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連載27[ジャズ事始め]アメリカへ渡った渡辺貞夫をトリコにした甘口&ポピュラー路線のジャズ

1962年の夏に米・ボストンへと渡った渡辺貞夫は、4年間の授業料完全免除という待遇でバークリー音楽大学に迎えられた。

「学校の授業は朝九時からで、午前中か午後の一時か二時まで理論をやって、それからアンサンブルに入るといった具合である。(中略)バークリーにいる時は、学校の勉強だけでなく、アパートへ帰るとまた練習したり、夜は仕事という具合にいつも音楽と接しているという生活だった」(引用:渡辺貞夫『ぼく自身のためのジャズ』徳間文庫)

日本ではプロとして稼いでいたわけだから、“夜は仕事”とはステージに立って演奏をしてお金をもらうことを意味している。最初の1年こそ仕事探しに苦労したが、すぐに評判が評判を呼んでオファーが舞い込むようになり、2年が過ぎるころには学校と仕事のどちらかを選ばなければならなくなっていた。

渡辺貞夫がボストンからニューヨークへ進出するきっかけをつくったのが、ゲイリー・マクファーランドだった。

マクファーランドが米・カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれたのは1933年だから、渡辺貞夫と同い年。彼らが出逢ったときマクファーランドはすでにヴァーヴ・レーベルからリーダー作をリリースするなど、ニューヨークで活躍するヴィブラフォン奏者であり作編曲家だった。

ニューヨークでその腕を認められた渡辺貞夫は、早速10週間におよぶウエストコーストでのツアーというオファーを受ける。

「ゲイリーのバンドはレパートリーが二、三〇曲あり、それらは全部アレンジされていた。ゲイリーのバンドへの参加が決まったとき、ゲイリーがおれのレコードを聞いてくれといって、手渡されたのが『ソフト・サンバ』(ヴァーヴ)だった」(引用:同上)

『ソフト・サンバ』は1964年の後半にかけて録音された作品で、マクファーランドが渡辺貞夫に渡したのは1965年3月のリリース直後か、もしかしたらその前のサンプル盤だったかもしれない。マクファーランドが渡辺貞夫に、当時のジャズの“最新情報”を知っておいてほしいと考えたゆえの行動だったのだろう。

そのアルバムはビートルズ・ナンバーを含めたポップな構成で、ウィリー・ボボのコンガが軽妙なリズムを醸すだけでなく、アントニオ・カルロス・ジョビンのギターとスキャットが加わった、それまでの“硬派なジャズ”とは一線を画す内容だった。

「ボストンにいた頃のぼくはボサ・ノヴァなんてものは全然知らなかった。『ワン・ノート・サンバ』くらいははやりだしたので聞いてはいたが、(中略)アントニオ・カルロス・ジョビンのレコードを聞かせてもらったことはあったが、あまりピンとこなかった」(引用:同上)

日本では評価されなかったビバップにのめり込んで渡米を決意したぐらいだったのだから、当時は“イージー・リスニング・ジャズ”と呼ばれた甘口のポピュラー音楽寄りの『ソフト・サンバ』がお気に召さなかったのも無理はないだろう。

「だから、ゲイリーのLPを聞いたときも、つまんないのをやっているんだな、全然刺激がない、と感じたものである」(引用:同上)

いくら仕事とはいえ、意に添わない音楽を演奏するためにアメリカへ渡ったわけではない、と思っていた彼にも転機が訪れる。それは、ウエストコーストでのツアーを1週間ほど消化したころのことだった。

タルサからサンフランシスコに移動して“ベイズン・ストリート”に出演しているとき、向かいの“エル・マタドール”にセルジオ・メンデスとブラジル’65が出演していた。おそらく、それまでつまらなそうに演奏していた渡辺貞夫を見かねて、ゲイリー・マクファーランドがその店へ連れて行ったんじゃなかろうか。

「聞くとこれがとってもいい、本物のサンバをやっているのである。なにか、サンバの楽しさがわかったような気がした。(中略)メンデスを聞いてすっかりサンバに共鳴するようになってきたのだった」(引用:同上)

このサンバとの出逢いが、渡辺貞夫を“器用なサポート・ミュージシャン”から“オリジナリティを発揮するアーティスト”へと導いていくことになった──という続きは次回。

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富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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