Web音遊人(みゅーじん)

戦争の苦境、郷愁誘う希望の光/小菅優&佐藤俊介デュオ・リサイタル「第一次世界大戦とクラシック音楽~作曲家に想いを馳せて~」

第一次世界大戦の激震が走る欧州に、古き良き時代から光が差す。ピアニストの小菅優とバイオリニストの佐藤俊介によるデュオ・リサイタル「第一次世界大戦とクラシック音楽~作曲家に想いを馳せて~」を2022年7月6日、ヤマハホールで聴いた。ヒンデミットやエルガーらが戦時中に書いた作品を集めたが、戦前のベル・エポック(美しい時代)への郷愁を誘う演奏だった。戦争の苦境に抗うように、欧州文化の粋としての古典(クラシック)が呼び起こされ、希望を灯す選曲。印象派のドビュッシーでさえ懐かしくも古典的に聴こえる。名演だ。

ドイツの作曲家ヒンデミットは、19歳のときに父が戦死し、その後自身も出征した。公演の最初はヒンデミットが兵役時に作曲した『バイオリン・ソナタ変ホ長調作品11-1』。小菅のピアノは激烈に第1楽章を始めた。佐藤のバイオリンは英雄的な高揚感に溢れるが、切迫感も漂う。静かに沈潜する第2楽章で曲は終わる。未完成のソナタだが、戦時の狂騒と鎮魂の両面を描き出した好演といえよう。

2曲目、イザイの『子供の夢』は、作曲家自身のバイオリン演奏による録音がまず流れた。雑音交じりの古い音源で会場は20世紀初めにタイムスリップした。ポルタメント(滑らかな音程移動)を多用した佐藤の弾き方は、イザイやクライスラーが活躍した時代の甘美なロマンに満ちている。佐藤はモダンとバロック双方のバイオリンを弾く二刀流だが、近現代の作曲当時を再現するピリオド奏法への挑戦といえる。

続くラヴェル『クープランの墓』から『フーガ』『フォルラーヌ』は小菅の独奏。細やかで深みのあるデュナーミク(強弱法)だ。30代前半でベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音を完結した小菅だが、ラヴェル作品では淡い色彩感を表現し、深化を示した。

前半のハイライトはドビュッシー晩年の傑作『バイオリンとピアノのソナタ』。印象派の先入観ではつかみどころがない曲だが、2人の演奏は力強く明晰でメリハリがある。ベーゼンドルファーのピアノは激しい打鍵でも落ち着いた音を造形し、曲の構成美を浮き彫りにした。

後半1曲目はコルンゴルト『空騒ぎ 作品11』から『ドグベリーとヴァージス』。行進曲は戦意高揚につきものだが、シェイクスピアの劇音楽として皮肉や諧謔が盛り込まれている。彼の先輩作曲家マーラーの歌曲『死んだ鼓手』や『少年鼓手』の滑稽な悲劇性にも通じる。ひねりのある演奏はマーラーへのオマージュを想起させた。

再び古い録音が流れた。ドイツ潜水艦による客船の誤爆で水死したスペインの作曲家グラナドス自演のピアノ曲「スペイン舞曲集第5番『アンダルーサ』作品37の5」。パートカラーの映画のように、歴史的音源に続いてクライスラー編曲によるデュオでの実演が始まる。佐藤のポルタメントがレトロな旅愁を醸し出す。戦間期に流行するアガサ・クリスティーの推理小説が思い浮かんだ。最後は英国のエルガーの大作『バイオリン・ソナタホ短調作品82』。情熱のうねりを大胆さと繊細さで見事に奏でた。ブラームスの影響を伝えるロマン派の感情表現だ。

「戦争の暗さの中、音楽を光として使った人たちがいた」と佐藤は語った。軍楽隊員だったヒンデミットは、人々に希望の光をもたらすことが職務と自覚しただろう。クラシック音楽は第一次大戦後、新古典主義としてもう一花咲かす。希望は郷愁に似ている。懐かしくも前向きなデュオに涙腺が緩んだ。

 

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社メディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

photo/ Ayumi Kakamu

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:大塚 愛さん「私にとって音は生き物。すべての音が動いています」

17935views

音楽ライターの眼

スーパーグループ、トマホークの新作『トニック・イモビリティ』とメンバー達の多彩な活動

2267views

REVSTAR

楽器探訪 Anothertake

いまの時代に鳴るギターを目指し、音もデザインも進化したエレキギターREVSTAR

7295views

エレキベース

楽器のあれこれQ&A

エレキベースを始める前に知りたい5つの基本

5271views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:独特の世界観を表現する姉妹のピアノ連弾ボーカルユニットKitriがフルートに挑戦!

4761views

誰でも自由に叩けて、皆と一緒に楽しめるのがドラムサークルの良さ/ドラムサークルファシリテーターの仕事(後編)

オトノ仕事人

リズムに乗せ人々を笑顔に導く/ドラムサークルファシリテーターの仕事(後編)

7076views

サラマンカホール(Web音遊人)

ホール自慢を聞きましょう

まるでヨーロッパの教会にいるような雰囲気に包まれるクラシック音楽専用ホール/サラマンカホール

21594views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

11013views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

12093views

スイング・ビーズ・ジャズ・オーケストラのメンバー

われら音遊人

われら音遊人:震災の年に結成したビッグバンド、ボランティア演奏もおまかせあれ!

5951views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

サクソフォン教室の新しいクラスメイト、勝手に募集中!

4684views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26112views

大人の楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

11687views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

23450views

音楽ライターの眼

UKパンク・ロックの伝説ザ・ダムドがオリジナル編成で2021年に復活

8841views

小林洋平

オトノ仕事人

感情や事象を音楽で描写し、映画の世界へと観る人を引き込む/フィルムコンポーザーの仕事

2315views

われら音遊人:バンド経験ゼロの主婦が集合 家庭を守り、ステージではじける!

われら音遊人

われら音遊人:バンド経験ゼロの主婦が集合 家庭を守り、ステージではじける!

8921views

STAGEA(ステージア)ELB-02 - Web音遊人

楽器探訪 Anothertake

スタイリッシュなボディにエレクトーンならではの魅力を凝縮!STAGEA(ステージア)「ELB-02」

14552views

ホール自慢を聞きましょう

歴史ある“不死鳥の街”から新時代の芸術文化を発信/フェニーチェ堺

8855views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

6087views

フルート

楽器のあれこれQ&A

初心者にもよくわかる!フルートの種類と選び方

21852views

Kitaraあ・ら・かると

こどもと楽しむMusicナビ

子どもも大人も楽しめるコンサート&イベントが盛りだくさん。ピクニック気分で出かけよう!/Kitaraあ・ら・かると

6254views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10364views