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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase43)プッチーニ「ラ・ボエーム」、はかない青春の挽歌、「22歳の別れ」の後も続く人生
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2025.3.11
tagged: 伊勢正三, プッチーニ, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見
イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858~1924年)のオペラといえば未完の遺作「トゥーランドット」が人気だが、三大オペラ「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」も欠かせない。特に、パリの屋根裏部屋に暮らす芸術家の若者らを描く「ラ・ボエーム」は、はかない青春の挽歌だ。劇的事件は起きず、恋人が病死するリアリズム。日本のフォークにつながる別れ歌。「22歳の別れ」(伊勢正三)の後も人生は続く。
プッチーニのオペラは全12作ある。成功を収めたのは、台本作家ルイージ・イッリカと詩人ジュゼッペ・ジャコーザとの3人共作体制が始まった第3作「マノン・レスコー」から。続く「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」で頂点を迎える。第4作「ラ・ボエーム」(全4幕)の初演は1896年2月1日。伊トリノ・レージョ劇場にて、指揮は若いアルトゥーロ・トスカニーニだった。
以来、「ラ・ボエーム」はプッチーニの最高傑作と評され、世界中で再演され続けている。2024年末に引退した指揮者の井上道義が最後のオペラ指揮に選んだのが「ラ・ボエーム」だったのは記憶に新しい。三大テノールの一人ルチアーノ・パヴァロッティは「ラ・ボエーム」の詩人ロドルフォ役を得意とした。
ルチアーノ・パヴァロッティ、レナータ・スコット、マラリン・ニスカら出演のジェイムズ・レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場のプッチーニ「ラ・ボエーム」(DVD、1977年収録、ユニバーサル)
ボエームとは自由気ままに生きる芸術家のこと。舞台は1830年代パリの屋根裏部屋や学生街カルティエ・ラタンのカフェ。奇想天外な事件は起きない。「トスカ」や「トゥーランドット」の拷問や殺人、処刑、自死、「蝶々夫人」の切腹といった激烈な暴力や悲劇の場面はない。若い貧乏芸術家4人の生活が描かれ、ロドルフォがミミと出会い、ミミが病死して幕。
プッチーニは第4幕のミミの臨終の場面を作曲した際、感激のあまり声を上げて泣いたという。恋人の死という「お涙頂戴」が初演以来の人気を支えているのは確かだ。それにしても筋書きには、様々な背景やほかの物語を端折ったような中途半端さがないだろうか。
そもそも第1幕からして謎が多い。お金がなくても夢と自らの才能への自信だけはある詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、作曲家ショナール、哲学者コッリーネの4人組。ロドルフォの原稿もストーブにくべるほどの共同生活の貧窮ぶりが描かれる。
ロドルフォだけが執筆のため残った屋根裏部屋にミミがろうそくの火を分けてほしいと突然訪ねてくる。彼女は同じアパートの住人で本名はルチアだが、「誰もが自分をミミと呼ぶ」と歌う(アリア「私の名はミミ」)。彼女は独り幸せに暮らしているという。ミミとは誰か。彼女が携わる「造花づくり」とは何か。
フランスの産業革命が始まった1830年代は経済格差を浮き彫りにする。1830年の7月革命で王政復古体制は打倒されたが、続く7月王政は立憲君主制とはいえ、財産資格による制限選挙制だったため、ブルジョア支配が固まった。夢を抱く多くの若者たちが学生や労働者として上京し、パリの人口が膨れ上がる。富裕なブルジョア層と地方出身の若者たちとの経済格差が広がった。
ロドルフォがミミと出会う前、家賃取り立てに来た大家を4人がやり込める場面もある。第2幕のカフェ・モミュスへ向かう場面ではロドルフォが「僕には大金持ちの伯父がいる」とミミに自慢して安心させるが、これは本当だろう。産業革命時代、親戚に1人くらいビジネスで成功した人物がいても不思議ではない。
カフェでロドルフォはミミを仲間に紹介する。そこへマルチェッロの元恋人ムゼッタが老富豪とともに来店する。ムゼッタは「私が街を歩けば」を歌い、マルチェッロと寄りを戻す。ボエームの仲間たちは高い飲食代を老富豪に支払わせる手はずで店を去る。芸術を解さず、好色な守銭奴にすぎない富裕層への軽蔑の念が滲む。イタリア情緒あふれる歌がパリの街に次々と流れるオペラだが、違和感がないのは、パリが古代ローマの遺産を受け継ぐラテン文化北端の大都市だからだろう。
それにしても、第4幕でミミが子爵のもとから逃げ出し、ロドルフォの屋根裏部屋に再びやって来て病死する結末は唐突だ。背景を知るにはアンリ・ミュルジェールの小説「ラ・ボエーム」(辻村永樹訳、光文社古典新訳文庫)を読めばいい。プッチーニが感動した原作は「ボヘミアン生活の情景」との副題が付いた23話の連作短編集。オペラはその中からロドルフォとミミ、マルチェッロとムゼッタの恋愛話を中心に抜粋し構成されている。
アンリ・ミュルジェール「ラ・ボエーム」(辻村永樹訳、光文社古典新訳文庫)
原作では、雑誌に載ったロドルフォの詩をミミが読み、ロドルフォに再会しに来る。最終話はミミの死後を描く。マルチェッロは官展に出品した絵が売れてアトリエを持つ。ロドルフォの本とショナールの歌の評判は高まり、コッリーネは遺産を相続する。4人とも社会的成功と経済的安定を得るのだ。ミミは貧しくも純粋な青春の象徴だったと分かる。上等品しか愛せなくなった彼らから青春は消え去った。だがプッチーニのオペラは貧しい青春のまま幕を下ろす。
日本でも高度成長期、多くの若者が上京した。学生運動とフォークが全盛だった1960~70年代。貧しい若者たちはいずれ企業に就職し、安定した生活に入る。目の前の幸せにしがみついて嫁いでいく心境を歌う「22歳の別れ」(伊勢正三作詞・作曲)。あるいは「なごり雪」(同)、「神田川」(喜多條忠作詞・南こうせつ作曲)、「『いちご白書』をもう一度」(荒井由実作詞・作曲)。いずれも青春との別れを歌い、はかない青春を凝縮している点では「ラ・ボエーム」と通底する。
今の日本でも若者の低収入や物価高、マンション価格の高騰などを通じて世代間格差が指摘されている。だがこれから働き盛りの若者はいつの世でも貧しい。そして世代は入れ替わる。大相続時代が到来し、空き家が溢れ、住宅を安く入手できるようになる。夢はある程度必ず実現し、貧しい青春ははかなく消える。「ラ・ボエーム」の青春の夢に思いをはせよう。
「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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