった。

『第31番変イ長調作品110』は第1楽章が柔らかい響きだ。第2楽章は一音ごと愚直な弾き方が枯淡を感じさせる。ブラームスの晩年のピアノ曲を先取りする内向的な渋さだ。第3楽章では悲しみを込めて『嘆きの歌』を紡いだ。『不滅の恋人』との悲恋も回想するようなシーンだ。その悲しみの深さゆえに、続く荘厳なフーガが前向きな盛り上がりを築いた。

『第32番ハ短調作品111』は冷静で入念な弾き方だ。激しい第1楽章は粗暴にならず、厳格な構成美を聴かせた。第2楽章も安定している。唐突に入る32分の12拍子の第3変奏は「ジャズ風」ともいわれるが、当時ジャズはまだ無い。現代の耳でそう思えるだけであり、ここをポップに捉える演奏は嫌いだ。福間はポピュリズムとは無縁で、主題が細分化される変奏の美を伝えていた。

アンコールは最後のピアノ曲集『6つのバガテル作品126』から『第3曲変ホ長調』。ソナタ3曲に通じる安らぎを聴かせつつ、100年後のウェーベルンを予感させる音の小宇宙。現代音楽にまで続くベートーヴェン250年の影響力を小品に象徴させて、記念公演を閉じた。

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社文化部デスク。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

特集

渡辺美里

今月の音遊人

今月の音遊人:渡辺美里さん「歌を聴きたいといってくださるファンとの時間は最高の財産です」

7510views

音楽ライターの眼

憧れが魅力に昇華するまで……その軌跡を辿る音楽旅/飯森範親と辿る芸術 Vol.4 ~ピアノの名手ベートーヴェンが描いた弦楽器の世界~

2711views

楽器探訪 Anothertake

おしゃれで弾きやすい!新感覚のアコースティックギター「STORIA」

50406views

CLP-825WH

楽器のあれこれQ&A

はじめての電子ピアノを選ぶポイントや練習を続けるコツ

3863views

世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

8248views

音や音楽の“聴こえ”をサポートし、豊かな人生を届ける/補聴器を世の中に広める仕事

オトノ仕事人

音や音楽の“聴こえ”をサポートし、豊かな人生を届ける/補聴器を世の中に広める仕事

657views

久留米シティプラザ - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

世界的なマエストロが音響を絶賛!久留米の新たな文化発信施設/久留米シティプラザ ザ・グランドホール

20282views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

7367views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20767views

スイング・ビーズ・ジャズ・オーケストラのメンバー

われら音遊人

われら音遊人:震災の年に結成したビッグバンド、ボランティア演奏もおまかせあれ!

6288views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.7

パイドパイパー・ダイアリー

最初のレッスンで学ぶ、あれこれについて

4997views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

32270views

おとなの楽器練習記:岩崎洵奈

おとなの楽器練習記

【動画公開中】将来を嘱望される実力派ピアニスト、岩崎洵奈がアルトサクソフォンに初挑戦!

12222views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

20767views

ウルヴァーの“闇のポップ”への進化過程

音楽ライターの眼

Ulver(ウルヴァー)の“闇のポップ”への進化過程

11346views

音楽文化のひとつとしてレコーディングを守りたい/レコーディングエンジニアの仕事(後編)

オトノ仕事人

音楽文化のひとつとしてレコーディングを守りたい/レコーディングエンジニアの仕事(後編)

6590views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

1493views

楽器探訪 Anothertake

26年ぶりにラインアップを一新!「長く持っても疲れにくい」を実現し、フラッグシップモデルが加わったバリトンサクソフォン

4032views

サントリーホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

クラシック音楽の殿堂として憧れのホールであり続ける/サントリーホール 大ホール

23925views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

クラス分けもまた楽しみ、レッスン通いスタート

5155views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

9371views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

7323views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26802views