
今月の音遊人
今月の音遊人:新妻聖子さん「あの歌声を聴いたとき、私がなりたいのはこれだ!と確信しました」
20892views
【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#057 マッチョなジャズに反旗を翻したエポックメイキングな“声”~チェット・ベイカー『チェット・ベイカー・シングス』編
この記事は4分で読めます
175views
2025.3.18
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, チェット・ベイカー
最近(といってもこの10年ぐらいというスパンの話になりますが)、チェット・ベイカーの“生きざま”にスポットを当てた映画が2本も公開されていて(2016年公開の『ブルーに生まれついて』と2019年公開の『マイ・フーリッシュ・ハート』)、1988年に58歳で亡くなったこの不世出のトランペッター&ヴォーカリストの評価が生前よりも高まっていることを感じていました。
チェット・ベイカーを扱った映画といえば、著名なファッション・フォトグラファーであるブルース・ウェーバーがメガホンを握ってチェット・ベイカー本人が登場するドキュメンタリー的な作品『レッツ・ゲット・ロスト』(1989年公開)を最初に挙げるべきですが、没後30年を迎えようとする2010年代後半に役者を配してチェット・ベイカーという動くアイコンを蘇らせようとしたことにボクは、映画の公開当時も驚きながら観に行ったことを覚えています。
そのあまりにも悲劇的な音楽人生が「映像作家たちにとって魅力的な題材に感じられた」というだけでは腑に落ちない“なにか”があったから、ボクはそれらの映画に“驚き”を感じていたのだと思うのです。
そしてなによりもその最大の違和感をもたらしている、本作に漂う“安らぎ”を、改めて解読してみたいと思います。
1954年と1956年にカリフォルニア州のスタジオで収録された作品です。
1954年に10インチのLP盤が8曲収録でリリースされ、1956年には新たに録音した6曲を加えた12インチのLP盤をリリース。CD化では12インチ盤をもとに同曲数同曲順で構成されています。
10インチ盤のメンバーは、ヴォーカル/トランペットがチェット・ベイカー、ピアノ/チェレスタがラス・フリーマン、ベースがカーソン・スミスとジョー・モンドラゴン、ドラムスがボブ・ニール。12インチ盤ではさらにベースのジミー・ボンド、ドラムスのローレンス・マラブルとピーター・リットマンが加わっています。
収録曲はすべてジャズ・スタンダードと呼ばれるもので、ミドルからスローなテンポまでの曲を並べて、ソフトな声質でささやくように歌うチェット・ベイカーを“ヴォーカリストとして位置づけ”ようとする意図が感じられる企画になっています。
本作収録の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』によって、マイルス・デイヴィスと人気を二分するジャズ・トランペッターだったチェット・ベイカーは、一気にポピュラー・ミュージック・アーティストとしての名声も手に入れました。
1950年代当時、ジャズを歌う男性ヴォーカリストは、両雄にルイ・アームストロングとフランク・シナトラの名が挙げられるように、マッチョイズムの強い表現を一般的としていました。
そこへ現われたのが、中性的でフェミニンとも感じられるチェット・ベイカーのヴォーカル・スタイルで、それはある意味、ジャズに対するノックアウト級のカウンターパンチだったのだと思います。
その前兆にマイルス・デイヴィスの『クールの誕生』があるというものの(チェット・ベイカーは『クールの誕生』に共感を覚えていたと言われています)、チャーリー・パーカーにも認められた力量のトランペット演奏ではなく、“歌”という新しい“武器”を携えてシーンに挑戦状を叩きつけたわけです。
その挑戦状は見事に波紋を広げ、国境を越えてブラジルへ渡った余波はボサノヴァを誕生させるといった、ジャズの多様化に大きな貢献を果たす結果にもなりました。
チェット・ベイカーは自分の歌声に対して、自らの性自認を反映させたものとは考えていなかった(つまり中性的な発声と歌い方が自身の性自認を主張するものではなかった)ようなのですが、周囲の反応は違っていました。
前述のようなマッチョイズムとは正反対のスタイルに対して、否定的な感情を抱くリスナーも少なくなかったということなのです。
しかしチェット・ベイカーは、自分がいちばん自然なかたちで音楽と向き合える手段としてそれらを選び、それをあえてジャズというカテゴリーのなかで表現することを選びました。
そう考えると本作の魅力は、当時とらえられていたような「(マッチョイズムが主流な)ジャズにおいて儚げな歌い方で世間を驚かせたアルバム」というところから、いまなら「レイシズムにとらわれかけていたジャズに多様性をもたらして、芸術性を広げたアルバム」と修正することができるのではないかと思うのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ/富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook
文/ 富澤えいち
本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, チェット・ベイカー
ヤマハ音遊人(みゅーじん)Facebook
Web音遊人の更新情報などをお知らせします。ぜひ「いいね!」をお願いします!