Web音遊人(みゅーじん)

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#030 “ため息”の魅力を際立たせたアレンジャーの作戦勝ち!?~ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』編

ハスキーな美声が“ニューヨークのため息”と呼ばれ、世界を席巻するジャズ・シンガーの座を手に入れたのは、1929年生まれで現在御年94歳のヘレン・メリル。

そのきっかけとなったのが、25歳のときに制作したデビュー・アルバムである本作でした。

内容は、当時のジャズの最先端スタイルであるハード・バップの最注目株だったトランペット奏者のクリフォード・ブラウンを全面にフィーチャーし、それまでの“歌もの作品”とは一線を画すもので、“名盤”に列せられるようになりました。

立役者ともいえるクリフォード・ブラウンは、本作の前に、“ブルースの女王”として人気を博していたダイナ・ワシントンとの『ダイナ・ワシントン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』を1954年8月に、女性ジャズ・ヴォーカルのトップ3に数えられていたサラ・ヴォーンとの『サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』を同年12月16日と18日にそれぞれレコーディングしており、レコード会社的には、シリーズ第3弾としてアフリカン・アメリカンな女性ジャズ・ヴォーカルの系譜とはちょっと異なるニューカマーを売り出してやろう、という腹積もりだったようなのです。

そのあたりを絡めて、本作が抜きん出て愛されている理由を考えてみましょう。


ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン

アルバム概要

1954年12月22日と24日に、ニューヨークのスタジオで収録された作品です。

オリジナルはLP盤で、A面4曲、B面3曲の計7曲でリリースされ、CD化のときも同曲数同曲順になっています。

メンバーは、ヴォーカルがヘレン・メリル、トランペットがクリフォード・ブラウン、バリトン・サックス/バス・クラリネット/フルートがダニー・バンク、ピアノがジミー・ジョーンズ、ギターがバリー・ガルブレイス、ベースがミルト・ヒントン、ベース/チェロがオスカー・ペティフォード、ドラムスがボビー・ドナルドソンとオジー・ジョンソン(2名の記述がある楽器は収録日と収録曲が異なり、それぞれ1名で担当)。

収録曲はすべてカヴァー曲です。

“名盤”の理由

“ため息”とは、「気苦労や失望などから、また、感動したときや緊張がとけたときに、思わず出る大きな吐息」(『デジタル大辞林』より)であり、その原因がネガティヴとポジティヴの両極端であるという不思議な生理反応です。

では、ヘレン・メリルの“ため息”は、ネガティヴな原因によるのかポジティヴな原因によるのかと考えると、実は前者だったのではないかと思うのです。

というのも、ジャズのルーツや発展に大きく関係・貢献してきたとされるのがアフリカン・アメリカンですが、その背景には非人道的な奴隷制とそれに由来する差別があり、そうした“憂鬱”を内包していることがジャズのアイデンティティにとって重要であるとされてきました。

それが、1950年代以降の公民権運動の盛り上がりのなかで特にクローズアップされていたことを考えると、ヘレン・メリルの“ため息”にはそのニュアンスがあると評価されていたのだと推論できそうだからです。

前述のダイナ・ワシントンやサラ・ヴォーンにももちろんそのニュアンスはあるものの、彼女たちは圧倒的なパワーとテクニックが先に立つことから、時代の潮流である“憂鬱”を表現するヴォーカリストとして新たなキャラクターが必要とされていたところにピタリと収まったのが、ヘレン・メリルだったのではないか──と。

いま聴くべきポイント

ヘレン・メリルはニューヨーク生まれの白人女性ですが、両親はクロアチア移民であったため、アフリカン・アメリカンの置かれた境遇にも、共感できる環境にあったようです。

そうでなければ、14歳という年齢でジャズクラブのステージに立つようになり、エマーシー・レコードの目に留まってレコーディングの機会をゲットすることはできなかったはずなのですから……。

また、エマーシー・レコードが打ち出した“ウィズ・クリフォード・ブラウン3部作”のなかで本作が決定的に異なるのは、クインシー・ジョーンズにアレンジとバンドの指揮を託したところでしょう。

クインシー・ジョーンズは、いまでこそ売上世界一のアルバム(=マイケル・ジャクソンとの共同プロデュース作『スリラー』)の記録保持者として知られているものの、本作を制作した当時はバークリー音楽大学を卒業してライオネル・ハンプトン楽団に雇われ、アレンジャーとしてようやく認められ始めたという“駆け出し”のころ。

ヘレン・メリルとはたまたま近所に住んでいて知り合いだったことから起用されたようで、そこには、お互いに転がり込んだチャンスを最大限活かそうとする“野望”があったかもしれない、いや、あったはず、あったに違いないのです。

そんな、絵に描いたようなエンタテインメント業界の立身出世物語のひとコマがあったからこそ、すでに功成り名を遂げていたダイナ・ワシントンやサラ・ヴォーンを追い越すような“名盤”を世に送り出すことができた──というわけです。

それはつまり、ヘレン・メリルの低めの声の艶を際立たせるためにバリトン・サックスを起用した、クインシー・ジョーンズの作戦勝ちということなんだよなぁと、このアルバムをきっかけに“名曲”の仲間入りをすることになった『ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ』を聴くたびに思うのです……。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:五嶋龍さん「『音遊人』と聞いて、子どもの頃に教えてもらったギリシャ神話のことを思い出します」

9163views

なぜジャズのハードルは下がらないのか?vol.6

音楽ライターの眼

なぜジャズのハードルは下がらないのか?vol.6

5322views

クラビノーバ「CSPシリーズ」

楽器探訪 Anothertake

これまでピアノを諦めていた多くの人を救う楽器。楽譜作成・鍵盤ガイド機能が付いた電子ピアノ/クラビノーバ「CSPシリーズ」

22124views

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

楽器のあれこれQ&A

ピアノやエレクトーンを本番で演奏する時の靴選び

47453views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若手サクソフォン奏者 住谷美帆がバイオリンに挑戦!

9486views

オトノ仕事人

コンピュータを駆使して、ステージのサウンドをデザインする/ライブマニピュレーターの仕事

6482views

ホール自慢を聞きましょう

ウィーンの品格と本格派の音楽を堪能できる大阪の極上空間/いずみホール

7160views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

7114views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

12169views

みどりの森保育園ママさんブラス

われら音遊人

われら音遊人:子育て中のママさんたちの 音楽活動を応援!

7062views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

クラス分けもまた楽しみ、レッスン通いスタート

4983views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31111views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:和洋折衷のユニット竜馬四重奏がアルトヴェノーヴァのレッスンを初体験!

5466views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

23656views

音楽ライターの眼

ブラームスの青春譜、円熟のピアノ三重奏曲/徳永二男、堤剛、練木繁夫による珠玉のピアノトリオ・コンサートVol.6

3973views

カッティング・エンジニア

オトノ仕事人

レコードの生命線である音溝を刻む専門家/カッティング・エンジニアの仕事

3800views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

1076views

楽器探訪 Anothertake

新開発の音響システムが表現力のカナメ。管楽器の可能性を広げる「デジタルサックス」

3886views

水戸市民会館

ホール自慢を聞きましょう

茨城県最大の2,000席を有するホールを備えた、人と文化の交流拠点が誕生/水戸市民会館 グロービスホール(大ホール)

7066views

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい 山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい

5702views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

9066views

こどもと楽しむMusicナビ

親子で参加!“アートで話そう”をテーマにしたオーケストラコンサート&ワークショップ/第16回 子どもたちと芸術家の出あう街

5681views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10466views