Web音遊人(みゅーじん)

日向敏文

「今、自分が音楽で表現するなら何か」。思いを巡らせ生まれた24曲/日向敏文インタビュー

1986年にアルバム『ひとつぶの海』の収録曲として発表された『Reflections』が、近年になり、ストリーミング再生4,900万回を記録。シンプルさのなかに深い情感が伝わる日向敏文の音楽が今、世界的に大注目されている。13年振りのニューアルバム『ANGELS IN DYSTOPIA Nocturnes & Preludes』を発表した日向に、音楽への想いを聞いた。

ブルース、ジャズからクラシックへ

日向敏文のキャリアはとても興味深い。ピアノでクラシック曲を習っていた少年時代にロックやブルースに目覚め、その後、イギリス、さらにはアメリカに渡って活動する。しかし、ボストンのバークリー音楽院でジャズを学ぶうち、ジャズは自分の進むべき道ではないのではないかと、改めてクラシックを学んだという。
「ジャズは大好きな音楽ですけど、自分の行くべき方向とはちょっと違うかなと考えたんです。ジャズはアフロアメリカンにとって本当に魂の民族音楽なんです。彼らのジャズに対する姿勢を見ているうちに、僕の入る隙間はないと感じて。そういうことを知るほど、自分がやる意味がどんどん薄れていったんです」
そして1985年、クルマのCM音楽を手掛けたことをきっかけに、彼はリーダーアルバム『サラの犯罪』でレコードデビューを果たした。
「レコード会社が僕に期待したのはニューエイジだったと思います。でも、当時の僕はニューエイジがピンときていなかったんです。自分の音楽とはなんだろうと、ずっと自問していた時で、僕には求められているような音楽はできないと思い、好きなように作ったんです」
『夏の猫』『ひとつぶの海』(86年)、『いたずら天使』(90年)などの作品を通じて、日向はピアノを主体としたインストゥルメンタルによる独自の音楽表現を追求していく。それは、無駄のないシンプルな構成のなかにエネルギーや感情を表現していくような作品群だった。

ドラマのヒット音楽作家として

80年代には知る人ぞ知るアーティストだった日向だが、1991年にいきなりスポットライトを浴びた。彼が音楽を手掛けたテレビドラマ『東京ラブストーリー』が大評判となり、サウンドトラックアルバムも大ヒットしたのだ。その後も『愛という名のもとに』(92年)『ひとつ屋根の下』(93年)など、立て続けに大ヒットドラマの音楽を担当。日向は“ドラマのヒット音楽作家”として知られていった。
「ドラマの仕事は『東京ラブストーリー』だけで終わると思っていたんです。それが爆発的にヒットしたのをきっかけに、次々に依頼があったんです」
その後もドラマ音楽を手掛けてはいるが、最近では「ETV特集」などのドキュメンタリー番組にも精力的に向き合っている。
「ドキュメンタリー番組の音楽はものすごくためになるフィールドだとわかり、ますますのめり込んでいった感じです。内容がシリアスな作品では、つらい場面とか悲しい場面に、そのまま悲しい音楽をつけると、描かれている人にかえって失礼になることもあると感じました。番組的にはそういう盛り上げ方がいいのかもしれないけれど、やっぱり違うなと。制作側とも“意図が違うところがあったら話し合っていこう”とキャッチボールしながら作っています」

日向敏文

“Angel in Dystopia”というコンセプトから生まれた24曲

日向自身にとって、時ならぬ『Reflections』の世界的大ヒットは驚きだったという。
「僕は自分が過去に作ったものをあまり聴かないんです。なんでこんなふうにしちゃったのかなと反省することがよくあり、そういう思いをしたくないので。ですから『Reflections』がYouTubeとかTikTokで使われているのを“こういう曲あったよなあ”くらいに聴いていたんですが、再生回数がものすごいことになって、自分でも曲自体を再認識したという感じです。不思議ですね」
同時に彼は、国境を越えた若い世代がどうして『Reflections』に惹きつけられているのかに疑問を抱いた。そしてSNSを通じて何人かの聴き手とコンタクトをとり、その真摯なメッセージから、彼らが深刻な悩みや迷いを抱いて生きていることを知った。
「あの曲はピアノとバイオリンだけでものすごく情念的な感じが込められている。僕の当時の心境も入っていた気がするんです。そういう曲に若い世代は何かを見ているんですね。彼らがどういう状況で聴いているか、なんとなく想像できるんです。すごくプライベートな状況で、スマホとかでヘッドホンで聴いていると思います。あの曲を友達と一緒に聴いている状況はちょっと想像できないですから」


日向敏文 – Reflections (Official Music Video)

あらためて聴いているうちに「今、自分が音楽で表現するなら何か」と思いを巡らせた。そして生まれたのがニューアルバム『ANGELS IN DYSTOPIA  Nocturnes & Preludes』なのだ。最初は『Reflections』のピアノバージョンを作ろうというプランからスタートしたが、結果的にほぼ新曲ばかり24曲という大作となった。
「上演することを考えずにずっと曲を書いてきたこともあって、頭の中はいつでもアルバムを作れる状態だったんですが、“Angel in Dystopia”というコンセプトから生まれてきたのがこの24曲という感じで、それぞれの曲には自分の想いを反映させています。それから、ジャンル的にはコンテンポラリー・クラシカルの流れで作っているんです」
日本ではまだ大きく注目されてはいないが、コンパクトでシンプルな作品のなかに、それぞれのコンセプトと明確な音楽表現が込められたコンテンポラリー・クラシカルは、ヨーロッパを中心に新しい音楽表現として定着しつつある。『ANGELS IN DYSTOPIA Nocturnes & Preludes』をその流れに置いて聴くことで、それぞれの楽曲に込められた魅力を、より深く味わうことができるのではないかと思う。

