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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#027 世界的なシンガーのルーツを覚醒させた2人だけのジャズという蜜月~トニー・ベネット&ビル・エヴァンス『トニー・ベネット&ビル・エヴァンス』編
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2023.12.27
tagged: トニー・ベネット, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, ビル・エヴァンス, トニー・ベネット&ビル・エヴァンス
片や、95歳で新作アルバム(2021年のレディー・ガガとのデュエット・アルバム『ラヴ・フォー・セール』)をリリースしてギネス世界記録に認定されるなど、生涯現役でアメリカを代表するエンターテイナーとしての活動を全うしたシンガー。
片や、1950年代ジャズ黄金期から51歳で没する1980年までリーダー作50タイトル以上を世に送り出し、中心的存在としてジャズの変革を担ってきたピアニスト。
ビッグネームの2人が差しで作り上げた“名盤”ということなのですけれど、改めて本作は“ジャズ・シンガーの視点”と“ジャズ・ピアニストの視点”のどちらからどのように評すべきなのかを考えてみたいと思います。
1975年6月、米カリフォルニア州バークレーにあったファンタジー・レコードのスタジオで収録された作品。
オリジナルはLP盤で、A面5曲、B面4曲の計9曲という構成。CD化も同曲数同曲順となっています。
収録曲はすべてカヴァー曲で、いわゆるジャズ・スタンダードとして知られているものですが、ビル・エヴァンスがそれまでの自身のキャリアのなかで取り上げることの多かった、“ビル・エヴァンスのお気に入り”のラインナップであったことも、リリース当時から話題になっていたことのひとつだったようです。
これはつまり、トニー・ベネットがビル・エヴァンスを“お客さま”として迎え、“共演させていただく”というニュアンスが含まれていただろうことを、恐らく当時の音楽シーンの誰もが理解していたことを意味する、とボクは思うのです。
そんな“下心”があった(かどうかは定かではありませんが)にもかかわらず、本作が“名盤”として認知されるようになったのは、ビル・エヴァンスの死をきっかけに彼を再評価する流れが生まれたことが大きいのではないかと推測しています。
というのも、モダンジャズというジャンルを打ち立てたと言っても過言ではないビル・エヴァンスではありますが、彼の評価はいわゆる“リヴァーサイド4部作”と呼ばれる、1959年から1961年にかけて収録された『ポートレイト・イン・ジャズ』『エクスプロレイションズ』『ワルツ・フォー・デビイ』『サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』に集約されると言ってもこれまた過言ではなく、むしろその後の作品群は添えもの的に扱われていた──というのが、1980年代から1990年代にかけてのボクの肌感覚だったりするからです。
ビル・エヴァンスの死後、いち早くトリビュート的に集大成として編集されたのが『ザ・コンプリート・リヴァーサイド・レコーディングス』。1985年のリリース当時でLP18枚組のボックス・セットという“強気”の企画は、ビル・エヴァンスの業績を網羅するというより、“リヴァーサイド4部作”を含むことで勝算があったに違いない、と思うのです。
4部作をLPで所持していたボクも、後にCD化されたこのコンプリート集(アメリカでの発売は1987年、日本では1995年で、いずれも12枚組)を購入しましたが、やはりお目当ては4部作をCDで聴くこと、でした。
ところが、こうしたコンプリート集の発掘(もしくは1990年代のDJによるレア・トラックへの注目)によって、「見逃していた名演を掘り起こそう」という気運がジャズ・シーン全体で高まり、本作も“ピアノ・トリオのビル・エヴァンス”とは異なる再評価がなされ、改めてその価値が注目されるようになった──というのが“名盤”になるきっかけだったのではないかと考えているのです。
一方で、トニー・ベネットの作品としては、ポップス・シンガーの大御所のものとしてはそれほど話題にもならず、売上も芳しくなかったようです(ヒットチャートの記録も、グラミー賞ノミネートのエピソードも見当たらないことが、それを物語っていると言えるでしょう)。
当時のトニー・ベネットは、1950年代の飛ぶ鳥を落とす勢いは見る影もなく、人気を奪ったロック調のサウンドへ逆に挑戦したりするなかでの、ジャズ・シンガーとしての自分のポジションを見つめ直すための企画でもあったようなのです。
トニー・ベネットがビル・エヴァンスとの共演にかなり思い入れをもっていたことは、本作が自身の世界的な大ヒット曲をジャズ・アレンジするといった“企画もの”ではなく、ビル・エヴァンスのレパートリーに身を委ねているというあたりからも察することができます。
さらに、続編である『トゥギャザー・アゲイン』を1975年にベネットの自主レーベルからリリースしているのですから、これはもう、世紀の大シンガーがなりふり構わず、自らの普遍的な立ち位置を確認するために、ビル・エヴァンスの胸を借りたがっていたとしか言いようがないのではないでしょうか。
胸を貸したビル・エヴァンスも、シンガーとの共作はモニカ・ゼタールンドとの『ワルツ・フォー・デビイ』(1964年、4部作とは別の作品)ぐらいしか見当たらず、歌伴を得意としたピアニストではないことがうかがえるにもかかわらず、共演者が楽器とのときとはまったく異質のインタープレイを試みているところが随所に見られたりするので、やはりジャズ・ファンとしては見過ごすことのできない作品だったと言えるでしょう。
例えば、アルバム冒頭の『ヤング・アンド・フーリッシュ』の初っ端、ピアノのイントロもなく、いきなりビル・エヴァンスのコードだけの伴奏と同時に歌い出すトニー・ベネットの張りのある歌声に出逢うと、聴く者の心を震わせるに足る交感が2人のあいだにあったということを改めて理解できる──そんな“名盤”なのではないかと思うのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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