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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も
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2023.7.5
tagged: 坂本龍一, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, マーラー, デヴィッド・シルヴィアン, JAPAN
グスタフ・マーラー(1860~1911年)の音楽を半世紀近く聴き続けているが、今は「大地の歌」が好きだ。李白や王維らの唐詩をドイツ語に翻案した歌詞に基づく、全6楽章の声楽付き交響曲といえる晩年の大作。東洋的厭世観が指摘されるが、むしろ儚い人生への愛着と捉えるべきだ。ロックにも東洋との遭遇で深化した例がある。デヴィッド・シルヴィアン率いるJAPANである。彼らの最後のアルバム「錻力の太鼓(Tin Drum)」は英国ロックの一つの到達点。坂本龍一の影響も表れている。
マーラーの最高傑作は「交響曲第9番ニ長調」といわれる。「大地の歌」に続く完成作としては最後の交響曲だ。特に第1楽章「アンダンテ・コモド」と第4楽章「アダージョ」は東洋的無常観と相まって安らぎや幸福感も漂う悠久の宇宙を聴かせる。一方、「大地の歌」はテノールとアルトが交互に独唱する6楽章構成で、人間の感情的な歌詞がある分、俗世に根差す地上の音楽となっている。全6楽章の管弦楽法は精緻を極める。「大地の歌」の作曲を経てマーラーの芸術は深化し、「第9番」の高みに至った。
「大地の歌」の第1楽章イ短調「地上の悲嘆に寄せる酒盛りの歌」は、マーラーの全交響曲の中で最も完成度の高い楽章だろう。約10分と短い中で緻密なホモフォニーを築いている。マーラーらしさも存分に表れている。例えば、弱音器を付けたトランペット。口をふさがれたラッパが終結部で鳴らす虫の音のような咆哮は、李白の「悲歌行」の酒宴にふさわしい。世を嘆きつつも人生を愛してやまないのだ。
ところで第1楽章の歌詞は李白の詩とは異なる。ト短調、変イ短調、イ調と、半音ずつ上に転調して3回も歌われる「生も死も暗い(Dunkel ist das Leben, ist der Tod.)」という歌詞は原詩には無い。近い表現として李白は「死生一度人皆有」と書いただけである。
「大地の歌」の歌詞の成り立ちは複雑だ。まず李白や孟浩然、王維らの唐詩のフランス語訳詩集からハンス・ハイルマンがドイツ語に重訳。さらにハンス・ベートゲが翻案して詩集「中国の笛」を出版し、それを読んだマーラーが一部改変して歌詞に使用しているのだ。
マーラーは中国風の民族音楽を作曲したわけではない。当時の欧州で流行した東洋趣味を取り入れ、黄昏の西洋ロマン派音楽史に一石を投じたとみるべきだ。私はマーラーが「大地の歌」と「第9番」を作曲した南チロルのトプラッハ(現イタリア領ドビアッコ)を旅したことがある。同地にそそり立つドロミテアルプスの山塊が中国の山水画を想起させ、ユダヤ人マーラーの東洋志向を呼び覚ましたとの説明を聞いたからだ。ドロミテの山塊を巡ったが、日本人の目からすれば、それらは奇岩の峰々とはいえ、欧州の風景そのものだった。
「大地の歌」の第6楽章「告別」は約30分と長大で、全曲の半分近くを占める。薄幸の自分は世を去るが、大地は永遠に続くという主旨。終結部では「永遠に(ewig)」をアルトが繰り返す中、ハ長調の和音にイ音を添えて消え入るように終わる。コード名ではC6。そこから次作の「第9番」第1楽章が開幕する。ニ長調の属音のイ音をチェロが呟いて始まるのだ。両作品は欧州世紀末文化への告別と20世紀音楽の幕開けを示している。
マーラーの「大地の歌」から「第9番」への深化はデヴィッド・シルヴィアンを想起させる。彼が率いたJAPAN(活動期間1974~82年)は元々グラム・ロック風のニューウェイヴバンドだった。3枚目のアルバム「クワイエット・ライフ」でテクノ化し、4枚目「孤独の影」の「メソッズ・オブ・ダンス」で沖縄民謡風の女声を導入。最後のアルバム「錻力の太鼓」では東洋的素材を全面に取り入れた前衛テクノロックに変貌したのである。
「錻力の太鼓」は1981年のアルバムとは思えない前衛ぶりを示す。デジタル以前の時代に生身の人間と電子楽器との共創による独特のグルーヴ感を生み出した。例えば、「スティルライフ・イン・モービルホームズ」。スティーヴ・ジャンセンの精密なドラムスとミック・カーンのフレットレス・ベースのリズムが複雑に絡み合い、リチャード・バルビエリのシンセサイザーが東洋風の響きを精細に鳴らし、シルヴィアンの低い歌声が内省的な雰囲気を出す。
シルヴィアンらがロックを芸術音楽の次元に押し上げたきっかけの一つに坂本龍一ら日本のアーティストとの出会いがあった。ちょうど坂本がメンバーのイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が世界デビューして間もない時期。坂本はJAPANのアルバム「孤独の影」の制作に参加し、「テイキング・アイランズ・イン・アフリカ」という曲を共作。JAPAN最後のライブアルバム「オイル・オン・キャンヴァス」では土屋昌巳がギタリストとして参加した。
異質な東洋との出合いは英国ロックの既成概念を打破した。「錻力の太鼓」の中の「ゴウスツ」は確かなビート感を持たず、アンビエントなシンセサウンドの中をシルヴィアンの歌声が浮遊する前代未聞の「ロック」だ。こうした前衛作品が全英シングルチャート5位に入った意義は大きい。
シルヴィアンの深化はJAPAN解散後も続く。金字塔は1984年の初のソロアルバム「ブリリアント・トゥリーズ」。坂本やホルガー・シューカイも参加し、洗練された欧州の美を構築した。特に終曲「ブリリアント・トゥリーズ」はバラードの次元を超える。緩やかにざわめく森のような静謐な音楽は、ロックの「アダージョ」と呼ぶべきだ。
「ブリリアント・トゥリーズ」は全英アルバムチャート4位を記録し、芸術音楽としてのロックの地位を確実にした。一方、クラシックはマーラー以後、難解な現代音楽へと向かった。ジャンルが意味を失いつつある今、マーラーとシルヴィアン、2人が到達した深淵なアダージョの先を聴き続けよう。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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