Web音遊人(みゅーじん)

巨大なピアニッシモを基本として弾いていく、ベーゼンドルファーピアノとの出会い/大野眞嗣インタビュー

ロシアピアニズムの奏法を約30年間にわたって研究し、独自のメソッドで教育活動を展開している大野眞嗣しんじ さん。最近、新たなピアノと出会い、自身のピアノ観が覆されるほどインスピレーションを刺激されていると聞いて早速、お話をうかがってみた。

繊細さを究極まで突き詰めることのできる楽器

「10年弾いてきた他社のフルコンサートグランドピアノから新たな発想が湧かなくなってしまい、この先何を考えどうやって生きていったらいいのだろうと途方にくれていたときに、ベーゼンドルファーの最新モデルを試弾し、衝撃を受けました。シューベルトのソナタをちょっと弾いてみたんですが、響きがフワッと歌い上がって、それに包まれる心地よさは、生まれて初めての体験でした。響きが豊かだと、音を出すタイミングも自由になり、歌い回しや音楽の作り方も今までの発想になかったものが次々と湧いてくるんです。これはすごい!と、一瞬でベーゼンドルファー Model280VCの購入を決めました」

詳細はこちら >

2021年4月に納入されて以来、日々楽器と対話しながら、まだ知らない世界があったと驚き、好奇心をそそられているという。

「生きる道標を示してくれたように思います。それは、一言で言えば繊細さ。この楽器には、薄い氷の上を歩いているような繊細さを感じます。そして、その繊細さの裏には心の広さ、深さ、優しさ、つまりは寛容さがあります。私にとってベーゼンドルファー Model280VCは、もはや楽器を超えて生きた品格ある人間として存在しています。私自身もそんな人間になることを目指して精進し、残りの人生を歩みたいと思います」

よい音には表と裏、天使と悪魔が存在する

内田光子さんの日本人ならではの繊細な演奏に強く心惹かれると語る大野さん。ベーゼンドルファー Model280VCには、そうした微妙な表現に通じる何かがある、美しい以上の美しさを称して「麗しい」という言葉があり、「もえぎいろ」のような色彩を微妙に表現する言葉がある日本の文化は、ベーゼンドルファーのウィーンの伝統につながるという。

「ウィーンは中央ヨーロッパ。多種多様な人種が入り混じり、オーストリア・ハンガリー帝国が生まれました。その地理的、歴史的背景から、ウィーン独自の繊細な文化伝統は生まれたのです。ベーゼンドルファー Model280VCはそのような伝統を知っている職人たちが作った楽器なんだなと、その音色から感じます。教会の鐘の音、石畳を歩く足音、カフェの喧騒、そういうものをすべて含めてウィンナートーン。よい音って、表と裏の響きがあるんです。言葉を変えると天使と悪魔。人間の感情と同じですね。そういう複雑なニュアンスを表現できる楽器です。矛盾する、相反するものは、すべて宇宙のエネルギーから生まれている。そのエネルギーをすべて集めて、指先から楽器に伝えたいと思います」

88鍵の横に広がる鍵盤への意識ではなく、ピアノのボディの一番長い先端に向かって音を鳴らすという感覚に、あらためて目覚めたという。

「若いころは横の感覚で弾いていたんですが、いつからか縦の感覚で弾くようになりました。2次元から3次元へとでも言うのでしょうか。音楽の根源的な楽器とも言える声楽の演奏家が、ホールの客席に声を届けるような感覚ですね」

クラシック音楽は過去を辿る旅

クラシック音楽を演奏するということは過去に作られた作品を辿る旅だと語る大野さん。

「国際コンクールの演奏などを聴いていると、その演奏の大半は未来に意識が向けられているように感じます。みなさん上手いんだけれど、少し違和感を覚えてしまう。本来、過去を辿るべきだと思っているので……。ときどき、過去にイメージを巡らせて弾いている人に出会うと、必ずしも評価されるとは限らないけれど、ホッとしますよね」

ベーゼンドルファー Model280VCを弾くようになって、自身の精神宇宙を100パーセント出すのではなく、10パーセント程度で言い尽くすようなゆとりと美意識を感じているという。

「ある著名なピアニストがマスタークラスでおっしゃっていて、すごく的を射た表現だなと思った言葉があります。『リストのソナタの出だしは巨大なピアニッシモである』。それは、まさに私がベーゼンドルファー Model280VCに感じているイメージです。巨大なピアニッシモを基本として弾いていく。触れるだけで歌ってくれる楽器。10パーセントのゆとりの演奏ができる。力を抜いて楽器に身を任せるだけで、ファンタジー豊かな音楽世界が広がる。ウィーン作品にはもちろん合っているけれど、ショパン、そしてドビュッシー、フォーレ、メシアンなどのフランス作品にも合っている。繊細さだけでなく、音に核があるのでパワーもある。この楽器と過ごすこれからの人生が楽しみです」

