Web音遊人(みゅーじん)

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase39)ワーグナー「ローエングリン」、ヒーロー登場、オペラから特撮へ、菊池俊輔の劇伴音楽に変身

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase39)ワーグナー「ローエングリン」、ヒーロー登場、オペラから特撮へ、菊池俊輔の劇伴音楽に変身

リヒャルト・ワーグナー(1813~83年)のオペラにはジークフリートをはじめ英雄が登場し、その役を担うヘルデン(英雄)テノールは花形だ。特撮技術が要るほどに超現実的なのは、白鳥が曳く小舟に乗って題名役の騎士が現れる「ローエングリン」。願えば必ずヒーローはやってくる。特撮ヒーローの劇伴音楽では菊池俊輔(1931~2021年)の「ジャンボーグA」「アイアンキング」「超人バロム・1」などがすでに古典の域にある。英雄の音楽は時代とともに変身する。

願えば白鳥の騎士が到来

舞台は10世紀前半のアントウェルペン。東フランク国王ハインリヒ1世はハンガリーとの戦いに向けて兵を募るため同地を訪れる。王の前で、ブラバント公女エルザテルラムントによって弟殺しの容疑をかけられる。エルザは自身の潔白を証明するために戦う騎士が現れると信じ、願って祈る。すると白鳥に曳かれた小舟に乗って本当に騎士ローエングリンが登場する。第3幕の有名な結婚行進曲のリズムにつながる英雄的なモティーフが高らかに鳴り、ローエングリンの到来を知らせる。第1幕で最初に高揚する場面だ。


Lohengrin_Nun sei bedankt, mein lieber Schwan

正義のヒーローが突如現れる物語を子供騙しとして一笑に付すことはできない。「ローエングリン」はグリム童話や北欧神話など西洋の様々なメルヘンから素材を取り、大人の童心を震わせるロマンティック・オペラであるからだ。ロマン派の本領といえるワーグナーの英雄叙事詩的オペラは、特定の動機を人物や事象に結び付けるライトモティーフ(示導動機)の技法を駆使しながら、楽劇4部作「ニーベルングの指環」(「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」)や舞台神聖祝典劇「パルジファル」へと発展していった。

ルドルフ・ケンペ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ジェス・トーマス、エリーザベト・グリュンマー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウらによる「ワーグナー:ローエングリン」(CD3枚組、1962~63年録音、ワーナー)

ルドルフ・ケンペ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ジェス・トーマス、エリーザベト・グリュンマー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウらによる「ワーグナー:ローエングリン」(CD3枚組、1962~63年録音、ワーナー)

リストの指揮で1850年にワイマールで初演されて以来、「ローエングリン」に魅せられた著名人はバイエルン国王ルートヴィヒ2世、ボードレール、ニーチェ、マーラー、さらにはヒトラーまで枚挙にいとまがない。チャイコフスキーはバレエ音楽「白鳥の湖」で「ローエングリン」の禁問のモティーフを反映させた。トーマス・マンは講演集「リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」(青木順三訳、岩波文庫)で「ニーベルングの指環」とともに「ローエングリン」をワーグナーの作品の中で「最も純粋で高貴で美しい」と評している。

ヒロイックな短調の劇伴音楽

ワーグナーが「ローエングリン」を書き進めたのは1848年革命までの反動的なウィーン体制下。自由主義運動が盛んになる中で、社会を変革する正義のヒーローを求める風潮が強かったか。ヒロイックな音楽は民族主義や国民国家の成立に寄与し、ファシズムに利用される運命も待つ。だがどんな結果を招こうとも、人々が英雄を求める文化は絶えない。


【ジャンボーグエースOP 歌詞付】

冷戦下、海外で残虐な局地戦争が起きる一方、画一的な経済社会が固まった日本では、ウルトラマンやスペクトルマンなど特撮ヒーローが子供たちを夢中にさせた。特撮ヒーロー番組の劇伴音楽は菊池俊輔の作曲によるものが多かった。「仮面ライダー」「アイアンキング」「超人バロム・1」などだ。「ヒーロー登場」と子門真人が歌う1973年の「ジャンボーグA」(清瀬かずほ作詞)をはじめヒロイックな短調の音楽である。


アイアンキング

いずれにも愛と平和と自由のために戦う正義のヒーローが登場する。戦うヒーローが子供たちに与えた影響は大きい。菊池の音楽はスリリングで劇的でカッコ良かった。例えば、1972年放送の「アイアンキング」のオープニング曲(佐々木守作詞)。子門の歌唱でクラシックとラテンが混合したような短調の速い音楽が展開する。ドラムスが軽快にビートを刻む一方、金管楽器が畳みかけるようにパンチを効かせ、ティンパニが壮大に鳴る。

