Web音遊人(みゅーじん)

ピョートル・アンデルシェフスキ

極度に洗練された、繊細な音、自己とじっくり向き合う真摯な演奏/ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル

「孤高のピアニスト」「鍵盤の詩人」などと称されるポーランドのピアニスト、ピョートル・アンデルシェフスキが、2023年2月22日、ヤマハホールで今回の来日で唯一のリサイタル(「珠玉のリサイタル&室内楽」)を行った。来日を重ね、多くのアルバムもリリースしている超人気のピアニストだけに、この日は熱心なファンたちが会場を埋め尽くした。

アンデルシェフスキは、ポーランド人とハンガリー人の両親を持ち、ワルシャワに生まれている。それだけに、ポーランドの異色の作曲家カロル・シマノフスキに強い思い入れがあり、得意なレパートリーとしている。今回のプログラムにも『20のマズルカ Op.50』からの4曲が入っている。また、リサイタルの前に行われたNHK交響楽団とのコンサートでも、シマノフスキの代表作『交響曲第4番作品60 協奏交響曲』を演奏(指揮はチェコの指揮者、ヤクブ・フルシャ)している。

この日のプログラムは前半がバッハ『パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830』(予告されていた『フランス風序曲』から変更)と、シマノフスキ。後半はヴェーベルン『ピアノのための変奏曲 Op.27』とベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110』という彼が得意とする興味深い曲がラインナップされた。

最初のバッハ『パルティータ 第6番』は、夢見るようなトッカータから始まる7曲から成る古典的な組曲。アンデルシェフスキの演奏はホール内に静寂な空気が流れるなかで始まった。極度に洗練された、繊細で粒立った音がホールに響く。自己とじっくり向き合うような真摯な演奏だ。アルマンド、コレンテ、エール、サラバンド、テンポ・ディ・ガヴォットと熱を帯びて、最後のジーグでは心を落ち着けて終わる。つぎのシマノフスキは、『20のマズルカ』から第3番、5番、7番、最後は4番と4曲を演奏。マズルカはポーランド周辺の独特な舞曲だが、ショパンと違ってシマノフスキの曲は複雑なリズムと民俗的な曲想が入り交じる興味深い曲。とくに第3番は思索的で、複雑な内面を持つアンデルシェフスキに良く合った曲だと感じた。最後の7番はダイナミックでエネルギーに満ちた演奏が印象的だった。

ピョートル・アンデルシェフスキ

後半の最初、ヴェーベルンの『ピアノのための変奏曲』は、アンデルシェフスキにとっては因縁の曲。1990年のリーズ国際コンクールで、ベートーヴェンの『ディアベッリ変奏曲』の演奏で大きな注目を集めたが、このヴェーベルンの曲の途中で、演奏を中断したことで話題になった。12音技法で書かれた3楽章による7分ほどの曲だが、1音1音に意味が込められた哲学的とも思える内容の曲を、洗練された音で描き、そのまま間をおかずに、次の曲へとつないだ。ウィーン楽派のヴェーベルンとその偉大な先達であるベートーヴェン。二つの曲に共通するものに想いを馳せながら、聴き進める。ベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110』は、彼の最晩年に作曲されたソナタだが、1楽章は穏やかな世界が展開される。アンデルシェフスキのピアノは、美しい音で始まり、その演奏はこのうえなく優しいタッチだ。第2楽章、第3楽章も切れ目なく演奏され、ヴェーベルンからの長く続くアーチにホールは完全に包み込まれる。そして最後の第3楽章は、哀しみに満ちた音で始まる。まるでこれまで生きて来た世界を静かに振り返るように。曲のフィナーレは、想い出から抜け出し、テンポを速めてダイナミックに終わる。ベートーヴェンのソナタが最も聴きごたえがあり、アンデルシェフスキの独自な世界が浮彫になったような演奏だった。

ピョートル・アンデルシェフスキ

そしてアンコール。最初はバルトークの『チーク地方の3つのハンガリー民謡 Sz35a』

この曲は今回のN響との共演でもアンコールで演奏された、彼のお気に入り曲。2曲目はバッハの『平均律クラヴィーア曲集第2巻、第12番 前奏曲』。ベートーヴェンの『6つのバガテルより第1番』。そして最後はバッハの『パルティータ第1番 BWV825より サラバンド』と、4曲も素晴らしい贈り物をしてくれた。今回のアンデルシェフスキの演奏は、ヤマハ・ピアノの特性を生かし、音がしっかりと立ちあがり、ダイナミックな表現がさらに増したという印象を受けた。

ピョートル・アンデルシェフスキ

 

石戸谷結子〔いしとや・ゆいこ〕
音楽ジャーナリスト。1946年、青森県生まれ。早稲田大学卒業。雑誌「音楽の友」の編集を経て、85年からフリーランスで活動。音楽評論の執筆や講演のほか、NHK文化センター等でオペラ講座も担当。著書に「石戸谷結子のおしゃべりオペラ」「マエストロに乾杯」「オペラ入門」「ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー」など多数。

photo/ Ayumi Kakamu

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

今月の音遊人 - 平原綾香さん

今月の音遊人

今月の音遊人:平原綾香さん「未来のことを考えず、純粋に音楽を奏でる人こそ、真の音楽家だと思います」

14791views

ココ・モントーヤ

音楽ライターの眼

ブルースを次世代に受け継ぐギタリスト、ココ・モントーヤの濃厚過ぎるサウンド

1477views

楽器探訪 Anothertake

ナチュラルな響きと多彩な機能で電子ドラムの可能性を広げる、新たなフラッグシップモデルDTX10/DTX8シリーズ

4897views

暖房

楽器のあれこれQ&A

ピアノを最適な状態に保つには?暖房を入れた室内での注意点や対策

58600views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:独特の世界観を表現する姉妹のピアノ連弾ボーカルユニットKitriがフルートに挑戦!

4884views

テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

オトノ仕事人

【サインCDプレゼント】テレビや映画の映像を音楽の力で何倍にも輝かせ、人の心を揺さぶる/劇伴作家の仕事

15780views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

5771views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

11174views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」

25002views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

1185views

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい 山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい

5749views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10555views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若手サクソフォン奏者 住谷美帆がバイオリンに挑戦!

9575views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」

25002views

いい音楽に巡り会えたら、自然に言葉があふれ出す―珠玉のエッセイ集『音のかなたへ』

音楽ライターの眼

いい音楽に巡り会えたら、自然に言葉があふれ出す―珠玉のエッセイ集『音のかなたへ』

6645views

オトノ仕事人

大好きな音楽を自由な発想で探求し、確かな技術を磨き続ける/ピアニストYouTuberの仕事

46641views

われら音遊人

われら音遊人:路上イベントで演奏を楽しみ地域活性にも貢献

3658views

楽器探訪 Anothertake

【モニター募集】37鍵ピアニカに30年ぶりの新モデルが登場!メロウな音色×おしゃれなデザインの「大人のピアニカ」

26370views

HAKUJU HALL(白寿ホール)

ホール自慢を聞きましょう

心身ともにリラックスできる贅沢な音楽空間/Hakuju Hall(ハクジュホール)

23719views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

音楽知識ゼロ&50代半ばからスタートしたサクソフォンのレッスン

8206views

知って得する!木製楽器の お手入れ方法

楽器のあれこれQ&A

木製楽器に起こりやすいトラブルは?保管やお手入れで気を付けること

22067views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

7162views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31386views