年代を越えて伝えたい音楽の“意味”

『Reflections』と『Two Menuets』のピアノバージョンをはじめ、どれも聴きごたえのある24曲だが、中でも『Reflections』で共演していたバイオリニスト中西俊博が参加している『Little Rascal on a Time Machine』は、曲の前半は1990年に発表された『いたずら天使~リトル・ラスカル』のサンプリングで、後半は現在の日向と中西の演奏という仕掛けのある曲だ。
「僕の昔の曲は、いろいろなところですごくサンプリングされているんです。だったら自分でもやろうかな、と『いたずら天使~リトル・ラスカル』をサンプリングして、後半で新たに中西君に頼もうかなと思って連絡したら“やろうよ”と言ってくれて、彼の個人スタジオに押しかけて録りました」
もう一人、若きチェリスト、グレイ理沙が4曲に参加しているのも新鮮だ。
「NHK『ETV特集』の新オープニングで流れる彼女のチェロを聴いてピンときたんです。そして、彼女の演奏をYouTubeで見たら、僕が好きな弾き方をしているので、“この人に頼んだらおもしろいかな”と思ってお願いしたんです」
それぞれの曲のタイトルにも注目したい。『Fields of Flowers』『Angels in Dystopia』などシーンを想像させるタイトルに混じって、『Prelude in G Minor』『Rhapsody in G minor』などクラシックをイメージさせる曲名も目立つ。これらの曲名もまた、リスナーに対するメッセージになっている。
「それを感じてくれたらうれしいです、投げかけをしているという意識はあるので。でも、今の若い人は鋭いですね。SNSでやりとりをしているだけで、“見抜いているんだな”と感じてグサッときたりします。曲に対して真剣に考えてくれる人たちがいることは、すごく刺激になります」
『ANGELS IN DYSTOPIA Nocturnes & Preludes』は、かつてロックやブルースから“スピリット”を感じて音楽を志した日向敏文が、コンテンポラリー・クラシカルというスタイルに寄せて、音楽には娯楽だけではない“意味”があることを、現代の若い世代にも伝えようとしているのかもしれない。


Toshifumi Hinata – Angels in Dystopia (Official Music Video)

■インフォメーション

アルバム『ANGELS IN DYSTOPIA Nocturnes & Preludes』
日向敏文
発売元:ソニー・ミュージックレーベルズ/アルファミュージック
発売日:2022年7月27日発売
価格:3,300円(税込)
詳細はこちら

アメリカのクラシックレーベル「Sony Masterworks」からリリースが決定
詳細はこちら

facebook

twitter

特集

今月の音遊人:H ZETT Mさん

今月の音遊人

今月の音遊人:H ZETT Mさん「音楽は目に見えないですが、その存在感たるやすごいなと思います」

28960views

ジャズとデュオの新たな関係性を考える

音楽ライターの眼

ジャズとデュオの新たな関係性を考えるvol.11

3470views

STAGEA(ステージア)ELB-02 - Web音遊人

楽器探訪 Anothertake

スタイリッシュなボディにエレクトーンならではの魅力を凝縮!STAGEA(ステージア)「ELB-02」

13204views

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

楽器のあれこれQ&A

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

45129views

ホルンの精鋭、福川伸陽が アコースティックギターの 体験レッスンに挑戦! Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ホルンの精鋭、福川伸陽がアコースティックギターの体験レッスンに挑戦!

9800views

音楽市場を広げたい、そのために今すべきこと/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事(後編)

オトノ仕事人

音楽市場を広げたい、そのために今すべきこと/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事(後編)

6708views

メニコン シアターAoi

ホール自慢を聞きましょう

五感で“みる”ことの素晴らしさを多くの方と共感したい/メニコン シアターAoi

1346views

こどもと楽しむMusicナビ

親子で参加!“アートで話そう”をテーマにしたオーケストラコンサート&ワークショップ/第16回 子どもたちと芸術家の出あう街

4671views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

民族音楽学者・小泉文夫の息づかいを感じるコレクション

9170views

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

われら音遊人

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

6443views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

5150views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

23648views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ギタリスト木村大とピアニスト榊原大がトランペットに挑戦!

6590views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

20582views

音楽ライターの眼

すでにAIの音楽は小説の世界を飛び出しているという現実

2827views

佐藤順

オトノ仕事人

劇伴制作の進行管理や演奏シーンの撮影をサポートする/映画等の劇伴制作をプロデュースする仕事

2237views

5 Gravities

われら音遊人

われら音遊人:5つの個性が引き付け合い、多様な音楽性とグルーヴを生み出す

1174views

最新の音響解析技術で低音域のパワフルな音量と響きを実現

楽器探訪 Anothertake

アコースティックギター専用の音響解析技術で低音域のパワフルな音量と響きを実現

8882views

東広島芸術文化ホール くらら - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

繊細なピアニシモも隅々まで響く至福の音響空間/東広島芸術文化ホール くらら

12104views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

大人の音楽レッスン、わたし、これでも10年つづけています!

6633views

楽器のあれこれQ&A

エレキギター初心者を脱したい!ステップアップ練習法と2本目購入時のアドバイス

2964views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

6772views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

23648views