世界に類のない「菊池節」

「菊池節」と呼ばれる音楽の魅力はどこから来るか。一つには菊池のクラシック音楽の素養にある。怪獣や悪の組織と戦うにはワーグナーの「ワルキューレ騎行」やジークフリートのライトモティーフのような重々しい曲調が必要だ。直接の影響かどうかは別にして、ブルックナー「交響曲第8番」、マーラー「同1番《巨人》」、ショスタコーヴィチ「同5番」の各第4楽章で聴ける重量級で行進曲風の短調の音楽との共通項が感じられる。いずれもトランペットが勇ましく鳴り、ティンパニが重厚なリズムを刻む。


超人バロム1 OP&ED

もう一つはマンボやサンバなどラテン音楽の軽快でパンチ力のあるノリだ。さらには水木一郎が歌う「超人バロム・1」のオープニング曲(八手三郎作詞、1972年)のように、軽やかなフルートをさりげなく入れる繊細さもある。そして何と言っても哀愁を帯びた旋律だ。民謡や童謡、演歌や歌謡曲を発展させた短調の旋律であり、児童合唱団を加え、クラシックやラテンと融合させて世界に類のない日本固有の「菊池節」を生み出した。

サスペンスドラマやアニメでも菊池の傑作は数多い。「キイハンター」(1968~73年)のテーマ曲「非情のライセンス」(佐藤純弥作詞)は最たるもので、のちに甲斐バンドがカバーした。浜田省吾や甲斐バンドなど日本のロックにも菊池節の反映が聴き取れる。ブルックナーやマーラーの交響曲を好む日本人の趣向の背景にも、菊池の劇伴音楽による幼少体験が多少はあるのではないか。それらの交響曲の源流にはワーグナーのオペラがある。ローエングリンの白鳥はエルザの弟が変身した姿だった。夢を育む劇伴音楽をリスペクトしたい。

「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

特集

三浦文彰

今月の音遊人

今月の音遊人:三浦文彰さん「音を自由に表現できてこそ音楽になる。自分もそうでありたいですね」

4941views

音楽ライターの眼

連載20[ジャズ事始め]ジャズは自分にとってなんなのかを追求した日本人・穐吉敏子の答え

2709views

トランスアコースティックピアノ™

楽器探訪 Anothertake

音量の問題を解決し、ピアノの楽しみを広げる「トランスアコースティックピアノ」

4913views

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

楽器のあれこれQ&A

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

24504views

桑原あい

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若きジャズピアニスト桑原あいがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

16114views

ステージマネージャーの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

オーケストラのステージの“演奏以外のすべて”を支える/オーケストラのステージマネージャーの仕事(前編)

44610views

HAKUJU HALL(白寿ホール)

ホール自慢を聞きましょう

心身ともにリラックスできる贅沢な音楽空間/Hakuju Hall(ハクジュホール)

24639views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

11430views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

15714views

われら音遊人

われら音遊人:路上イベントで演奏を楽しみ地域活性にも貢献

3859views

山口正介さん

パイドパイパー・ダイアリー

「自転車を漕ぐように」。これが長時間の演奏に耐える秘訣らしい

6503views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

32243views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】注目の若手ピアニスト小林愛実がチェロのレッスンに挑戦!

10350views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8941views

音楽ライターの眼

連載27[ジャズ事始め]アメリカへ渡った渡辺貞夫をトリコにした甘口&ポピュラー路線のジャズ

3273views

出演アーティストの発掘からライブ制作までを一手に担う/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事 (前編)

オトノ仕事人

出演アーティストの発掘からライブ制作までを一手に担う/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事 (前編)

19222views

われら音遊人:「非日常」の充実感が 活動の原動力!

われら音遊人

われら音遊人:「非日常」の充実感が活動の原動力!

8513views

楽器探訪 Anothertake

新開発の音響システムが表現力のカナメ。管楽器の可能性を広げる「デジタルサックス」

4296views

ホール自慢を聞きましょう

ウィーンの品格と本格派の音楽を堪能できる大阪の極上空間/いずみホール

7537views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

サクソフォン教室の新しいクラスメイト、勝手に募集中!

4919views

楽器上達の心強い味方「サイレント™シリーズ」&「サイレントブラス™」

楽器のあれこれQ&A

楽器上達の心強い味方「サイレント™シリーズ」&「サイレントブラス™」

40165views

こどもと楽しむMusicナビ

オルガンの仕組みを遊びながら学ぶ「それいけ!オルガン探検隊」/サントリーホールでオルガンZANMAI!

9471views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26791views