大野眞嗣〔おおの・しんじ〕
1965年東京生まれ。桐朋学園大学およびモーツァルテウム音楽院(オーストリア)にて学ぶ。ヨーロッパ在住中、ドミトリー・バシキーロフ、タチアナ・ニコラーエワ両氏との出会いからロシアピアニズムに目覚め、現在まで研究を続けている。約30年間のロシアピアニズムの奏法の研究、教育活動において、国際、国内コンクールにて多くの受賞者を輩出しており、ヤマハ・マスタークラス、桐朋学園大学、東京藝術大学、洗足学園音楽大学、常葉大学短期大学部、国立音楽大学にて教職に就いている。自身のブログ「大野眞嗣 ロシアピアニズムをつぶやく」を通じて日本にロシアピアニズムの奏法を広める執筆活動を継続中。 また、著書に「響きに革命を起こすロシアピアニズム」~色彩あふれる演奏を目指して~(ヤマハミュージックメディア)、その他、冊子「ピアノの本」にて「大野眞嗣のロシアピアニズムが教えてくれた」を連載。
大野眞嗣オフィシャルサイト

■ベーゼンドルファー Model280VC

Model280VCは、ベーゼンドルファーの伝統的なピアノづくりをベースにスケールデザインを一新し、「歌う音」と評されるあたたかな音色をそのままに、音の立ち上がりの速さとダイナミックレンジの広さ、そして音色の多彩さを実現しました。クラシック、現代曲、ジャズなど、アーティストが求める様々な表現に応えるコンサートグランドピアノです。


Maki Namekawa plays Philip Glass Piano Etude No 9 & No 20
詳細はこちら

photo/ 坂本ようこ

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:富貴晴美さん「“音で遊ぶ人”たちに囲まれたおかげで型にはまることのない音作りができているのです」

5912views

映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』

音楽ライターの眼

プリンスの故郷を通して見える素顔。映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』

2712views

Venova(ヴェノーヴァ)

楽器探訪 Anothertake

スタイリッシュで斬新なデザイン。思わず吹いてみたくなるカジュアル管楽器「Venova(ヴェノーヴァ)」の誕生

11537views

楽器のメンテナンス

楽器のあれこれQ&A

大切に長く使うために、屋外で楽器を使うときに気をつけることは?

62264views

世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】世界各地で活躍するギタリスト朴葵姫がフルートのレッスンを体験!

9056views

音や音楽の“聴こえ”をサポートし、豊かな人生を届ける/補聴器を世の中に広める仕事

オトノ仕事人

音や音楽の“聴こえ”をサポートし、豊かな人生を届ける/補聴器を世の中に広める仕事

4315views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

7860views

Kitaraあ・ら・かると

こどもと楽しむMusicナビ

子どもも大人も楽しめるコンサート&イベントが盛りだくさん。ピクニック気分で出かけよう!/Kitaraあ・ら・かると

7317views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

26546views

AOSABA

われら音遊人

われら音遊人:大所帯で人も音も自由、そこが面白い!

13136views

山口正介 Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

マウスピースの抵抗?音切れ?まだまだ知りたいことが出てくる、そこが面白い

6633views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

35061views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

11762views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

9636views

音楽ライターの眼

ホールの空間を広げるピリオド楽器の“怪”と“快”/珠玉のリサイタル&室内楽 ベートーヴェン初期の室内楽 ~鈴木・小倉・岡本が創る新時代の幕開け~

6341views

オトノ仕事人

芸術をとおして社会にイノベーションを起こす/インクルーシブアーツ研究の仕事

7868views

われら音遊人:高度&骨太なサウンドにソウルフルな歌声が響く!

われら音遊人

われら音遊人:高度&骨太なサウンドにソウルフルな歌声が響く!

1250views

reface

楽器探訪 Anothertake

コンパクトなボディに優れた操作性が溶け込んだデザイン

7089views

音の粒までクリアに聴こえる音響空間で、新時代へ発信する刺激的なコンテンツを/東京芸術劇場 コンサートホール

ホール自慢を聞きましょう

音の粒までクリアに聴こえる音響空間で、刺激的なコンテンツを発信/東京芸術劇場 コンサートホール

14204views

山口正介さん

パイドパイパー・ダイアリー

「自転車を漕ぐように」。これが長時間の演奏に耐える秘訣らしい

6946views

楽器のあれこれQ&A

ピアノ講師がアドバイス!練習の悩みを解決して、上達しよう

5894views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

12489views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11843views