今月の音遊人
今月の音遊人:大塚 愛さん「私にとって音は生き物。すべての音が動いています」
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ヨーロッパでは年末年始に多くの歌劇場が上演するR.シュトラウスの「ばらの騎士」
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2021.1.26
「オペラは何を聴いたらいいか、よくわからない」という声をよく耳にするが、オペラは総合芸術ゆえ、さまざまなニーズに応えることができる幅広さと奥深さを備えている。一度、すばらしい演奏家や演出家によるオペラの空気をまとい、その真意に触れたらとりこになることまちがいなし。
そのためには、ちょっとした予習が必要かもしれない。あらかじめ聴きにいくオペラのストーリーをざっと調べておけば、当日は字幕に目を凝らさず、音楽そのものに集中することができるからである。
ここでは世界中で大人気を博し、年末年始のヨーロッパの風物詩ともいえるリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」を取り上げてみたい。フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの台本によるこのオペラは、18世紀のマリア・テレジア治世下(ハプスブルク帝国)のウィーンの貴族生活が舞台となっている。そこで繰り広げられる愛の物語がオペラ・ブッファ(喜歌劇)のスタイルで描かれ、R.シュトラウスの音楽は明るく優雅。美しく官能的なアリアや重唱が全編を覆っている。
主演は4人。美しく、内省的な性格の元帥夫人マリー・テレーズ(リリックソプラノ、32歳未満)と、その愛人である青年貴族オクタヴィアン(男装のメゾ・ソプラノ、17歳)、野卑で好色なオックス男爵(バス、35歳くらい)、富裕なファニナルのひとり娘で、オックス男爵との政略結婚が予定されている若いゾフィー(リリックソプラノ)。
なお、ばらの騎士とは、ウィーンの貴族が婚約の申し込みの儀式に際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のばらの花を届けることから、こう呼ばれる。ただし、これは伝統的な事実ではなく、ホーフマンスタールの創作とされている。
実は、このオペラには生涯忘れえぬ思い出がある。カルロス・クライバーのウィーンと東京公演を聴き、天空に飛翔するような感動を得たからだ。ただし、ウィーン公演は本当にクライバーが振るのだろうか、直前になって急遽キャンセルになるのではないだろうかと、薄氷を踏むような思いを抱いた。1994年3月21日、ウィーン国立歌劇場のオーケストラ・ピットにクライバーが姿を現すまで、この不安はずっと脳裏をかすめ続けていた。
クライバーがウィーンで「ばらの騎士」を振るというニュースはかなり前から伝えられていたが、自身の目指す音楽が完璧に表現できないと容赦なくキャンセルする彼のこと、このときも直前まで出演が危ぶまれていた。しかし、同じキャストでその秋に日本公演が組まれていることもあり、ウィーン公演も大丈夫だろうというのが大方の予想だった。
さて、18日の初日には確かにクライバーが登場し無事に振り終えたものの、例のおじぎをしてから振り向きざまにタクトを降ろしたためウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィル)の出足がそろわず、クライバーは完全にアガり、それが歌手陣にも伝染して総アガリ状態になったとか。新聞は「クライバーは失敗か!」と書き立て、そのニュースは世界中から駈けつけたクライバー・ファンを不安に陥れた。
ところがクライバーもウィーン・フィルも名誉挽回とばかりに発奮、私が聴いた21日は超のつくすばらしい出来。クライバー特有の踊るような指揮にも拍車がかかり、ウィーン・フィルも底力を発揮。アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(オクタヴィアン)が若々しく凛々しい美男ぶりを披露し、バーバラ・ポニー(ゾフィー)は知的な味わいを役にプラス。フェリシティ・ロット(元帥夫人)は輝かしい歌声で喝采を浴び、クルト・モル(オックス男爵)も名演技と張りのある低音で存在感を示した。
「ばらの騎士」は作曲者のモーツァルトへの憧憬とJ・シュトラウスのワルツへの親近感が見られ、音楽は明朗で軽快で流麗。ワルツが印象的に用いられ、各々の動機は緊密かつ有機的に組み立てられ、管弦楽は大規模な交響楽の形式を備えている。台本のホーフマンスタールは、モリエールをはじめとするさまざまな作品からヒントを得たとされている。
「サロメ」や「エレクトラ」で世間を騒がせたR・シュトラウスは、この新作で一気に人気沸騰、各国から聴衆がドレスデンへと押し寄せ、「ばらの騎士」と題した列車がベルリンからドレスデンの間を走ったほどだった。
印象的なのは、元帥夫人が自分の年齢を考慮し、愛人をあきらめ、若いオクタヴィアンとゾフィーの愛を大きな気持ちで認めるところ。ここではまさに、大人の色香が感じられるアリアが登場する。とりわけ終幕にオクタヴィアンとゾフィーによってうたわれる「夢なのでしょう、本当ではないのでしょうか」は、究極の美に彩られた二重唱。オペラのクライマックスで、自然に涙がこぼれてきそうな美しさだ。
「ばらの騎士」はオープニングからフィナーレまで夢見心地の気分が味わえ、日常からしばし離脱し、異次元の世界へと運ばれる。このオペラが、今秋ウィーン国立歌劇場の来日公演で上演されることになった。指揮は、いま世界中から熱い視線を注がれている新音楽監督のフィリップ・ジョルダンである。さあ、至福の時間に身を委ねませんか。
『R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」』
公演日:2021年10月14日(木)、17日(日)、20日(水)、23日(土)
会場:東京文化会館
出演:フィリップ・ジョルダン(指揮)、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団
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伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー