今月の音遊人
今月の音遊人:城田優さん「音や音楽は生活の一部。悲しいときにはマイナーコードの音楽が、楽しいときにはハッピーなビートが頭のなかに流れる」
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スヴャトスラフ・リヒテル。いうまでもなく20世紀を代表するピアノの巨人。バッハから20世紀音楽にいたるまで膨大なレパートリーを持ち、残された名演奏の数々は没後20年近くになる今日、ますますその輝きを増しています。
1950年代、東西冷戦で西側と東側の交流が途絶えていた時代、ロシア(当時のソビエト連邦)にリヒテルという凄いピアニストがいるという情報が西側に流れ、長い間“幻のピアニスト”といわれていました。リヒテルが西側で初めて演奏を披露したのは1960年。その演奏の素晴らしさは、瞬く間に西側の音楽ファンに知れ渡ります。
1969年イタリアのパドヴァでの演奏会で、リヒテルは発売されて2年しかたっていないヤマハのフルコンサートグランドピアノ「CF」と出会います。この演奏会で「CF」を弾いたリヒテルは、その後南フランスのマントン音楽祭でもヤマハを選びます。調律にあたったのは、ヤマハの村上輝久を中心とするスタッフでしたが、このときの「日本のピアノ」と調律技術者のめざましい活躍ぶりは、ヨーロッパの新聞に写真入りで大きく紹介されました。
翌1970年は大阪万博の年。リヒテルは初来日を果たし、大阪フェスティバルホールでの2日目以降、全ステージで「CF」を弾きます(写真上)。そしてその後の来日公演はもちろん、海外での公演でも可能な限りヤマハのピアノを使用しました。
3回目の来日に当たる1979年、思いがけない、そして素晴らしいプレゼントがヤマハの技術者たちに贈られました。浜松のヤマハ本社ピアノ工場の一角にある視聴室でのリサイタルです。「ピアノづくりや調律という、ピアノにとって大切な意味を持つ仕事にたずさわる方々に、私の演奏をぜひお聴かせしたい」と、リヒテルが自発的に申し出たのでした。本格的なリサイタル形式で約2時間。リヒテルの演奏で、自分たちの日ごろ手がけているピアノが、これほど美しく息づくことに誰もが感動しました。このリヒテルからのプレゼントは、その後の来日のたびにくり返されました。
終生ヤマハを愛し続けた理由を、リヒテルは次のように語っています。
「ほんとうに良いピアノというのは、心の感度、音楽に反応する心の感度がいい。言い換えれば、悲しい音を出したいときは悲しく、嬉しい音を出したいときは嬉しく鳴ってくれないといけない。ヤマハは、そういった心の感度の良さとブリリアントな面の両面を持っている」
今年はそのリヒテルの生誕100年。2015年3月13日(金)から1か月にわたり、上野公園を中心とした会場で開催される「東京・春・音楽祭」では、『リヒテルに捧ぐ(生誕100年記念)』と題して、さまざまなイベントが行われます。リヒテルと関わりの深い演奏家による4つのコンサートのほか、ドキュメンタリー・フィルム上映会、写真展など、巨人リヒテルの知られざる素顔に触れることができます。
みなさんも、20世紀最大のピアニスト リヒテルに思いを馳せてみてはいかがでしょう。
東京・春・音楽祭2015(2015年3月13日~4月12日)
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