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「春をはこぶコンサート ふたたび」――ベートーヴェンの3大ソナタで作曲家への愛を表現する/伊藤恵インタビュー
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2023.4.4
「シューマン弾き」と称され、長年に渡りシューマンの作品と対峙し、その後シューベルトの作品においてその深奥に迫り、高い評価を得ている伊藤恵。そしていま、ベートーヴェンのピアノ・ソナタで自身の経験と解釈と表現力の深さを世に問う。そんな伊藤恵が、「ベートーヴェンへの愛」を語り尽くす。
伊藤恵が「春をはこぶコンサート」と題したリサイタル・シリーズを開始したのは、1999年のことだった。以来、16年に渡りさまざまな作品を披露し、いまは「春をはこぶコンサート ふたたび」と命名し、「もっとも弾きたい作品を中心にプログラムを組んでいます」と明言する。そんな彼女が同シリーズのVol.4(2023年4月29日・紀尾井ホール)に選んだのは、ベートーヴェンの「3大ソナタ」といわれる第8番『悲愴』、第14番『月光』、第23番『熱情』。ここにソナタ第13番を挟み込み、最後は第26番『告別』でフィナーレを迎えるというタフなプログラムである。
「これまで私は有名な作品ばかりではなく、あまり知られていない作品をプログラムに組むこともあり、こだわりの選曲をするといわれてきました。そのなかで、今回のベートーヴェンの3大ソナタのような名曲を選曲するのは人生で初めての挑戦なんです。ここにソナタ第13番と『告別』も加えたのですから、メイン料理がずらりと並ぶような選曲。聴いてくださるお客さまは、おなかいっぱいになってしまうかもしれないですね。ベートーヴェンは32曲のピアノ・ソナタを書きましたが、各々まったく異なり、楽章ひとつをとってもそれぞれ異なる魅力を備えています。弾けば弾くほどその奥深い面に魅了され、あたかも神の音楽のよう。練習していると、まるで写経をしているような気持ちになり、魂が浄化されていく気分に陥ります。ベートーヴェンは『第九』にその理念が集約されていると思いますが、すべての人が幸せになる権利があると、その音楽で伝えてくれます。そして生きるとは何か、人間とは何かと問い、本質的な喜怒哀楽の感情を表現し、悲劇や苦悩に立ち向かい、それを乗り越えていく強さも示唆してくれます。なんとすばらしい作品群でしょう。私はベートーヴェンがいま楽譜を書いている、その瞬間に立ち会い、インクが乾かないうちにその楽譜を渡されて演奏する、今回はそんな思いでピアノと向き合いたいと考えています。ベートーヴェンが私に受け渡してくれた楽譜、たとえそれがスタッカートひとつでもいい。それに全身全霊を傾けて演奏したいのです」
伊藤恵の心の内が熱く燃えたぎり、ベートーヴェンの一つひとつの音も重みを大切に考えて演奏するという、ある種の強い信念に貫かれた語り口は、こちらにも伝染し、ベートーヴェンの演奏への期待が募っていく。
「2022年、ソナタ第31番作品110を何十年ぶりかに演奏したのですが、私たちがベートーヴェンを愛しているのはもちろんのこと、ベートーヴェンが私たちをいかに深く大きな愛で包んでくれているか、改めて気づきました。第3楽章『嘆きの歌』は、ベートーヴェン個人の悲しみではなく世界の人々の苦しみだとわかり、続くフーガで天国のような幸せな世界が現れ、すべての苦しみから救われる。私もベートーヴェンの音楽に救われました」
今回の作品についてはこう解説する。
「『悲愴』は初めて耳の不調に気づいて書いたソナタで悲劇的な曲想から始まり、第2楽章は希望や幸福の祈り、第3楽章は重々しく悲劇的なことから放たれて自由な世界に浮遊する。『月光』はゆったりとした第1楽章が深遠な世界へといざない、これはけっして甘くなくはなく、ハーモニーの変化が特徴です。人生とは何かと問いかけてきます。第2楽章のリストが“谷間の百合”と表現した愛らしさは格別ですね。第3楽章の静けさと嵐の対比も見事です。『熱情』は闇を表す夜の音楽だと思います。人間が生きていくきびしさを表現し、『運命』のモチーフを意識します。本来でしたら『熱情』と第21番『ワルトシュタイン』を組み合わせて演奏すると、その対比が非常に面白いと思います。『ワルトシュタイン』は光輝き、『熱情』は闇夜を想像させますので」
恩師の有賀和子に師事していた小学4年生のとき、ベートーヴェンのソナタ第6番を初めて演奏した。その後、第2番、第4番、第7番へと進み、中学生のときに第13番と出会う。
『ワルトシュタイン』と『熱情』はハンス・ライグラフに師事してから教えを受けた。
「おふたりとも、とてもきびしいレッスンでした。そのおかげでいまの私があります。ライグラフ先生は“何を考えて弾くのか、どういうイメージをもっているのか、音楽をよく考えなさい”というのが口癖でした。必ず暗譜でレッスンに臨まないといけない。楽譜を見て、1音も出さずに完璧に暗譜してから指の練習に移る。まるで指揮者のように譜面を読む訓練をしました。その教えが、いま自分が教える立場になったとき、役立っています」
深い精神性に根差した伊藤恵のベートーヴェン。作曲家の魂を代弁する深く熱い演奏は、聴き手を作品へと近づけ、ベートーヴェンの偉大さに改めて気づかせてくれるに違いない。タフなプログラムを真摯に受け止めたい。
日時:2023年4月29日(土)14:00開演(13:15開場)
会場:紀尾井ホール(東京都千代田区紀尾井町6−5)
料金:一般 5,000円/学生 2,000円(税込・全席指定)
曲目:オール・ベートーヴェン プログラム
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13「悲愴」、ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 op.27-1、ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」、ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57「熱情」、ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op.81a「告別」
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文/ 伊熊よし子
photo/ 1枚目:武藤章、2枚目:坂本ようこ
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