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今月の音遊人:仲道郁代さん「多様性こそが音楽の素晴らしさ、私自身もまだまだ変化していきます」
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バッハやシューベルトの隠された性格と響き合うクルターグ/ピエール=ロラン・エマール ピアノ・リサイタル
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2024.1.23
tagged: ヤマハホール, 音楽ライターの眼, ピエール=ロラン・エマール
誰しもいちどは「あぶり出し」をして遊んだことがあるだろう。みかんの搾り汁などで紙に絵や文字を描き、乾かす。見えなくなった画面を炎で慎重にあぶると、先ほど描いた図像が姿を現す。隠れているものをちょっとした工夫で表に引っぱり出すわけだ。フランスのピアニスト、ピエール=ロラン・エマールの演奏会(2023年12月1日、ヤマハホール)も、そんな仕掛けに満ちていた。
プログラムに並ぶのはバッハ、シューベルト、クルターグの名前。クルターグ・ジェルジュは1926年生まれのハンガリーの作曲家。エマールは、このクルターグの小曲集『ピアノのための遊び』の抜粋を、バッハ作品と組み合わせて前半に、同じくシューベルト作品と組み合わせて後半に置いた。前半は16曲、後半にいたっては55曲で演目を構成する。
とはいえ、1曲1曲はとても短いので、全体の印象に間延びしたところはない。小曲が連歌(短歌の上下句を問答調に連ねていく詩歌の一形態)のように続く。2曲目、3曲目と続いて新しい関係が生じるたびに、その前、さらにその前の曲の意味合いも少しずつ変化する。こうして、つねに内容を更新しながらプログラムは進む。その情緒変化のリズムがなんとも心地よい。
ピアニスト本人が言うように、バッハは内省的、シューベルトは社交的、クルターグは日常的とざっくり分類できよう。プログラムの仕掛けは、バッハ作品との組み合わせを通して内省的なさまを、シューベルト作品との組み合わせを通して社交的な性格を、クルターグ作品の描く“日常”から「あぶり出す」といった次第。
面白いのはここからだ。実際に演奏を聴くと、内省的なバッハとの組み合わせでは、クルターグは内省的というよりも社交的に、社交的なシューベルト作品との組み合わせでは、社交的というより内省的に響く。つまり、クルターグ作品はバッハに隠されたノリの良さや、シューベルトに隠された陰りのほうに共鳴している。本当の仕掛けは、クルターグ作品を通して、バッハやシューベルトの裏の顔をあぶり出すことにあったのだ。
内省的であるはずのバッハ作品から社交性を感じ取る。エマールは旋律に“句読点”を打って、“単語”や“句”を切り出し、各声部にまるで“台詞”を話させるかのように弾くことで、音楽の「おしゃべり」を演出する。その「おしゃべり」がバッハの「社交性」としてクルターグ作品と共鳴する。
一方、社交的であるはずのシューベルト作品には内省を聴く。作曲家がその“八方美人”な旋律の内に埋め込んだ影のある和音を、ピアニストがぐっと掴んで表に引き出す。それがシューベルトの「暗がり」としてクルターグ作品の奥底と響き合う。
ついでにいえば、作品の隠された性格だけでなく、聴き手の内に眠っていた聴覚や脳細胞の働きまで、エマールは「あぶり出し」てくれた。簡単な仕掛けも、ここまでいけば立派なアート。ほんの少しの工夫で、私たちの日常に違った風景を挿し入れてくれる。カーテンコールで見せた、ベテラン音楽家の「楽しかったでしょ?」と言わんばかりの顔が、とてもまぶしかった。
澤谷夏樹〔さわたに・なつき〕
慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了(音楽学)。柴田南雄音楽評論賞奨励賞(2007年度)および本賞(2011年度)受賞。著書に『音楽家65人の修行時代』(単著)、『バッハ大解剖!』(監修・著)、『バッハおもしろ雑学事典』(共著)、『やみつき!バッハ』(共著)、『「バッハの素顔」展』(共著)。国際ジャーナリスト連盟(IFJ)会員。
文/ 澤谷夏樹
photo/ Ayumi Kakamu
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