今月の音遊人
今月の音遊人:前橋汀子さん「同じ曲を何千回、何万回演奏しても、つねに新しい発見や見え方があるのです」
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ホールの空間を広げるピリオド楽器の“怪”と“快”/珠玉のリサイタル&室内楽 ベートーヴェン初期の室内楽 ~鈴木・小倉・岡本が創る新時代の幕開け~
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2021.8.19
ヤマハホールらしからぬ光景が目の前に広がる。舞台の上にあるピアノは黒光りしていないし、「YAMAHA」の金文字や「Bösendorfer」の髭文字も刻まれていない。調律師もヤマハの技術者ではない(古典鍵盤楽器製作者・太田垣至さん)。
それもそのはず、この楽器は演奏者の持ち込んだフォルテピアノで、ウィーンの製作家アントン・ヴァルターの作った楽器(1795年)を模している。弦楽器の2人も1800年前後のセッティングか、それに近い状態の楽器で演奏に臨む。いわゆるピリオド楽器だ。
2021年7月11日のコンサートにはバイオリン奏者の岡本誠司、チェロ奏者の鈴木秀美、フォルテピアノ奏者の小倉貴久子の3人が出演し、ベートーヴェンの室内楽を披露した。3つの楽器それぞれのソナタに、全員集合の三重奏曲を加えた全4曲のプログラム。
バイオリンの岡本は、弦楽器と管楽器の音色を、弓づかいとビブラートで弾き分ける。曲の中での役割を踏まえているから、単なる物真似ではなく、作品の中にきちんと居場所を持った音を出す。
フォルテピアノはもともと音域によって音色がはっきりと違う。楽器のなかに“老若男女の役者”を閉じ込めているわけだ。奏者の小倉はさらに、彼ら“登場人物”のセリフに句読点をしっかりと打つので、“おしゃべり”への参加人数が多くても、その会話は決してごっちゃにならない。
チェロの鈴木秀美は3人のうち最年長。その貫禄はつねに新鮮な演奏の中にあらわれる。たとえば同じ音形の繰り返しでも、子音(音の出端の雑音成分)を変え、母音(発音後の音の広がり)を改めるので、ニュアンスが刻々と変化する。
そんな3人が顔を揃えた三重奏曲第1番は圧巻だった。最初、舞台から客席へと放射状に広がっていた音響空間が、短調の局面を境に舞台後方に奥行きを広げる。フォルテピアノのペダルづかいが空間を拡張するのだろう。管弦楽のホルンのような役割を担っているのだ。それに呼応して弦楽器陣が母音の残し方を変える。ダブルリード楽器のようなどこか滑稽な響きを、バイオリンが奏でてみたりもする。
第3楽章スケルツォの活発な長短短リズムも、終楽章の伸びやかな短長リズムも、弓づかいの巧みな弦楽器奏者と、弓づかい同様の力動を鍵盤から引き出すピアニストのおかげで、しっかりとして煮崩れない。一方で面取りもしてあるから適度に柳腰にもなる。
スカイダイビング直前のような緊張感と、そこからふわりと着地するときのような安堵感との振幅も大きいし、音響空間の拡げ方も大胆で、これはまるで交響曲だと思わされる。それでいて、室内楽曲の丁寧さがその土台に。だから演奏は、繊細な手つきで大胆なサウンドを、鷹揚な仕草で細やかな情緒を表現できる。
ベートーヴェンの室内楽は交響曲と地続き。ただし、シンフォニーが縮小したのではない。濃縮したのだ。その濃い世界を進むのに、ピリオド楽器は最適なコンパスであり、地図であると、この日の演奏が改めて教えてくれた。
澤谷夏樹〔さわたに・なつき〕
慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。2003年より音楽評論活動を開始。2007年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞。2011年度柴田南雄音楽評論賞本賞受賞。著書に『バッハ大解剖!』(監修・著)、『バッハおもしろ雑学事典』(共著)、『「バッハの素顔」展』(共著)。日本音楽学会会員、 国際ジャーナリスト連盟(IFJ)会員。
文/ 澤谷夏樹
photo/ Ayumi Kakamu
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tagged: 小倉貴久子, 鈴木秀美, 音楽ライターの眼, 岡本誠司
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