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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase12)ベートーヴェン「第八」、あいみょん「君はロックを聴かない」との関係
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2023.11.21
tagged: 音楽ライターの眼, ベートーヴェン, クラシック名曲 ポップにシン・発見, あいみょん
ビートルズの“最後の新曲”「ナウ・アンド・ゼン」が2023年11月2日に発売され、子や孫の世代にロックを熱く語りたい人も多いだろう。ところで、ベートーヴェンの「交響曲第8番ヘ長調Op.93」は、あいみょんの「君はロックを聴かない」と関係ない。本当にそうだろうか。作曲当時、ベートーヴェンには「不滅の恋人」がいた。「君は交響曲なんか聴かない」としても、ハイドン風の可笑しさで、モーツァルト風の愛らしさで、青春の音を聴かせて、彼女を自分に近づかせたかった――。同時代の古典派どころかロマン派までも突き抜けて、20世紀の新古典主義を先取りしたラブレター。「第八」は「第七」や「第九」と比べて人気度も知名度も低いが、最高傑作か。楽聖はそう自負していた。
ベートーヴェンは多くの女性と相思相愛の仲になったようだが、生涯独身だった。交響曲第8番を構想した1812年は最後の婚活期。その夏、41歳の彼はウィーンを離れてボヘミア地方を旅した。7月5日、温泉町テプリッツに到着。そこで「不滅の恋人」宛てに同6日付と7日付の手紙3通を書く。手紙は投函されなかったか、相手から差し戻されたか、彼の机の引き出しから死後見つかった。
「不滅の恋人」は誰か。有力候補は、ウィーンの貴族でフランクフルトの商家に嫁いだアントーニエ・ブレンターノ夫人。もう一人はハンガリーの貴族でベートーヴェンのピアノの弟子だったヨゼフィーネ・ブルンスヴィック。いずれについても決定的な発見を主張する研究者がいるため、聴き手は自由に想像していい。重要なのは、交響曲第8番の作曲当時、彼には「不滅の恋人」がいて、当時の社会階級の違いや結婚制度などを背景に破局に至ったこと、彼がその恋文を生涯大切に持っていたという事実だ。
第8番はベートーヴェンの交響曲全9作品の中で最も明るい。全楽章が長調で書かれた交響曲はほかに第1,2,4番のみ。第1楽章には序奏がなく、いきなり典雅で輝かしい旋律から始まる。楽器編成は小規模で、演奏時間も約26分と最も短い。ハイドンの時代に量産された典型的な古典交響曲に回帰したかのようにシンプルでコンパクト。作曲に費やした時間も最も短い交響曲とみられる。
公開初演は1814年2月27日、ウィーンの大レドゥーテンザールにて。すでに好評を博していた「交響曲第7番イ長調Op.92」や管弦楽曲「ウェリントンの勝利(戦争交響曲)Op.91」などとともに演奏された。交響曲第7番はリストが「リズムの神化」、ワーグナーが「舞踏の神化」と呼び、ニーチェの言う「ディオニュソス的熱狂」として代々高く評価されてきた。ベートーヴェンの後期には人類の文化遺産といわれる第九(交響曲第9番)が控えている。その間に挟まれて影が薄いのが第8番。
交響曲第8番は「はるかに優れている」
ナポレオン戦争での連合国側の勝利に酔う中、聴衆は第7番と戦争交響曲を熱烈に支持したが、第8番への反応は鈍かった。弟子のチェルニーが理由を尋ねると、ベートーヴェンは「なぜならそれが(第7番よりも)はるかに優れているからだ(weil sie viel besser ist.)」と答えたという。
第8番はどこかで聴いたような懐かしさを抱かせる。ハイドンやモーツァルトら先輩の作曲家たちによる明快な長調の交響曲が思い浮かぶ。新奇性に乏しい印象も聴衆が熱狂しなかった理由だろう。だが第8番は身構えずに聴ける。苦悩や悲哀の楽章がなく、余裕とユーモアと自信が全編にみなぎり、楽観的で前向きだ。
ソナタ形式による第1楽章ヘ長調の展開部後半は、平行調のニ短調からト短調、ヘ短調へとカノン風に疾走する。3拍子ながら行進曲風。スフォルツァンドの多用によるポリリズムが爽快だ。「不滅の恋人」への一途な想いを感じさせる。不安定なドミナント和音を畳みかける中から明るい主調のヘ長調が現れる。ここが第8番の非凡なところ。強奏による眩しい頂点はすでに展開部ではなく再現部なのだ。低音域のチェロ、コントラバス、ファゴットが第1主題を泰然と再現する。簡潔で効果的な第1楽章だけ聴いても「はるかに優れている」。
第2楽章はハイドンの「交響曲第101番ニ長調『時計』」を思わせるが、振り子は速い。恋人を笑わせるためのパロディーか。第3楽章は得意の性急なスケルツォではなく、照れ笑いの古風なメヌエット。第4楽章は第7番以上に緻密に構成された「舞踏の神化」だ。20世紀前半、プロコフィエフがハイドンを標榜した「交響曲第1番ニ長調Op.25(古典交響曲)」を書くなど新古典主義が台頭するが、ベートーヴェンは1世紀前にそれを実現していた。
「不滅の恋人」は交響曲第8番を聴かなかったとしても、ベートーヴェンが彼女に聴かせたかったのは確かだろう。あいみょんの「君はロックを聴かない」がここで聴こえてくる。歌詞の内容がベートーヴェンの当時の心境と重なるだけではない。聴き込むほどに味が出る音楽。シンプルな曲作りで感動を与えるところ、懐かしさを抱かせる点が共通するのだ。
吉田拓郎、浜田省吾、スピッツのこだまが聴こえる。ボブ・ディラン「廃墟の街(Desolation Row)」、ロッド・スチュワート「ただのジョークさ(I Was Only Joking)」あたりも思い起こされる。メジャーコード(長調)でぐいぐい押していく普通っぽい感じのロックだ。それでいて、あいみょんの曲は独特で新しい。最新のJ-POPのテイストが入っている。ロックの伝統を十分に踏まえながら新たな「典型的ロック」を創造することは、奇抜さを狙うよりもはるかに難しい。典型的なロックは「古典的」であるはずだ。ロックとJ-POPの時代のただ中で早くも「新古典主義」を実現している天才ぶりは楽聖と同じ。
ところで「君はロックを聴かない」は恋人への歌なのだろうか。古いロックを娘に聴かせたがっている父親の歌とも捉えられる。同性の友人同士の歌かもしれない。多義性は名曲の条件。未来へ向かって様々に解釈され、演奏され続ける可能性を持つ。
ではベートーヴェンの「不滅の恋人」が特定の人物ではなく、芸術の女神ミューズだったとしたら。芸術への愛を手紙でミューズに打ち明けたのだとしたら。そんな証拠はないが、第8番はミューズに導かれたようなギリシャ的古典美を持つ。ベートーヴェンとあいみょん。普通っぽくて親しみやすい曲だからこそ、本物のアーティストの凄みが一層伝わってくる。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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